知識の猛特訓とリアとの隔たり
グラード先生に認められて以来、アステルの学校生活は一変した。他の生徒が訓練場で剣を振るう午後、彼はグラード先生の指導の下、図書館の片隅で座学漬けの日々を送っていた。
彼の目の前には、常に分厚い羊皮紙の巻物や、読むだけで魔力が吸い取られそうな古代語の石板が積み上げられていた。グラード先生の声は、相変わらず砂を噛むように冷たいが、その内容は濃密だった。
「いいか、【村人】。これは【賢者】クラスの二年分を凝縮したものだ。特に古代語は、【盗賊】の暗号解析、【鍛冶師】の符文刻印にも応用できる。全てを覚えろ」
アステルは、休憩時間もなく知識を頭に叩き込んだ。彼の指先は、羊皮紙の乾いた感触とインクの微かな鉄の匂いに慣れきっていた。
(頭が痛い……もう限界だ。でも、ここで諦めたら、グラード先生の期待を裏切るだけでなく、リアとの差は永遠に埋まらない)
知識の量が肉体的苦痛をもたらすが、グラード先生からの初めての承認と、リアの成長速度に追いつきたいという焦燥感が、彼を勉強へと駆り立てる。
一方、リアの学園生活は順風満帆だった。
放課後、アステルが図書館の窓から訓練場を見下ろすと、リアがクラスメイトと共に笑っている姿が見えた。彼女の肌は小麦色に焼け、健康的な汗の匂いが風に乗って、ほんのわずかに図書館の窓から流れ込んでくるようだった。
リアは、アステルに気づくと、大きく手を振って合図を送った。アステルも手を振り返すが、その手が、インクで汚れて黒ずんでいることに気づき、慌ててローブの袖に隠した。
(リアは眩しい。僕は、知識という土の中に埋もれている泥だらけの存在だ)
村での日々、アステルは泥だらけになって泣き、リアは太陽のように輝いて彼を助けてくれた。今の状況も、あの頃と本質的には変わっていない。
夜になり、二人が過ごす学生寮の自室に戻る。部屋は二段ベッドが一つ置かれた質素な部屋だが、リアの側は明るく整理されている。
「ただいま、アステル!聞いてよ!今日、初めて教官に木剣で一本取れたの!」
リアはベッドに飛び乗り、嬉しそうに足をバタバタさせた。彼女の体からは、爽やかな石鹸と汗の混ざった匂いがした。
アステルは、机で古書を広げたまま、リアに背を向けて答えた。
「すごいね、リア。僕は今、【符文解析論】の矛盾点を検証しているところなんだ。魔力伝導の基礎に関わるから、急がないと」
「あ、そうなの……」
リアの声から、わずかにトーンが下がったのを感じた。。リアは話の続きを求めているようだったが、アステルの机の上にある、文字がギッシリと詰まった難解な古書を見て、口を閉ざした。
(話が通じないんだ。リアの「剣で一本取れた」という喜びと、僕の「理論の矛盾点を検証した」という喜びは、全く別の言語になってしまった)
アステルは自分の知識を誇りに思っているが、それがリアとの会話を妨げている事実に気づき、孤独感と寂しさを感じる。
ある晩、リアが疲れて寝入っているのを見て、アステルはそっとベッドを降りた。
彼が【生活魔法:浄水】を覚えたのは、純粋な生存本能からだったが、グラード先生の指導で、彼の魔力運用法は洗練されつつあった。
アステルは、リアの枕元に立ち、手をかざした。
(【生活魔法:浄水】……ただ水を綺麗にするだけじゃない。魔力を使って、何かを安定させる魔法のはずだ)
彼は、目を閉じ、集中した。ターゲットは、リアの頬を覆う、訓練による微細な火照りだ。
「【生活魔法:沈静(初級)】」
彼は、浄水で覚えた魔力の経路を応用し、微かな魔力を放出した。それは、リアの肌に触れると、冷たい露のような感触を残した。
リアは、微かに寝息を深くし、安らかな寝顔になった。アステルは、リアの寝顔を見つめた後、そっと彼女の頭を優しく撫でた。
(剣や魔法で戦えなくても、僕の知識と魔法で、リアを陰から支えることができる。この隔たりは、僕が万能になるための、必要なステップなんだ)
そう確信し、アステルは再び机に戻り、誰も到達したことのない知識の道へと、孤独に邁進し続けた。




