表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

54/69

54話

季節は、いつの間にか冬に入っていた。


ダンジョンの外では、朝になると吐く息が白くなり、街路樹の枝先に薄く雪が積もる日も増えたらしい。

ギルドの掲示板や外部から入ってくる情報で、そうした季節の移ろいを知ることはできる。


だが――

円頓寺ダンジョンの中は、相変わらず穏やかだった。


異空間だからなのか、魔力の循環が安定しているからなのか。

気温は一年を通して一定で、暑すぎず寒すぎず、ただ“過ごしやすい”。


だからこそ、外の世界が冬に入ったという実感は薄い。

それでも、仲間たちの会話の端々に「雪」という言葉が混じるたび、季節が確かに進んでいるのだと気づかされる。


そして――

カレンが目を覚ましてからというもの、このダンジョンは明らかに変わった。



以前はどこか張り詰めていた空気。

誰もが役割を果たし、黙々と動き、必要以上の感情を表に出さなかった。


それが今は――

笑い声が増え、会話が増え、無駄話が増えた。


正直に言えば、少しだけ羨ましい。


俺には出せない“柔らかさ”を、カレンは自然に持っている。

場の空気を緩め、人と人の距離を縮める、そういう力だ。


今もそうだった。



星ヶ丘カフェ。


朝の柔らかな魔力灯に照らされたテーブルを囲んで、今日も皆で朝食を取っている。


「はい、パンおかわりあるよー」


カレンが笑顔で声をかけると、子供たちが一斉に手を挙げる。


「はーい!」

「ぼくも!」

「はちみつ、いっぱいかけていい?」


「もちろん」


そのやり取りだけで、場が和む。


テーブルの中央には、焼きたてのパンと、透き通った黄金色のはちみつ。


クイーンビーから分けてもらったものだ。


スプーンですくって一口舐める。


……やっぱり、美味い。


甘いだけじゃない。

舌に残る、わずかな温かさ。

体の奥にすっと染み込むような感覚。


市販のものとは、明らかに違う。


「これ、ほんとに美味しいね」


カレンがそう言って、嬉しそうにパンに塗る。


「魔力が含まれてる食べ物は、魔力欠乏症の人にとっては栄養価が高いとのことです」


アイリスが淡々と補足する。


「体への負担も少なく、吸収効率も良好です」


「じゃあ、いっぱい食べなきゃだね」


カレンはそう言って、少し照れたように笑った。


その笑顔を見て、胸の奥が少しだけ軽くなる。


……よかった。


ちゃんと、美味しく食べられている。

ちゃんと、生きている。


それだけで、今は十分だ。


「大門くん、ぼーっとしてるよ?」


カレンに言われて、はっと我に返る。


「いや……」


言葉を探して、結局こう答えた。


「いい朝だな、って思ってただけだ」


「ふふ、そうだね」


そのやり取りを、少し離れた場所から雪が見ていた。


エプロン姿の彼女は、次の料理の準備をしながら、こちらをちらりと見る。


「毎日ちゃんと食べてくれるから、作りがいがあるわ」


柔らかく、包み込むような声。


「特にカレンちゃんは、残さず食べてくれるし」


「だって美味しいですもん」


カレンが即答すると、雪は少しだけ照れたように微笑んだ。


「……ありがとう」


その一言に、彼女の表情がさらに柔らぐ。


俺はその光景を見ながら、心の中で静かに思う。


――毎日ご飯を作ってくれる雪には、本当に感謝しないとな。


当たり前みたいに並んでいる食事。

当たり前みたいに流れる時間。


だが、それは決して当たり前じゃない。


守ってきたからこそ、ここにある。


これからも、守り続けるからこそ、続いていく。


テーブルを囲むこの時間を――

このダンジョンの日常を。


そう、静かに誓いながら、俺はもう一口、はちみつを舐めた。


甘くて、温かい味が、胸の奥に広がっていった。







朝食が終わると、皆はそれぞれ自然に持ち場へ散っていく。

子供たちは彩乃のもとへ向かい、勉強の時間。

雪はカフェの仕込みに戻り、カレンは無理のない範囲で手伝いを始める。

アイリスとエーデルワイスは巡回へ、マリーは射場で調整。


そして俺は――

結衣を連れて、ダンジョンの外へ出た。


目的は単純だ。

日用品の補充。

石鹸、布、保存食、工具類。

ダンジョン内で賄えるものは増えたが、それでも外の物資に頼る部分はまだ多い。


街に出た瞬間、違和感はすぐにあった。


「……人、少ないですね」


結衣が周囲を見回しながら、ぽつりと呟く。


確かに少ない。

平日の昼間とはいえ、明らかに人通りが減っている。


店のシャッターが閉まったままの通り。

営業していても、どこか元気のない看板。

歩く人々の表情にも、余裕がない。


「去年なら、この時期は――」


言いかけて、言葉を切った。


本来なら、クリスマスムード一色だったはずだ。

街路樹には電飾が巻かれ、商店街では音楽が流れ、

子どもたちの笑い声が、あちこちから聞こえていた。


だが今は、そんな面影はほとんど残っていない。


「ダンジョンブレイク、増えてますからね」


結衣の声は、前よりずっと落ち着いていた。


「この辺も、警戒区域が広がったって聞きました」


歩きながら、俺は周囲に意識を向ける。


魔力の流れ。

人の気配。

そして――不自然な“空白”。


「……来るな」


小さく呟いた、その直後だった。


路地の奥から、低い唸り声。


「っ……!」


結衣が即座に俺の前に出る。


現れたのは、小型の魔獣。

犬ほどの大きさだが、目が赤く、牙が異様に発達している。


以前なら、俺は即座に退避を指示していた。

だが今回は違った。


「……下がっててください」


結衣の声は、迷いがなかった。


一歩、前へ。


構えは無駄がなく、足運びも安定している。


魔獣が跳びかかる。


「はぁっ!」


乾いた音とともに、結衣の一撃が入った。

勢いを殺し、確実に急所を狙う。


魔獣は地面を転がり、動かなくなった。


周囲に、静寂が戻る。


「……大丈夫ですか?」


振り返ってそう言う結衣の表情は、少し息が上がっているものの、落ち着いていた。


「問題ない」


そう答えながら、俺は内心で静かに思う。


――強くなったな。


力だけじゃない。

判断も、覚悟も。


以前の結衣なら、もっと感情が先に出ていた。

今は、ちゃんと“守るために戦う”目をしている。


「最近、街でもこういうの増えてます」


結衣が周囲を警戒しながら言う。


「だから……外に出る人も減ってるんでしょうね」


俺は頷いた。


平穏は、確実に削られている。

街も、人も、少しずつ追い詰められている。


「……急ごう」


「はい」


必要な物を揃えたら、早めに戻る。

そう決めて、再び歩き出す。


背中越しに感じるのは、街の不安と、迫りつつある変化。


この世界は、もう以前には戻らない。


だからこそ――

守れる場所だけは、守り続けなければならない。


結衣の一歩後ろを歩きながら、俺は静かに、そう覚悟を新たにしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ