19話 ポーションの力
俺は一度、深呼吸してから声をかけた。
「アイリス、来てくれ」
ほどなくして、翼の羽音とともに彼女が部屋に現れる。
いつも通り、背筋を伸ばした姿勢で。
「お呼びでしょうか、主」
その姿を見た瞬間、ベッドの上に座っていた少女――結衣がびくっと肩を跳ねさせた。
「……っ!? な、なに……?」
目を見開いて後ずさる。
羽の生えた人型を見れば、無理もない。
「だ、大丈夫だ」
俺はすぐに声をかける。
「この人は味方だ。俺の仲間」
アイリスは少し戸惑ったように首を傾げ、それから一歩下がった。
「……驚かせてしまいましたか。申し訳ありません」
ぴしっと頭を下げた拍子に、羽根が変な方向に揺れて、壁に軽く当たる。
「いっ……」
小さく声を上げて、羽を押さえる姿に、結衣が思わず瞬きをする。
「……え?」
「だ、大丈夫です。よくあることですので……」
その様子に、結衣の表情から警戒が少し抜けた。
「……なんか、思ってたのと違う」
「?」
「もっと怖い感じかと思ってた……」
その言葉に、アイリスは少し困ったように微笑む。
「よく言われます」
空気が、ほんの少し和らいだ。
俺はそこで話を切り出す。
「結衣。
君のお姉さんが食べた果物のこと、詳しく教えてくれ」
結衣は頷き、スマホを取り出した。
「これです。お客さんにもらったって言ってて……」
画面には、赤く艶のある果実が映っている。
林檎に似ているが、どこか歪な模様がある。
アイリスはじっと見つめ、首を横に振った。
「……申し訳ありません。私には分かりません」
「え?」
「私は空と山の境界に棲む種族です。森の果実には詳しくないのです」
少し申し訳なさそうに視線を伏せる。
その時。
「それ、グレムリンゴじゃん」
軽い声が部屋に響いた。
「……マリー?」
いつの間にか壁にもたれていたダークエルフが、腕を組んでこちらを見ていた。
「森に住んでたからね。あーし、これ知ってる」
マリーはスマホを覗き込み、ため息をつく。
「それ、見た目は美味しそうだけど、ガチでヤバいやつ。
食べたら魔力回路を内側から焼く毒だよ」
結衣の顔が青ざめる。
「……そ、そんな……」
「治す方法は?」
俺が聞くと、マリーは少し真剣な顔になる。
「二つある。
ひとつは高位の聖魔法。
もうひとつは、解毒用の上級ポーション」
一瞬の間。
「……どっちも、簡単じゃない」
「ポーションなら……?」
マリーは、ちらりとこちらを見る。
「今あるポイント、全部使えば……ギリ、買えるかもね」
沈黙が落ちた。
結衣は唇を噛みしめ、拳を強く握る。
「……お願いします」
震えながらも、はっきりと言った。
「お姉ちゃんを助けられるなら、なんでもします」
部屋の空気が、静かに張り詰める。
俺は目を閉じ、一度だけ深く息を吸った。
――ここで迷うわけにはいかない。
ダンジョンの静寂の中、俺は意識を集中させてメニューを開いた。
半透明のウィンドウが空中に浮かび、無機質な文字が並ぶ。
――《アイテム一覧》
――《消費系》
――《回復・治療》
指を滑らせると、見覚えのある項目が現れた。
《高位解毒ポーション》
《効果:ダンジョン由来の毒・呪いを完全除去》
《必要ポイント:9,800》
残りポイント表示が、赤く点滅している。
「……これだ」
迷いはなかった。
その瞬間、アイリスが一歩前に出る。
「主……本当によろしいのですか?」
静かな声だったが、そこには強い確認の意志があった。
「このポーションを購入すれば、当面の拡張、防衛強化は不可能になります。
次に危険が訪れた時、対応できる保証はありません」
俺は彼女を見て、ゆっくり頷く。
「分かってる」
それでも――と、言葉を続ける。
「今ここで助けなきゃ、意味がない」
アイリスはしばらく黙り込み、それから深く頭を下げた。
「……承知しました」
指先が光に触れた。
《解毒ポーション 購入完了》
《残りポイント:僅少》
淡い光とともに、透明な瓶が宙に現れる。
中には淡く青白く輝く液体が揺れていた。
「これが……」
その瞬間、結衣が息を呑む。
「……お姉ちゃん、助かるんですよね……?」
「ああ。必ず」
俺はそう答え、アイリスに視線を向けた。
「悪いが、頼めるか」
「承知しました」
アイリスはすぐに理解し、翼を広げた。
「結衣さん、私と一緒に来てください」
「……はい!」
結衣は立ち上がり、少しよろめきながらも頷いた。
「お姉ちゃんを、連れてきます」
二人が部屋を出ていくのを見送りながら、俺は解毒ポーションを手に取る。
瓶の中で、淡い光が脈打つように揺れている。
「……頼むぞ」
呟きは、誰に向けたものでもなく、ただ自分自身への言葉だった。
ダンジョンの奥で、静かに運命の歯車が回り始めていた。




