レベル1からの再出発 廃墟の罠
アステルは、ギルドから渡された地図が示す、街の北東の端にある広大な廃墟エリアに立っていた。ここはかつて、裕福な貴族の屋敷が立ち並んでいたが、数十年前に起きた大火で放棄され、今は壁が崩れ、瓦礫が堆積している。
周囲は、埃と焦げ付いた木材の古い臭いが充満しており、崩れた石造りの壁には、黒い煤と苔が張り付いていた。風が吹くと、屋根のなくなった建物から、空虚な音が響き渡る。
アステルは、黒いローブに着替えていたが、まだ盗賊らしい軽やかな動きはできない。彼はローブの裾を握りしめ、緊張で喉がカラカラに乾くのを感じていた。
(僕は今、【見習い盗賊】レベル1。【村人】の頃と同じ、再スタートだ。でも、知識はレベルマックスだ!)
再びレベル1に戻ったことへの不安よりも、知識があるという自信と、リアを守るためのスキル習得への義務感が勝っていた。
地図が示す巻物の場所は、廃墟群の中でも特に古く、地下へと続く階段がある建物の中だった。アステルは教官から学んだ【隠密】の基礎を思い出し、背中を壁につけ、慎重に足を進める。
(盗賊の基本:体重移動を最小限に。足の裏全体で地面の感触を掴む……)
彼は意識的に、地面の瓦礫が持つ不安定な感触を足裏で感じ取ろうとした。しかし、彼の【隠密】スキルはレベル1。どんなに気を付けても、靴が瓦礫を踏むたびに「ガリッ」という小さな音を立てた。
「くっ……」アステルは思わず舌打ちをした。
村にいた頃は、自分が音を立てても、リアがすぐに魔物を追い払ってくれた。
昔、スライムに怯えて大声で泣いた時、リアは一度も僕の無力さを責めなかった。リアはいつも、僕を庇ってくれた。
(リアが僕を庇うのは、もう終わりにしなくちゃいけない。この廃墟で、僕は一人でこの音を消す方法を見つけないと!)
彼は立ち止まり、知識を呼び起こした。
(【隠密】スキルは、敏捷性(AGI)だけでなく、周囲の環境音との「調和」で補完が可能。現在の環境音、風の音と瓦礫の音……)
アステルは、呼吸を調整し、風の音に自分の足音を重ねるように、歩調をわずかに早めた。足音は消えないが、その音が環境音に溶け込み、周囲の気配を欺くのに成功した。
地下階段を降りると、そこには人工的に作られた罠が待ち受けていた。
アステルは、古書で読んだ圧力感知式の床罠であることをすぐに特定した。知識の上では、罠の発動に必要な重量を把握し、その場所を避けて跳べばいい。
アステルは罠を避けようと、一気に飛び跳ねた。しかし、彼の身体能力(STR、AGI共に低い)は、知識に全く追いついていなかった。
「うわっ!」
彼の足は、罠の発動域の端を踏んでしまった。「カシャン!」という金属音と共に、天井から太い鉄格子が、彼の頭上めがけて落下してきた。
アステルは、反射的に腕を顔の前にかざし、目をぎゅっと瞑った。
(ダメだ!レベルが足りない!僕の知識は、この身体には重すぎる!)
理屈では回避できたはずの罠に引っかかり、自身の身体的な弱さとジョブシステムの厳しさを改めて痛感し、恐怖と絶望に襲われる。
幸い、鉄格子は彼の数センチ前で、床に深く突き刺さり、間一髪で直撃を免れた。
アステルは、地面に這いつくばったまま、全身から力が抜けているのを感じた。鉄格子の表面からは、冷たい金属の感触が伝わってくる。
アステルは、恐怖で震える体を起こし、深く深呼吸をした。
(知識は、僕の全てだ。でも、この体は【村人】から【盗賊】になったばかり。知識を活かすには、まず基礎的な【隠密】スキルと身体能力を上げるしかない!)
彼は、その場で動き始めた。知識に基づき、最も効率が良いとされる「微動訓練」を始めたのだ。それは、地面の瓦礫を踏まずに、極限までゆっくりと、体重を片足に移す訓練だ。
(この訓練は、通常の盗賊がレベル10に達してから行うものだが、知識を先回りして使う!)
彼は、痛いほど集中し、呼吸を整え、一歩ずつ、静かに進んだ。一歩踏み出すたびに、彼の頭の中で、スキルゲージが微かに上昇する音が鳴っているような気がした。
崩れかけた石畳の隙間に足を落とさぬよう、つま先で地面を探る。湿った空気が肌にまとわりつき、腐った木と古い鉄の匂いが鼻を刺した。天井から垂れる水滴が、一定のリズムで地面を叩く音が、やけに大きく響く。慎重に罠の範囲を避けながら、彼はさらに奥へと進んでいった。暗闇は濃くなり、空気は重くなる。肺に入り込む息さえも、どこか鉄臭かった。
数時間後。廃墟の奥深く、地図が示す場所で、アステルは目的の巻物を発見した。それは、壁の割れ目に巧妙に隠されており、巻物からは微かに古い薬草のような匂いがした。
アステルは巻物を手に取り、静かに胸に抱きしめた。
【隠密】スキルがレベル2に上がった。
(レベルが上がった……!)
彼は、知識と努力が実を結ぶこの感覚こそが、自分にとってのレベルアップの喜びなのだと知った。アステルは、恐怖と無力感を乗り越え、【盗賊】としての新たな一歩を踏み出した。




