52話
まだ本調子とは言えないものの、体調は驚くほど安定していて、歩くことも、少しなら走ることもできるようになっていた。
「ねえ、今日はどこに行こうかな?」
朝の光が差し込む通路で、彼女はそんなふうに笑う。
その声は、ダンジョンに少しずつ“日常”を取り戻させていた。
◆
最初に訪れたのは――ジャングルエリア。
青々とした木々の間を抜けると、トレントがゆっくりと枝を揺らして迎えてくれる。
「わぁ……大きい……!」
カレンは目を輝かせて見上げた。
「こんにちは。今日はいい天気だね」
当然、言葉は返ってこないが、トレントは枝を揺らし、葉を落とすことで応えた。
「今、返事してくれたよね?」
そう言って笑う彼女を見て、フロースが少しだけ驚いたような顔をする。
「……植物の反応が、明らかに柔らかい」
カレンが触れた場所だけ、葉が瑞々しく輝いていた。
「ふふ、くすぐったいのかな?」
トレントは、照れるように枝を揺らした。
◆
次に向かったのは、地下の墓地エリア。
薄暗い通路に、青白い灯りが揺れている。
「ここは……ちょっと、ひんやりするね」
そう言いながらも、カレンは怯えなかった。
スケルトンたちがぎこちなく整列する。
「えっと……こんにちは?」
間があってから、スケルトンがぎこちなく手を振った。
「……ふふ。かわいい」
その一言で、スケルトンたちは明らかに動揺した。
ざわざわと骨が鳴る。
「うん。かわいくてかっこいいよよろしくね?」
その言葉に、彼らは誇らしげに背筋を伸ばした。
ワイトが少し離れた場所からその様子を見て、静かに頷く。
「(……不思議な方だ)」
◆
廃遺跡エリアでは、ゴーレムたちが作業をしていた。
石を積み、通路を補修し、静かに働くその姿に、カレンは思わず拍手した。
「すごい……力持ちなんだね!」
ゴーレムは一瞬動きを止め、それから少し誇らしげに胸を張った。
オークたちも、照れたように鼻を鳴らす。
「なんだか、みんな……優しい顔してる」
その言葉に、マリーが小さく笑った。
「それ、あんたがそう見てるからだよ」
◆
そして、都市エリア。
星ヶ丘カフェの前では、雪が忙しそうに立ち働いていた。
「いらっしゃいませ〜……あ、カレン!」
「雪さん!」
ふたりは自然に笑顔を交わす。ひとしきりガールズトークをした2人。
「無理してない?」
「うん、大丈夫。楽しいの」
そう言う雪の横で、結衣が野菜を運んでいた。
「カレン、後で一緒に畑行こ?」
「行く行く!」
その様子を見て、カレンは少し胸があたたかくなる。
「……ここ、ほんとに“家”みたいだね」
◆
最後に訪れたのは、静かな場所。
小さな丘の上、ネモフィラが揺れる場所。
「わぁ……」
青い花畑に、風が吹き抜ける。
「きれい……」
彼女はそっと膝をついて、花に触れた。
「ここでね……」
そう言って、振り返る。
「前に、土門くんが言ってたの。ここは“守りたい場所”だって」
その言葉を思い出して、胸がじんわりと温かくなる。
「私も……守りたいな」
そっと、微笑む。
「この場所も、みんなも」
その時、風が強く吹き、花が一斉に揺れた。
まるで祝福するように。
カレンがダンジョンの中を歩いていく後ろ姿を、俺は少し距離を取って見ていた。
明るくて、誰にでも笑顔を向けて、
どんな存在にも自然に話しかける――
そんな彼女を見ていると、胸の奥が少しだけ痛む。
彼女はもう知っている。
この場所が「優しい世界」だけじゃないことを。
俺が、どんな選択をしてきたのかも。
ダンジョンは、人を守る場所だ。
だが同時に、人を殺す場所でもある。
それを、彼女は理解している。
それでも――
「土門くん」
不意に呼ばれて、足を止めた。
振り返ると、カレンが少し困ったように、でもまっすぐな目でこちらを見ていた。
「ね、私……知ってるよ」
胸が、ぎゅっと締め付けられる。
「このダンジョンで、たくさんの命が失われたこと」
一瞬、言葉を失う。
でも、彼女は続けた。
「でもね、それでも私は……あなたのこと、怖いって思えなかった」
ゆっくり、近づいてくる。
「だって……あなたは、守ろうとしてた」
「守るために、選んだんだって……分かるから」
その言葉は、責めるでもなく、許すでもなく――ただ、受け止めてくれる声だった。
俺は思わず、視線を逸らす。
「……俺は、いい人間じゃない」
「分かってる」
即答だった。
「でも、悪い人でもない」
彼女はそう言って、少し笑った。
「それに……守られるだけなんて、嫌だよ」
俺は、はっとして彼女を見る。
「私だって、ここにいるんだもん」
小さく拳を握りしめる。
「一緒に立ちたい。守られる側じゃなくて、隣で」
その言葉に、胸の奥が熱くなる。
「……危ないんだ」
「知ってる」
「怖い思いも、する」
「うん」
それでも――と、彼女は続けた。
「それでも、土門くんが背負ってるものを、少しでも一緒に持ちたい」
風が吹いて、ネモフィラが揺れた。
青い花が、静かに波打つ。
俺は、ゆっくりと息を吐く。
「……ありがとう」
それしか言えなかった。
カレンは、ふっと微笑んで、俺の隣に立つ。
「ね。これからは一人じゃないでしょ?」
その言葉が、胸に深く染み込んだ。
ダンジョンは危険だ。
血も、死も、絶望もある。
それでも――
彼女が隣にいるなら。
守るだけじゃない。
一緒に、進める。
そんな気がした。
俺は、静かにうなずいた。
「……ああ」
風がまた吹いた。
ネモフィラの花が、まるで祝福するように揺れていた。




