54話
季節は、いつの間にか冬に入っていた。
ダンジョンの外では、朝になると吐く息が白くなり、街路樹の枝先に薄く雪が積もる日も増えたらしい。
ギルドの掲示板や外部から入ってくる情報で、そうした季節の移ろいを知ることはできる。
だが――
円頓寺ダンジョンの中は、相変わらず穏やかだった。
異空間だからなのか、魔力の循環が安定しているからなのか。
気温は一年を通して一定で、暑すぎず寒すぎず、ただ“過ごしやすい”。
だからこそ、外の世界が冬に入ったという実感は薄い。
それでも、仲間たちの会話の端々に「雪」という言葉が混じるたび、季節が確かに進んでいるのだと気づかされる。
そして――
カレンが目を覚ましてからというもの、このダンジョンは明らかに変わった。
以前はどこか張り詰めていた空気。
誰もが役割を果たし、黙々と動き、必要以上の感情を表に出さなかった。
それが今は――
笑い声が増え、会話が増え、無駄話が増えた。
正直に言えば、少しだけ羨ましい。
俺には出せない“柔らかさ”を、カレンは自然に持っている。
場の空気を緩め、人と人の距離を縮める、そういう力だ。
今もそうだった。
⸻
星ヶ丘カフェ。
朝の柔らかな魔力灯に照らされたテーブルを囲んで、今日も皆で朝食を取っている。
「はい、パンおかわりあるよー」
カレンが笑顔で声をかけると、子供たちが一斉に手を挙げる。
「はーい!」
「ぼくも!」
「はちみつ、いっぱいかけていい?」
「もちろん」
そのやり取りだけで、場が和む。
テーブルの中央には、焼きたてのパンと、透き通った黄金色のはちみつ。
クイーンビーから分けてもらったものだ。
スプーンですくって一口舐める。
……やっぱり、美味い。
甘いだけじゃない。
舌に残る、わずかな温かさ。
体の奥にすっと染み込むような感覚。
市販のものとは、明らかに違う。
「これ、ほんとに美味しいね」
カレンがそう言って、嬉しそうにパンに塗る。
「魔力が含まれてる食べ物は、魔力欠乏症の人にとっては栄養価が高いとのことです」
アイリスが淡々と補足する。
「体への負担も少なく、吸収効率も良好です」
「じゃあ、いっぱい食べなきゃだね」
カレンはそう言って、少し照れたように笑った。
その笑顔を見て、胸の奥が少しだけ軽くなる。
……よかった。
ちゃんと、美味しく食べられている。
ちゃんと、生きている。
それだけで、今は十分だ。
「大門くん、ぼーっとしてるよ?」
カレンに言われて、はっと我に返る。
「いや……」
言葉を探して、結局こう答えた。
「いい朝だな、って思ってただけだ」
「ふふ、そうだね」
そのやり取りを、少し離れた場所から雪が見ていた。
エプロン姿の彼女は、次の料理の準備をしながら、こちらをちらりと見る。
「毎日ちゃんと食べてくれるから、作りがいがあるわ」
柔らかく、包み込むような声。
「特にカレンちゃんは、残さず食べてくれるし」
「だって美味しいですもん」
カレンが即答すると、雪は少しだけ照れたように微笑んだ。
「……ありがとう」
その一言に、彼女の表情がさらに柔らぐ。
俺はその光景を見ながら、心の中で静かに思う。
――毎日ご飯を作ってくれる雪には、本当に感謝しないとな。
当たり前みたいに並んでいる食事。
当たり前みたいに流れる時間。
だが、それは決して当たり前じゃない。
守ってきたからこそ、ここにある。
これからも、守り続けるからこそ、続いていく。
テーブルを囲むこの時間を――
このダンジョンの日常を。
そう、静かに誓いながら、俺はもう一口、はちみつを舐めた。
甘くて、温かい味が、胸の奥に広がっていった。
朝食が終わると、皆はそれぞれ自然に持ち場へ散っていく。
子供たちは彩乃のもとへ向かい、勉強の時間。
雪はカフェの仕込みに戻り、カレンは無理のない範囲で手伝いを始める。
アイリスとエーデルワイスは巡回へ、マリーは射場で調整。
そして俺は――
結衣を連れて、ダンジョンの外へ出た。
目的は単純だ。
日用品の補充。
石鹸、布、保存食、工具類。
ダンジョン内で賄えるものは増えたが、それでも外の物資に頼る部分はまだ多い。
街に出た瞬間、違和感はすぐにあった。
「……人、少ないですね」
結衣が周囲を見回しながら、ぽつりと呟く。
確かに少ない。
平日の昼間とはいえ、明らかに人通りが減っている。
店のシャッターが閉まったままの通り。
営業していても、どこか元気のない看板。
歩く人々の表情にも、余裕がない。
「去年なら、この時期は――」
言いかけて、言葉を切った。
本来なら、クリスマスムード一色だったはずだ。
街路樹には電飾が巻かれ、商店街では音楽が流れ、
子どもたちの笑い声が、あちこちから聞こえていた。
だが今は、そんな面影はほとんど残っていない。
「ダンジョンブレイク、増えてますからね」
結衣の声は、前よりずっと落ち着いていた。
「この辺も、警戒区域が広がったって聞きました」
歩きながら、俺は周囲に意識を向ける。
魔力の流れ。
人の気配。
そして――不自然な“空白”。
「……来るな」
小さく呟いた、その直後だった。
路地の奥から、低い唸り声。
「っ……!」
結衣が即座に俺の前に出る。
現れたのは、小型の魔獣。
犬ほどの大きさだが、目が赤く、牙が異様に発達している。
以前なら、俺は即座に退避を指示していた。
だが今回は違った。
「……下がっててください」
結衣の声は、迷いがなかった。
一歩、前へ。
構えは無駄がなく、足運びも安定している。
魔獣が跳びかかる。
「はぁっ!」
乾いた音とともに、結衣の一撃が入った。
勢いを殺し、確実に急所を狙う。
魔獣は地面を転がり、動かなくなった。
周囲に、静寂が戻る。
「……大丈夫ですか?」
振り返ってそう言う結衣の表情は、少し息が上がっているものの、落ち着いていた。
「問題ない」
そう答えながら、俺は内心で静かに思う。
――強くなったな。
力だけじゃない。
判断も、覚悟も。
以前の結衣なら、もっと感情が先に出ていた。
今は、ちゃんと“守るために戦う”目をしている。
「最近、街でもこういうの増えてます」
結衣が周囲を警戒しながら言う。
「だから……外に出る人も減ってるんでしょうね」
俺は頷いた。
平穏は、確実に削られている。
街も、人も、少しずつ追い詰められている。
「……急ごう」
「はい」
必要な物を揃えたら、早めに戻る。
そう決めて、再び歩き出す。
背中越しに感じるのは、街の不安と、迫りつつある変化。
この世界は、もう以前には戻らない。
だからこそ――
守れる場所だけは、守り続けなければならない。
結衣の一歩後ろを歩きながら、俺は静かに、そう覚悟を新たにしていた。




