知識の呪縛とSTRの壁
バルトによる【戦士】の基礎訓練は、一週間が経過していた。
岩窟は、朝から晩まで、アステルが木剣で岩や丸太を叩く鈍い音と、バルトの怒鳴り声に満たされていた。
アステルの全身は、打撲と疲労で重く鉛のようになっており、特に木剣を握る両手は、水ぶくれと血豆で覆われ、触れるだけで激痛が走った。
「何をしている!その振りは、また『効率』を考えている!理論のクソを捨てろと言っただろうが!」
バルトの棍棒が、アステルの木剣を弾き飛ばした。アステルは「うああっ!」と小さく悲鳴を上げ、木剣の冷たい金属と木の匂いが混ざったものが地面に転がった。
(なぜだ!理論上、重心を低くし、腰の回転を加えれば、もっと破壊力が上がるはずだ!しかし、それを考えた途端、体が硬直する……)
頭では完璧な理論を知っているのに、体がそれを実行できず、知識が逆に「こうでなければならない」という呪縛となり、純粋な力を引き出す邪魔をしていた。これは、彼の唯一の武器である知識が裏切ったことへの深い混乱と焦燥だった。
アステルの現在のSTR(力)ステータスは2。レベルアップに必要な経験値は溜まっているはずなのに、STRの数値はピクリとも動かない。
「小僧、貴様は『何のために殴るか』を考えていない」バルトは静かに言った。
バルトは、自身の巨大な棍棒を、目の前の分厚い岩に振り下ろした。「ドムン!」という重低音と共に、岩はひび割れ、砕け散った。バルトの体から発せられる強大な力の残滓に、アステルは言葉を失う
「【戦士】のレベルアップに必要なのは、知識ではない。『打ち砕く意思』だ。貴様には、それが欠けている。貴様はまだ、『もし殴りそこなったらどうなるか』を考えている」
その指摘は、アステルの核心を突いていた。彼は常に、「失敗」や「無力」になることを恐れていた。
村でリアが魔物に襲われた時、僕はただ泣き崩れた。あの時、必要なのは知識ではなく、考えるより先に飛び出す衝動的な力だった。
アステルは、両手で顔を覆い、全身の力を抜いた。
夕食時。岩窟の鍛冶場には、鉄を熱した後の暖かな熱と、バルトが焼いた肉の香ばしい匂いが漂っていた。
バルトは、無言でアステルに肉を差し出した後、重い口を開いた。
「俺は昔、優秀な【学者】と組んでいた。あいつは知識で、敵の弱点を完璧に分析し、常に最善の戦術を教えてくれた。だが、ある時、その知識が仇になった」
バルトの目は、遠い過去を見つめているようだった。
「強大な魔物が現れた。あいつは知識を総動員し、『逃げれば95%の確率で助かる』と判断した。その『5%のリスク』を避けるために、あいつは一瞬逃げるのを躊躇った。その一瞬で、俺の仲間は死んだ。あいつ自身もな」
バルトは、持っていた荒い木製のコップを力任せに握りしめた。
(知識は、完璧であろうとしすぎる。その完璧主義こそが、戦場では致命的な遅延となる。この小僧にも、知識への依存が持つ残酷な側面を理解させなければならない。)
バルトの悲劇は、アステルの心に深く突き刺さった。それは、グラード先生が彼に教えようとした教訓と同じだった。知識は、行動を遅らせる『重荷』になり得る。
アステルは、膝を突き、地面に頭をつけた。
「師匠……僕は、考えます。誰かを失うための『知識の重荷』は持ちたくありません!」
グラードとバルト、二人の師の過去の悲劇を知り、彼の「リアを守る」という決意が、単なる知識の蓄積から、「知識を捨ててでも、行動する」という戦士の覚悟へと昇華された。
アステルは立ち上がり、木剣を握りしめた。手が擦れて痛むが、もはやその痛みは感じない。
彼は、目を閉じ、リアの笑顔を思い浮かべた。そして、その笑顔を打ち砕こうとする全ての悪意を想像した。
「打ち砕く……!」
アステルは、今までで最も強く、最も感情的な叫び声を上げ、目の前の岩に向かって木剣を振り下ろした。




