40話 戦いの終わり
胸の奥に、ずしりと重たい“終わり”が沈んでいたのは、火山ダンジョンが崩壊したという事実よりも先に、戦いの間ずっと張りつめていた緊張がようやく解けて、代わりに疲労と不安と責任だけが一気に押し寄せてきたからで、息を吸っても肺の底まで空気が届かないような感覚のまま、俺は中枢の薄暗い光の中でしばらく動けずにいた。
――神の声が、頭の奥で静かに、けれど抗いようのない重さで響く。
《ダンジョン【熱々の火山】の崩壊を確認》
《ダンジョンマスター・火鬼の消滅を確認》
《戦争状態、終結》
勝ったのだ、と理解するには十分すぎる言葉だったのに、その瞬間に湧き上がったのは歓喜じゃなくて、ようやく終わったのにまだ終わっていないような、胸の奥をざらつかせる落ち着かなさで、俺は無意識に拳を握り締めていた。
続けて神の声が、まるでただの計算結果を読み上げるみたいに淡々と続ける。
《インフェルノジャイアント討伐:成功》
《敵対ダンジョン撃破:高評価》
《総合戦果:極めて高》
《獲得ダンジョンポイント:1,000,000》
百万。
数字の桁が現実味を剥ぎ取っていく、眩暈がするほどの大きさなのに、俺の中でそれは“ご褒美”として光らず、むしろ代償の重さを測る秤の針みたいに感じられて、視線を逸らしたくなるのを堪えながら、俺はゆっくりと息を吐いた。
ポイントの使い道は後でいい、という言い訳は簡単にできたが、本当は“考える余裕がない”のが正しかった。
戦いの最後、インフェルノジャイアントの巨体をどうにか押し留めようとして、俺のダンジョン全体が限界まで軋む中で、結衣は戦った。その時進化したガーディアンキャットがインフェルノジャイアントを倒した。
「彩乃」
通信を開くと、応答はすぐ返ってくるが、その声の端にこびりついた疲労が、今このダンジョンがどれだけ削られたかを正直に語っていた。
『……はい、主』
「負傷者の状況は」
『重傷が数名、致命傷はありませんが治療が必要です、それと……結衣さんが火傷と打撲で、意識はありますが朦朧としています』
その瞬間、胸の奥のざわつきが、はっきりと痛みに変わる。
「……わかった、俺も行く、優先順位は結衣を最優先、その次に前線で倒れた連中だ、無理はするな」
『了解です』
通信を切った俺は、座り込む代わりに歩き出した。
疲れた、ゆっくりしたい、という欲求は確かに胃の奥からせり上がってきたが、仲間が傷ついているのに眠るなんて選択肢は最初からなくて、むしろ“疲れたからこそ”動かなきゃいけないという妙な義務感だけが、足を前に出させた。
◇
医療区画に近づくほど、空気が変わる。
戦場の熱と騒音は薄れ、代わりに治癒術式の淡い光と、消毒の匂いにも似た清浄な魔力の匂いと、誰かが痛みを堪える呼吸の音が、静かに胸を圧してくる。
「……」
医療区画の中央、簡易ベッドが並ぶ中で、結衣は奥の方に寝かされていた。
顔色は白く、額には汗が浮いていて、肩口から腕にかけて包帯が巻かれ、その隙間から覗く皮膚は赤黒く熱を持ったまま、火傷の跡が痛々しい形で残っている。
「結衣」
呼びかけると、まぶたがゆっくり開いた。
焦点が合うまで数秒かかり、それでも俺の影を認識したのか、彼女は弱々しく口角を上げようとして失敗し、代わりに短い息だけを漏らした。
「……だい、もん……くん……」
その声が、かすれているのに確かに生きていて、胸の奥の張りつめていた糸が一瞬だけほどける。
「無茶したな」
責める言葉のはずなのに、口に出た瞬間、どうしようもなく弱い音になってしまった。
結衣は首をほんの少し動かそうとして、痛みに顔をしかめ、けれどそれでも目だけは逸らさずに、必死に何かを伝えようとする。
「……すこしは役にたてたかな、、、もっと強くなりたい」
そこまで言って、息が続かなくなったのか、結衣は小さく咳き込み、彩乃がすぐに治癒の光を強めながら、落ち着かせるように声をかける。
「結衣さん、喋らなくていいです、今は呼吸を整えてください」
俺はベッドの縁に手を置き、結衣の手をそっと握った。
火傷のせいで熱が残っていて、その熱が逆に怖くて、指先に力を入れすぎないよう意識しながら、俺は小さく息を吐く。
「……守れたのは、お前のおかげだ」
結衣の指が、ほんの少しだけ動いた。
握り返すというより、そこに“いる”と示すみたいに、弱く、確かに。
周囲には、疲弊した仲間たちがそれぞれの形で休んでいる。
マリーは壁にもたれ、弓を抱いたまま目を閉じていて、口元だけが不機嫌そうに尖っているのに、その表情の奥にある安堵が透けて見える。
トレントは枝葉を垂らし、まるで燃え尽きた樹のように沈黙している。
スケルトンたちは無言のまま持ち場に戻り、倒れた仲間がいないかを確認するように歩哨の動きを続けている。
勝利のあとに残る光景は、華やかさとは程遠くて、ただ静かで、重くて、現実的だ。
「……ポイントは百万、でも今は使わない」
俺は誰に言うでもなく呟いた。
今この瞬間に必要なのは建築でもガチャでもなく、治療で、回復で、次に備えるための“呼吸”で、ここで焦って何かを積み上げたって、土台が壊れていたら全部崩れる。
「彩乃、今日は医療区画を最優先で回してくれ、必要ならポイントも使う、遠慮はいらない」
彩乃が小さく頷く。
「……わかった」
俺は結衣の手をそっと戻し、ベッドの脇で深く息を吸う。
疲れた。確かに疲れた。
ゆっくりしたい。心の底からそう思う。
けれどその欲求は、仲間が安全に眠れる状態を作ってからでいい。
「勝ったんだ」
もう一度、噛み締めるように呟く。
勝った。守った。
だから次は、この“勝ったあとの責任”を、俺が背負う番だ。
了解。
インフェルノジャイアントを完全に削除し、火山ダンジョンの“ダンジョンマスター討伐”のみで成立する形に書き直すね。
⸻
医療区画を一通り見回り、ようやく一息つける場所に腰を下ろした、その時だった。
静かな羽音が、空気を震わせる。
入口の方から、偵察に出していたハーピーが戻ってくる。
羽の端は煤で黒ずみ、ところどころ焦げているが、致命的な傷はない。
「……主、報告です」
その声を聞いた瞬間、胸の奥がわずかに締めつけられた。
「火山ダンジョン……攻略されました」
言葉は短かったが、意味は重い。
「ギルド所属の冒険者パーティが突入し、
ダンジョンマスターを討伐。
ダンジョンは、完全に崩壊しています」
しばらく、何も言えなかった。
あの火山ダンジョン。
攻撃的で、荒々しく、そしてこちらを明確に敵と見なしていた存在。
「……そうか」
ようやく、それだけを口にする。
「冒険者が、やったんだな」
ハーピーは静かに頷いた。
「はい。戦闘は激しかったようですが……
結果として、ダンジョンマスターは討たれました」
胸の奥に、重くのしかかっていた何かが、少しだけ溶けていく。
あのまま戦いが続いていたら――
こちらも、相当な犠牲を覚悟しなければならなかった。
「……助かった」
思わず、そう漏れる。
ハーピーが小さく首を傾げる。
「主は……悔しくはないのですか?」
「ないわけじゃない」
俺は正直に答えた。
「でも、勝つことより、生き残ることの方が大事だ」
戦いは選べないこともある。
だが、選ばずに済むなら、それに越したことはない。
「ギルドに情報を流した判断は、間違ってなかった」
そう言って、軽く息を吐く。
ハーピーは、どこか安堵したように羽を揺らした。
「それでは……脅威は去った、ということでしょうか」
「ああ。少なくとも、今すぐの危険はない」
俺は視線を医療区画の方へ向けた。
結衣は、まだ眠っている。
火山ダンジョンから発した熱と衝撃の影響で負った火傷と打撲は、命に別状はないが、回復には時間がかかる。
仲間たちも、それぞれ疲労を抱えて休んでいる。
カレンも起きる様子はない。
「……今は、休もう」
戦いは終わった。
少なくとも、ひとつは。
だが世界はまだ、ダンジョンに飲み込まれ続けている。
この場所を守るために、
次の嵐に備えるために――
俺は静かに歩き出した。
次の選択を、間違えないために。




