涙のレベルアップ
バルトとの修行は、既に三週目に突入していた。アステルの身体は、もはや痛みを感じるための感覚器と化していた。
彼は毎日、木剣を岩に振り下ろす。彼の筋肉は引き裂かれ、関節は悲鳴を上げ、掌の傷口からは生暖かい血が滲み出て、木剣の柄を湿らせた。岩窟内には、血と汗と土埃の、乾いた匂いが常に漂っていた。
「小僧!その拳の奥に、殺意はあるか?理論上の強さではない、全てを打ち砕く覚悟はあるか!?」バルトの声は、すでに怒鳴り声ではなく、岩窟の壁に響く重々しい警鐘のようだった。
アステルは、木剣を握る腕が麻痺し、視界が汗と涙の塩辛い混合物で歪むのを感じた。
(僕は、何を恐れている?知識を捨てたはずだ。なのに、まだ…どこかで『無理だ』と諦めている自分がいる……!この限界を超えなければ、リアの隣に立てない!)
アステルは、その場で木剣を捨てた。そして、目の前の丸太を突き立てた訓練用の岩に正面から向き合い、拳を固く握りしめた。
彼は、全ての思考を停止させた。頭に浮かんだのは、ただ一つ。
リアが、僕の代わりに魔物の攻撃を受け止め、痛みに顔を歪ませたあの瞬間。僕の弱さが、大切な人に代償を払わせたあの日の光景だ。そして、彼は知っている。弱さゆえに流す涙は、誰の命も救えないということを。
(痛いのは、僕だ!僕が、リアの痛みを、全て引き受けるんだ!もう、二度と泣き虫の弱さを見せない!)
アステルの目から、涙が溢れ出した。それは、弱さの涙ではない。自分の無力さに打ち勝つための、限界を超えた純粋な闘志の涙だった。その涙は、顔の煤と汗を伝って流れ落ちた。
「うおおおおおおっ!」
アステルは、岩窟の底から響くような、獣じみた咆哮を上げた。その声は、かつて村で泣き叫んでいた泣き虫の声とは全く違う、魂の叫びだった。
僕は、理論も、角度も、重心も、全てを捨てた。ただ「打ち砕く」という原始的な衝動に身を任せ、渾身の力を込めて、岩へと拳を叩き込んだ。
「ドンッ!!!!」
まるで巨大な鐘を打ち鳴らしたような、重く乾いた衝撃音が、岩窟全体を揺るがした。拳が岩肌にめり込み、その衝撃はアステルの腕を通り越し、全身の骨にまで響いた。
アステルの拳は、岩の表面をえぐり、その箇所からヒビが放射状に走った。
その瞬間、アステルの脳裏に、待ち望んだシステムの通知が響いた。
アステル・ウッド
【戦士】の基礎を体得しました。
レベルが5から6へ上昇しました!
ステータスが更新されました:
STR (力): 2 → 6
VIT (体力): 1 → 5
全身の筋肉を内側から熱い魔力の奔流が駆け巡り、数週間の疲労と痛みを全て押し流した。
アステルは、自分が持つ拳が、今までより数倍も大きく、重くなったような錯覚に陥った。
彼は、もう泣いていない。顔には涙の跡と汗が混じっているが、瞳には強い意志の光が宿っていた。
バルトは、その光景を無言で見つめていた。彼の顔の傷跡は、わずかに、しかし確実に緩んでいた。
「…たった一撃で、五週間分のSTR経験値を叩き出しやがった」
バルトは、アステルに歩み寄り、彼の血まみれの拳を掴んだ。「痛みと、無力さに打ち勝ったな、小僧。貴様はもう、『考えること』が邪魔になるような戦い方からは卒業した」
バルトはアステルに、訓練で使っていた重い木剣を渡した。
「持って見ろ」
アステルが剣を握ると、それは昨日までの鉛の重さではなく、まるで羽根のように軽く感じられた。
彼の体は、確実に【戦士】の力を手に入れていた。
「行け。グラードに報告し、次のジョブへ進め。貴様の知識と、今得た純粋な力。二つが融合した時、ジョブシステムの枠など、貴様の敵ではないだろう」
アステルは深々と頭を下げ、師匠に感謝を伝えた。荒野の岩窟を後にする彼の足取りは、もはやかつての弱々しいものではなく、大地をしっかりと踏みしめる、強い戦士のそれだった。




