12話 オタク 別視点
平針 亀雄は、その日も自室の暗がりで一人、モニターの光に照らされていた。
カーテンは閉め切られ、昼か夜かも分からない。
学校にはもう何週間も行っていない。行く理由がなかったし、行ける気もしなかった。
体は重く、呼吸も浅い。
それでも指先だけは忙しく、ページをめくる動作を止めない。
画面に映っているのは、彼が愛してやまないジャンルの物語だった。
弱い存在が踏みにじられ、力ある側がすべてを奪う。
ゴブリンが姫騎士を無惨な姿にする物語だ。
それを「ざまぁ」だと笑い、「カタルシス」だと正当化する。
現実では何一つ持たない自分が、物語の中でだけは支配者になれる。
右手でページをめくり、左手は別のものを持つ。
その瞬間だった。
頭の奥に、声が響いた。
低く、無機質で、しかし確かな意思を持った“何か”。
《スキルを授与します》
亀雄は最初、幻聴だと思った。
だが次の瞬間、理解した。
《配下支配:ゴブリン》
言葉の意味が、異様なほどすんなりと頭に入ってきた。
そして同時に、外の世界が変わったことも。
ニュース、SNS、騒音。
世界中で起きている異変。
ダンジョンという未知の存在。
亀雄は外に出なかった。
代わりに、近所を徘徊するようになったゴブリンに目を向けた。
「……来い」
半信半疑でそう命じた瞬間、ゴブリンは跪いた。
恐怖ではなく、従属。
完全な支配。
笑いが止まらなかった。
今まで誰にも命令されたことしかなかった自分が、命令する側になったのだ。
それからは早かった。
偶然見つけた、まだ誰にも管理されていないダンジョン。
中は未熟で、ボスも弱く、ゴブリンの数で押し切れた。
攻略した瞬間、亀雄は理解した。
――ここは、俺の場所だ。
ダンジョンは隠れ家であり、拠点であり、現実から切り離された世界。
ゴブリンは忠実な道具。
誰にも見られず、誰にも咎められない。
彼の頭の中では、物語が現実と混ざり始めていた。
力を持った者が、弱い者をどう扱うか。
それを試す舞台が、ここにはある。
「ラノベみたいだ……」
笑いながら呟く。
現実の倫理や法律は、ここには届かない。
そう、彼は信じていた。
ダンジョンの奥には、簡素な広間があった。
石の床には引きずられた跡が残り、壁際には折れた槍と、傷だらけの盾が無造作に転がっている。
平針亀雄は、その光景を満足そうに見下ろしていた。
「……ほら、ラノベと同じだ」
独り言のように呟きながら、息を荒くする。
彼の視線の先には、“女戦士”と呼ばれていた存在がいた。
スキルに目覚め自信を持ってダンジョンに現れた少女。
鎧は歪み、誇りを示していたはずの姿勢はもうない。
床に伏せたまま、動かない。
ただ、まだ生きていることだけは分かる。
浅い呼吸と、時折震える指先が、それを示していた。
ゴブリンたちは興奮したように騒いでいたが、亀雄が手を上げると、すぐに静まった。
命令には忠実だ。
それが、彼にとって何より心地よかった。
「現実じゃ、誰も俺を見なかったのにさ」
ここでは違う。
力があり、命令すれば従い、逆らえば踏みにじれる。
正義も、悪も、外の世界のルールも、ここには入ってこない。
彼の頭の中では、読み続けてきた物語の断片が、現実と重なっていく。
活字でしか知らなかった“支配する側”の感覚。
それを、実際に手に入れたという錯覚。
だが、胸の奥に残ったのは、想像していた高揚感とは少し違うものだった。
満足はしている。
それなのに、どこか落ち着かない。
「……もっと、うまくやらないと」
そう呟き、ダンジョンの外へ意識を向けたときだった。
空気が、微かに変わった。
森の静けさが、不自然に途切れる。
焚き火の炎が、一瞬だけ揺らいだ。
「……?」
ゴブリンの一匹が、耳を立てる。
次の瞬間、広間の入口付近で、見張りが声を上げる前に倒れた。
影が、動いた。
平針亀雄は、まだ知らない。
自分のダンジョンが、すでに“狩られる側”に回っていることを。
そしてこの夜が、物語の続きを読む時間ではなく、終わりの章の始まりであることを。




