14話 攻略完了
奥へ進むにつれ、ダンジョンの空気はさらに重くなっていった。
戦いの音が遠のいた静寂の中で、足音だけがやけに大きく響く。
広間の中央に、男がいた。
肥えた体を震わせ、膝をつき、両手を必死に上げている。
ゴブリンに囲まれていたはずの支配者は、今や一人の弱者だった。
「ま、待て……話せる、話せるだろ?」
平針亀雄。
視線は落ち着きなく揺れ、こちらとアイリスを交互に見ている。
「殺さないでくれ……頼む。俺はただ、運が良かっただけなんだ」
早口で言葉を重ねる。
「女なら……くれてやる。いい思いもさせてやるし、同盟だって組める。ほら、ダンジョンマスター同士だろ? 命だけは、命だけは――」
その言葉を、俺は最後まで聞けなかった。
男の背後、石床に転がる影が目に入ったからだ。
鎧は歪み、意識はない。
呼吸だけが、かろうじて続いている。
胸の奥で、何かが音を立てて崩れた。
「……」
言葉が出ない。
代わりに、強烈な苛立ちが込み上げてくる。
俺は視線を逸らさず、アイリスに問いかけた。
「こいつを……生かす意味はあるか?」
一瞬の間もなく、彼女は答えた。
「ありません」
冷静で、迷いのない声。
「クズは不要です。ゾンビの餌にしましょう」
亀雄の顔が、引きつった笑みに変わる。
「な、何言って――冗談だろ!? 俺は役に立つ! ゴブリンも、ダンジョンも――」
その言葉は、途中で途切れた。
背後から、腐臭と共に影が迫る。
ゾンビたちが、音もなく、しかし確実に距離を詰めていた。
「待て……やめろ……!」
必死に後ずさる男を、ゾンビの腕が捉える。
引き倒され、叫びが広間に響く。
俺は、目を閉じなかった。
心が、わずかに揺れたのは確かだ。
だが、ここで目を逸らせば、また同じことが繰り返される。
「……この地の、安寧のためだ」
自分に言い聞かせるように、そう呟く。
やがて、声は途切れ、動きも止まった。
その直後だった。
頭の奥に、あの無機質な声が響く。
《ダンジョン攻略を確認》
光が広間を満たし、ゴブリンのダンジョンは静かに崩壊を始めた。
俺は、床に倒れた少女の方へ一歩踏み出す。
この戦いは、終わった。
一度ダンジョンに戻ろう。
少女を担いだ俺は崩壊しかけたダンジョンを配下とともに去っていく。
ダンジョンに戻ったら神の声がまた聞こえてきた。
頭の奥に、はっきりとした声が響いた。
《ダンジョン攻略完了》
無機質で、感情のない宣告。
だが、続く言葉は重かった。
《攻略報酬を付与します》
視界の端に、半透明のウィンドウが展開される。
《ダンジョンポイント:+10,000》
思わず息を呑む。
今まで積み上げてきたポイントとは、桁が違う。
ダンジョン一つ分の価値が、そこにはあった。
だが、報酬はそれだけでは終わらなかった。
《配下モンスター獲得》
《ゴブリンゾンビ ×30》
《進化スケルトン(魔法適性個体) ×1》
倒れていたゴブリンたちの死体が、ゆっくりと蠢き始める。
完全に敵意を失い、俺の支配下に組み込まれていく感覚が、確かに伝わってきた。
特に、最後のスケルトン。
骨の隙間に、淡い魔力の流れが見える。
「……魔法を使える、スケルトン」
ダンジョン防衛にとって、どれほど貴重かは言うまでもない。
だが――
ウィンドウは、まだ消えなかった。
《特別報酬:対象一名》
文字を追った瞬間、胸の奥がざわつく。
《判断を要します》
《対象:人類女性》
俺は、視線を床へ落とした。
そこには、先ほど見た少女が横たわっている。
意識はなく、呼吸は浅いが、確かに生きている。
《選択肢を提示します》
《保護する》
《支配下に置く》
《放棄する》
喉が、ひくりと鳴った。
「……人が、報酬?」
思わず口に出る。
ダンジョンという存在が、どこまで世界を歪めるのか、今さらながら理解させられる。
アイリスが、静かに隣に降り立った。
「ダンジョンとしては、合理的な処理です」
感情を交えない、秘書としての声。
「保護すれば、あなたの管理下に置かれます。
支配下に置けば……命令に従う存在になります。
放棄すれば、このダンジョンの崩壊と共に、彼女の運命は外の世界に委ねられます」
俺は、拳を握った。
ゴブリンのダンジョンで、何が行われていたかを思い出す。
そして、カレンの顔が、脳裏をよぎる。
「……そんな選択を、簡単にできるわけないだろ」
人類はできる限り守りたいと思った。
だが同時に、関わることの重さも分かっている。
この世界では、善意だけでは生き残れない。
だが、合理性だけで切り捨てることも、俺にはできなかった。
俺は、深く息を吸う。
「少し……考えさせてくれ」
ウィンドウは、応答するように静止したまま、消えない。
ダンジョンは、すでに俺のものになった。
だが――
この報酬だけは、ダンジョンマスターとしてではなく、一人の人間として選ばなければならなかった。
夜明けは、まだ遠い。




