21話 カレン誘拐作戦
それからというもの、俺は外の世界の動きを注意深く追っていた。
ニュース、ネット、噂話――どれも断片的だが、確実に“異常”は日常になりつつある。
病院に関しても同じだった。
雪が運び出された件は、思ったほど騒ぎになっていない。
ダンジョン由来の患者が日々運び込まれ、医療現場は完全にパンク状態。
一人消えたところで、追いきれない――そんな状況だった。
つまり、今が一番動きやすい。
「……今なら、いけるな」
俺はダンジョンの中で、ゆっくりと息を吐いた。
カレンのことを思う。
意識を失ったまま、病室でただ時間が過ぎていく彼女。
助ける手段は、もう揃っている。
あとは――連れてくるだけだ。
◇
「カレンを、ここに連れてくる」
そう告げた時、皆の表情が一瞬引き締まった。
アイリスは静かに頷き、
「既に把握しています。準備は整っています」と答える。
マリーは腕を組みながら、少しだけ真剣な顔をした。
「いよいよだね。
でもまあ、あーしがいるんだから大丈夫でしょ」
結衣も、ぎゅっと拳を握る。
「……私も手伝います。お姉ちゃんが助けてもらったんです。今度は私が」
俺は皆を見渡し、最後に一言だけ言った。
これからもよろしく頼むと。
準備を終え、俺は一人でダンジョンの奥へ向かう。
呼び出すのは――
「シャドウウルフ」
闇が揺れ、影が集まる。
現れたのは、静かに佇む黒い狼。
赤い瞳が、まっすぐ俺を見上げていた。
「頼む。病院まで案内してくれ」
シャドウウルフは低く喉を鳴らすと、影の中に溶けるように身を沈める。
その瞬間、空間が歪んだ。
影が伸び、俺の身体を包み込み、足元の感覚が消える。
――転移。
視界が切り替わり、冷たい夜風が頬を打つ。
そこは、街の外れにある総合病院の裏手だった。
白い外壁、非常灯、夜勤の明かり。
人の気配はあるが、どこか慌ただしく、余裕がない。
「……ここか」
俺は小さく息を吐く。
ここに来る前、アイリスが偵察を終えていた。
病院内の人の流れ、警備の位置、監視カメラの死角。
そして――
「カレンは、三階の個室。重症患者区画です」
あの淡々とした声が脳裏によみがえる。
「現在も魔力反応を確認しています。
命の危険はありませんが、放置すれば衰弱が進行します」
つまり、時間はあまりない。
シャドウウルフが低く唸り、建物の裏手を指し示す。
人の出入りが少なく、影の濃い通路。
「……案内、感謝する」
俺は深く息を吸い、気配を殺して一歩踏み出した。
この先に、カレンがいる。
守るために。
連れ出すために。
そして――この世界の理不尽から、救い出すために。
静かに、闇の中へと溶け込んでいった。
病室のカーテンをそっと開けると、そこには――
ベッドに横たわる、カレンの姿があった。
顔色は青白く、呼吸は浅い。
胸はわずかに上下しているが、まるで眠っているだけのようで、けれどその静けさが逆に不安を煽る。
「……カレン……」
思わず声が漏れた。
近づいて、ベッドの脇に立つ。
細くなった腕、冷たい指先。
触れた瞬間、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。
――生きている。
でも、このままじゃ……。
視界が滲む。
「……今助けるからな」
そう言っても、返事はない。
それでも、俺は話しかけずにはいられなかった。
ふと、記憶がよみがえる。
――小学生の頃。
二人で初めて遊園地に行った日。
ジェットコースターが怖くて、俺が泣きそうになったとき、
「大丈夫だって!ほら、手つなご?」
そう言って笑ってくれたカレン。
――裏山に秘密基地を作った日。
段ボールとブルーシートで作った、あまりにも貧相な“城”。
それでも二人で座って、
「ここ、秘密な!」
なんて言って、夢中で話していた。
――勉強が苦手な俺に、根気よく教えてくれた夜。
「もう、なんでこんなの分かんないの~」
そう言いながらも、最後まで付き合ってくれた。
いつも、隣にいた。
当たり前みたいに、そこにいてくれた。
「……なあ、カレン」
声が震える。
「今度は、俺が助ける番だ」
拳をぎゅっと握りしめる。
「ずっと……お前に守られてきたんだ。
だから今度は、俺が――」
――俺は、そっと息を吸い込んだ。
「……今度は、俺が守る番だ」
そう呟いた瞬間、足元の影が静かに蠢いた。
「来い、シャドウウルフ」
影が広がり、床一面を覆う。
まるで闇そのものが応えるように、黒い波がベッドの下から立ち上がった。
「……少しだけ、我慢してくれ」
カレンの身体ごと、そっと抱き上げる。
その軽さに、胸が締めつけられた。
そして次の瞬間――
影が跳ね上がり、俺たちを包み込んだ。
――転移。
視界が暗転し、重力が一瞬だけ消える。
◇
次に視界が戻ったとき、そこはダンジョンの病室だった。
柔らかな魔力の灯り。
清浄な空気。
穏やかに循環する魔力の流れ。
「……戻ったか」
俺はカレンを、用意されていたベッドへと静かに寝かせる。
その場には、すでに皆が集まっていた。
ワイルドキャットはベッドの横にちょこんと座り、尻尾をゆっくり揺らしている。
アイリスは背筋を伸ばし、冷静に状態を確認していた。
マリーは腕を組みながらも、真剣な眼差しでカレンを見つめている。
そして結衣と雪は、緊張した面持ちで一歩下がって様子を見守っていた。
俺は、そっとシャドウウルフの頭を撫でた。
「ありがとう。助かった」
低く喉を鳴らし、シャドウウルフは影の中へと溶けていく。
それから、皆の方を向いた。
「……この子が、カレンだ」
一瞬、空気が引き締まる。
「魔力欠乏症だ。
ここ――このダンジョンなら、命を繋げる。
だが、それにはみんなの力が必要になる」
そう言って、俺は頭を下げた。
「協力してほしい」
最初に口を開いたのは、アイリスだった。
「承知しました、主。
この方はダンジョンにとっても重要な存在です。
全力で管理・保護を行います」
揺るぎない声だった。
次にマリーが肩をすくめる。
「ま、事情はだいたい分かったよ。
あーしも協力する。こういうの、嫌いじゃないし」
軽い口調だが、その目は真剣だった。
ワイルドキャットは「にゃぁ」と小さく鳴き、カレンのそばに丸くなる。
まるで守るように。
そして――
「うふふ……お姉さんも、頑張るわ」
柔らかな声が響く。
雪が、少し大人びた微笑みを浮かべていた。
その表情には、包み込むような優しさと、静かな覚悟が滲んでいる。
最後に、結衣が一歩前へ出た。
「……私、お姉ちゃんを助けてもらったから」
拳を握りしめ、まっすぐに前を見つめる。
「今度は私が、誰かを助けたい」
その声は震えていない。
覚悟の宿った、強い声だった。
「だから……ここで、頑張ります」
その言葉を聞いて、胸の奥がじんわりと熱くなる。
「ありがとう、みんな」
俺は深く息を吸い、カレンの顔を見る。
穏やかな寝息。
もう、苦しそうじゃない。
「ここが、お前の居場所だ」
そう呟いて、仲間たちを見渡す。
――このダンジョンは、もうただの巣じゃない。
守る場所であり、帰る場所だ。
そして、ここからが本当の始まりだった。




