53話 妹視点
――桜視点――
ギルドのホールは、今日も人で溢れていた。
金属がぶつかる音、魔法の残滓が揺れる気配、張り出された依頼書を前にした冒険者たちのざわめき。
そんな喧騒の中で、私は掲示板の前に立っていた。
「……ここかな」
指先が止まったのは、一枚の依頼書。
――《深淵の森ダンジョン 調査依頼》
ランク:C
内容:モンスター数減少の調査、異常があれば報告。
「思ったより軽そうだね」
隣で、姫華が首をかしげる。
「でも“深淵”って名前がついてる時点で怪しくない?」
「あはは、名前負けしてるダンジョンも多いし」
私は軽く笑った。
実際、ここ最近の依頼はどれも拍子抜けだった。
私の剣は鈍っていない。
仲間も強い。
――正直、少し物足りないくらいだった。
「行こっか。早めに片付けて戻ろう」
そう言って振り返ったときだった。
「……少し、お時間よろしいですか?」
落ち着いた、低めの声。
振り返ると、受付カウンターの奥から一人の女性が出てきていた。
年の頃は三十前後。
黒髪をきっちりとまとめ、制服の着こなしもきっちりしている。
どこか軍人のような雰囲気。
「あなた方が、オリジン・ワンですね?」
「はい、そうですけど……」
「私はギルド受付係の**三枝**と申します」
深く、丁寧なお辞儀。
「この依頼に関して、少し補足があります」
彼女は声を落とし、周囲を一瞥してから続けた。
「正式には“調査依頼”ですが……最近、この森に入った冒険者が、妙に戻ってきません」
「え?」
「死亡報告ではありません。ただ、連絡が途絶えているだけです」
その言葉に、空気がわずかに張りつめる。
「ギルドとしても原因を掴みきれていなくて……正直に言えば、あまり楽観できません」
私は少しだけ考えたあと、笑ってみせた。
「でも、危険度はCですよね?」
「ええ……現時点では」
三枝さんは、言葉を選ぶように一拍置いた。
「ですが、もし異変を感じたら、無理をせず引き返してください」
その目は、本気だった。
「……あなたたちのような若い冒険者が、無理をするのを見るのは……正直、つらいんです」
その一言に、胸の奥が少しだけ温かくなる。
「ありがとうございます」
私は頭を下げた。
「でも、大丈夫です。私たち、ちゃんと帰ってきます」
そう言い切ると、三枝さんは一瞬困ったように笑い、
「……そう言ってくれるなら、信じます」
そう答えた。
依頼書に判を押し、カウンターを離れる。
背中に、彼女の視線を感じながら。
――その時はまだ、知らなかった。
この森が、
“楽勝”なんて言葉を許さない場所だということを。
私達はジャングルの中を警戒しながら歩いていた。
深淵の森ダンジョンと聞いて、もっと禍々しい場所を想像していたからだ。
実際に足を踏み入れた森は、どこか静かで、風の音が心地よく、光も差し込んでいた。
「……意外と、普通だね」
私の言葉に、仲間たちも頷く。
「Cランクだしな。拍子抜けだよ」
「気を抜くなよー?」
軽口を叩き合いながら、私たちは進んでいた。
そのときの私は、自分が強くなったと、どこかで思い上がっていた。
剣聖のスキル。
数々の実戦。
仲間との連携。
――もう、守られる側じゃない。
そう思った、その瞬間。
足元が、不自然に沈んだ。
「……え?」
次の瞬間、地面が崩れた。
「っ――!?」
身体が宙に投げ出される。
咄嗟に剣を突き立てるも、柔らかい土に弾かれる。
「桜!!」
仲間の叫びが遠ざかる。
絡みつく蔦。
魔力を吸う嫌な感触。
(……罠……!?)
身体が重く、思うように動かない。
「……くっ……!」
必死に剣を握るが、力が抜けていく。
その瞬間、胸をよぎったのは――
(お兄ちゃん……)
病室で眠る兄の姿。
あのとき、私は何もできなかった。
それなのに、今も。
(……また、守れない……)
悔しさと恐怖で視界が滲んだ、その時だった。
――風が、吹いた。
それも、生ぬるい風じゃない。
鋭く、澄んだ、刃のような風。
絡みつく蔦が一瞬で断ち切られる。
「……え?」
身体がふわりと浮いた。
誰かに、抱き上げられた感覚。
視界に入ったのは、白い髪。
風を纏う、凛とした女性。
「大丈夫ですか」
落ち着いた声。
どこか冷たいのに、不思議と安心する声だった。
「あなたは……?」
問いかけると、彼女はほんの一瞬だけ視線を逸らした。
「……通りすがりです」
その言葉とは裏腹に、彼女の周囲では風が渦を巻き、近づく魔物を一瞬で切り裂いていく。
圧倒的だった。
力で押すのではなく、無駄のない動き。
必要最低限の殺意。
「……すご……」
思わず漏れた言葉に、彼女は少しだけ困ったように眉を下げた。
「あなたは、ここに来るべきではありません」
その声音には、責める色がなかった。
「でも……」
言いかけたとき、彼女は私をそっと地面に下ろした。
「ここから先は、私が引き受けます」
「待って!」
思わず声を上げる。
「あなたは……誰なんですか?」
彼女は一瞬だけこちらを振り返った。
その瞳は、澄んでいて――
どこか、寂しそうだった。
「……アイリス」
そう名乗って、微かに微笑む。
その瞬間、理解した。
――モンスター。
けれど、恐怖はなかった。
むしろ、胸の奥に温かいものが広がる。
「……ありがとう」
そう言うと、彼女は少しだけ目を見開き、すぐに視線を逸らした。
「礼など……必要ありません」
そして、風が強く吹いた。
次の瞬間、彼女の姿は霧のように消えていた。
残された私は、膝に力が入らず、その場に座り込む。
胸が、まだ高鳴っている。
(モンスターが……優しい……?)
今まで、そういう存在だなんて思いもしなかった。
でも、確かに――助けられた。
それは紛れもない事実だった。
「……私、もっと強くならなきゃ」
小さく呟く。
守られる側でいるだけじゃ、ダメだ。
誰かを守れるくらい、強くならなきゃ。
あの白い風の人に、もう一度会った時、
今度は対等に話せるように。
深淵の森の奥で、私はそう誓った。
そして――
その“風”が、私の大切な人に繋がっているなんて、
この時の私は、まだ知る由もなかった。
――円頓寺ダンジョン・中枢。
静かな空気の中、書類に目を通していると、背後から軽い羽音がした。
「主」
振り返ると、白い翼をたたんだハーピー――アイリスが立っている。
「偵察から戻りました」
「何かあったか?」
いつもと同じ問いかけだったが、彼女の表情が少しだけ硬い。
「深淵の森ダンジョン周辺で、冒険者パーティと遭遇しました」
「そうか、アイリスは怪我はないか」
「私は問題ありません。しかしその中に……見覚えのある気配がありました」
「見覚え?」
「はい。主がよく知っている人物です」
一瞬、胸がざわつく。
「……誰だ?」
アイリスは少しだけ言いづらそうに視線を逸らした。
「“桜”と名乗っていました」
その名を聞いた瞬間、思考が止まった。
「……桜?」
「はい。主が前に妹がいると話しており、桜と呼んでいた記憶があります。」
息が詰まる。
桜――
俺の妹。冒険者学校で生活を送っているだけだと思っていた。
「……何をしてた?」
「オリジンワンというパーティに所属していました。戦闘中でした」
言葉が喉につかえる。オリジンワンって新進気鋭のパーティではないか。
「……戦って、た?」
「はい。前衛で仲間を庇っていました」
頭の奥が、じんと熱くなる。
「怪我は?」
「軽傷です。致命的ではありませんでした」
胸をなで下ろす。
「そうか……」
しばらく黙り込む。
「……だが、桜が戦えるなんて……」
俺の知っている桜は、危ないことを好むタイプじゃなかった。
むしろ、誰かの後ろでついていき支える側だったはずだ。
「彼女は“剣聖”のスキルを持っています」
アイリスの言葉に、思わず顔を上げる。
「……剣聖?」
「はい。かなりの実力です。戦い方も洗練されていました」
……知らなかった。
毎日のように顔を合わせて、話もしていた。
それなのに、俺は何も気づいていなかった。
「……そうか」
視線を落とす。
「俺は、何も知らなかったんだな」
「いいえ」
アイリスが首を振る。
「主は、知らなかったのではなく……知ろうとしなかったのだと思います」
その言葉が、胸に突き刺さる。
「守るために、距離を取っていた」
「その優しさが、逆に見えなくしていたのかもしれません」
しばらく沈黙が続く。
やがて、俺は静かに言った。
「……今は、まだ会わない」
「はい」
「だが、危険が及ぶなら――」
「その時は、私が知らせます」
アイリスはそう言って、静かに頭を下げた。
「……彼女は、強いです。ですが世の中にはもっと強い者がいます。それにちょっと生き急いでいるような感じが見受けられます
「昔から、そうだ」
苦笑する。
「だからこそ……お兄ちゃんが見ていないと、な」
俺は天井を見上げる。
同じ空の下で、同じ時間を生きている。
それだけで、今はいい。
――まだ、交わらなくていい。
それぞれの場所で、進めばいい。
そう、思っていた。




