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55話 美容師 中京明日香


そして俺は、髪を切るために美容院へと繰り出していた。


隣の席には結衣も座っている。

どうやら彼女も一緒に切るつもりらしい。


鏡に映る自分を見ると、確かにだいぶ伸びていた。

ここまで来ると、少し整える程度ではなく、思い切ってさっぱりしたい。


俺が向かったのは、昔から世話になっている美容師――

中京明日香さんの店だった。


二十代後半の金髪美女。

元ヤンらしい雰囲気はあるが、腕は本物で、話も面白い。

気取らず接してくれるところが心地よくて、ずっと通っていた。


「久しぶりじゃん」


いつもの調子で、明日香さんが笑う。


「最近どう? ちゃんと生きてる?」


「なんとか」


椅子に座り、ケープをかけられながら、他愛ない世間話が始まる。


そんな中、彼女はハサミを手に取りながら、ぽつりと漏らした。


「スキル、美容師に目覚めたんだけどさ」


少しだけ、自嘲気味に。


「モンスターが出るようになってから、客が全然来なくて。

怖がって外に出ない人、多いし」


確かに、街の様子を思い返せば納得できる。


「この世界じゃ、美容院なんて後回しだよね」


冗談めかして言うが、その目には疲れが滲んでいた。


――その時だった。


ガシャァン!


耳をつんざく音とともに、窓ガラスが粉々に砕け散る。


「っ――!」


割れた窓から、巨大な影が突っ込んでくる。


オークだった。


結衣に目配せをするより早く――

彼女はすでに剣を抜いて走り出していた。


一瞬。


踏み込み、斬撃。

無駄のない動きで、オークは床に倒れ伏し、二度と動かなかった。


「……大丈夫ですか?」


結衣が振り返る。


「問題ない」


だが、美容院はそうはいかなかった。


窓は完全に割れ、床一面にガラスが散らばっている。

これでは、営業どころではない。


「……はぁ」


明日香さんはしゃがみ込み、黙々とガラスを拾い始めた。


「こんな世界じゃさ」


ぽつりと、独り言のように呟く。


「もう無理かもね。

店、続けるの」


割れた窓を見つめながら、淡々と破片を集める背中。

諦めが、にじんでいた。


その姿を見て、胸の奥がざわつく。


俺は、考えるより先に口を開いていた。


「……安全な場所がある」


明日香さんの手が止まる。


「え?」


結衣も、驚いた顔でこちらを見る。


「外よりずっと安全で、人もいる。

そこなら、安心して店を続けられると思う」


言葉を選びながら、続ける。


「今みたいに、突然襲われる心配もない」


明日香さんは、しばらく黙って俺を見ていた。


それから、小さく笑う。


「……なにそれ。

ずいぶん都合のいい話じゃん」


そう言いながらも、表情は真剣だった。


「本当に……安全なの?」


「ああ」


短く、だがはっきり答える。


彼女は一度、割れた窓の外を見てから、店内をぐるりと見回した。


「……考えてみる」


そう言って、肩をすくめる。


「どうせ、このままじゃ続けられないしね」


ガラスを拾う手を止め、俺を見る。


「今度、その“安全な場所”、案内してよ」


「ああ」


俺は頷いた。


この世界では、守れる場所が限られている。

だからこそ――

守れる場所で、守りたいものを守れるようにしたい。



それから数日、俺の頭の中はひとつのことでいっぱいだった。


――どうせなら、最高の美容院を作ろう。


明日香さんが来るかどうかは、まだ分からない。

けれど、もし来てくれるなら――

「仕方なく移った場所」じゃなく、「ここで続けたい」と思える場所にしたかった。


そのために、俺は久しぶりに本屋へ立ち寄った。


平積みにされた雑誌の中から、

美容院の内装特集、照明デザイン、椅子や鏡の配置、動線設計。

普段なら手に取らないような本を、気づけば何冊も抱えていた。


「……意外と奥が深いな」


待合スペースの落ち着き。

シャンプー台の角度。

鏡の高さ一つで、客の印象は変わるらしい。


――中途半端なものは、作れない。


そう思いながら、資料を抱えて帰宅した。


ダンジョンに戻ると、真っ先に呼び出したのは――

例のたぬきだった。


「おーい、ちょっといいか」


ぽん、と音を立てて現れた小さなたぬきは、

いつものようにきょろきょろと周囲を見回す。


「呼ばれただなも?」


「新しい施設を作りたい」


そう言って、持ってきた資料を広げる。


「……美容院だ」


一瞬、たぬきが固まった。


次の瞬間。


「はじめて作るだなも!!」


目を輝かせて、資料にかぶりつく。


「鏡! 椅子! 水回り!

わくわくするだなも〜!」


尻尾をぶんぶん振りながら、設計図を覗き込む姿は、

完全に職人の顔だった。


「この曲線、美しいだなも……」

「照明は間接がいいだなも……」


思った以上の食いつきだ。


「頼んだぞ」


「任せるだなも!」


そうして設計が動き出すと、

なぜか女性陣が次々と集まってきた。


「美容院? やるやる!」

「手伝わせてください」

「内装、私も意見出したいです」


気づけば、反対する者は一人もいなかった。


「……そんなに?」


思わず言うと、雪が微笑む。


「だって、髪は女の命ですから」


マリーも頷く。


「テンション上がるでしょ。

整ってる場所って、それだけで気分違うし」


アイリスも珍しく即答だった。


「生活環境の質は士気に直結します。

非常に合理的です」


エーデルワイスに至っては、静かにこう言った。


「……綺麗な場所は、心を落ち着かせる」


そうして――

設計、装飾、素材選び、導線確認。


誰かが妥協しそうになると、誰かが止める。

「せっかくなら、もっと良くしよう」と。


結果。


数日後。


そこには、木の温もりと柔らかな光に包まれた、

落ち着きのある美容院が完成していた。


鏡は歪みなく、椅子は座り心地がよく、

シャンプースペースは静かで、癒やしの空間になっている。


「……完璧だな」


正直、想像以上だった。


そして迎えた当日。


明日香さんを、その場所へ案内する。


扉を開けた瞬間。


「……え」


彼女の声が、小さく漏れた。


ゆっくりと中を見回し、

鏡に触れ、椅子に手を置き、照明を見上げる。


「……なに、ここ」


言葉を失ったように立ち尽くしている。


「ここなら……」


ぽつりと、呟く。


「ここなら、ちゃんと仕事できる」


その背中を見て、俺はようやく息を吐いた。


――作ってよかった。


心から、そう思えた瞬間だった。




それから――

美容院は、あっという間に“戦場”になった。


「じゃあ次、誰いく?」


明日香さんが肘でチョキチョキとハサミを鳴らすと、

女性陣が一斉にざわつく。


「最初は私でお願いします」


最初に椅子へ座ったのは、アイリスだった。


白髪のロングはきちんと整えられているが、どこか“仕事用”という印象が強い。

鏡の前に座る姿勢も背筋が伸びすぎている。


「堅いねぇ」


明日香さんはくすっと笑いながら、髪を指ですくう。


「悪くないけど、ちょっとだけ“柔らかさ”足そうか」


数十分後。


仕上がったのは、顔まわりに軽さを持たせたセミロング。

風に揺れると、白髪が光を柔らかく反射する。


「……」


鏡を見たアイリスが、瞬きを繰り返す。


「……業務効率に支障はありません」


一拍。


「……ですが、悪くありません」


そう言って、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「可愛いじゃん」

「それ、ズルいって!」


次に座ったのはマリー。


「じゃ、あーしは派手めでお願い!」


金髪のショートをベースに、

動きを強調したレイヤーと、少しだけ遊びのある前髪。


「はい完成〜」


「……え、ちょっと待って、これやばくない?」


鏡を見たマリーは、思わず立ち上がる。


「何これ!

今までで一番“それっぽい”!」


くるっと一回転して、満足そうに笑った。


「これなら、弓引いても邪魔になんないし、

なによりテンション上がるわ〜!」


続いて雪。


長い黒髪を、落ち着いた大人のボブに。

首筋が綺麗に見えるラインで、色気がぐっと増す。


「……どうかしら」


少し照れたように聞かれて、周囲が一瞬静まる。


「……ずるい」

「大人すぎます」


雪はふふっと微笑んだ。


「たまには、いいでしょう?」


結衣は最後だった。


「短くしてください!

動きやすいやつで!」


怪力と戦士らしさを活かしつつ、

無駄のないショートカット。


鏡を見た瞬間、目を輝かせる。


「うわ……軽い!」

「これ、剣振りやすい!」


何度も首を振って、満足そうに笑う。


「ありがとうございます!

明日からもっと頑張れます!」


最後に、エーデルワイス。


銀髪をそのまま活かし、

雪原を思わせるような、静かで美しいロングレイヤー。


仕上がりを見て、彼女はしばらく黙っていたが――


「……この姿で、外を歩いてもいいのだろうか」


ぽつりと、そんなことを言う。


「もちろん」


明日香さんが即答する。


「むしろ、歩いてほしいわね」


エーデルワイスは、ほんの少しだけ頷いた。


全員が終わったあと。


美容院の空気は、明らかに変わっていた。


「……すごいな」


俺がそう呟くと、明日香さんは肩をすくめる。


「髪が変わるとね、

気持ちも変わるのよ」


女性陣は鏡を見たり、互いを見て笑ったり、

いつもよりずっと賑やかだった。




そして俺はこの美容院がトレント、ゴブリン、オークやハーピーなどのモンスターすら通う人気施設になるとはこの時は思わなかった。

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