影のギルドと最初のジョブ【盗賊】
職業学校の長期休暇が始まり、多くの生徒が帰省する中、アステルは一人、学校の裏手にある寂れた通りを歩いていた。
通りは石畳がひび割れ、湿気と生ゴミの酸っぱい匂いが混ざった空気が淀んでいる。夜になると、道の両脇に立つ古びた建物は闇に溶け込み、そこだけが街の光から見捨てられた世界のようだった。
グラード先生に教えられた暗号を頼りに、アステルは朽ちた木造の倉庫の裏口にたどり着いた。彼は、緊張で額に汗が滲むのを感じながら、扉を三回、特殊なリズムで叩いた。
「カタ、カタン、カタ」
すぐに、扉が内側から低い軋み音を立てて開いた。
現れたのは、全身を黒いフードとマントで覆った大柄な男だった。男はアステルの小さな体を見下ろし、冷たい光を放つ片目だけを覗かせた。
「【村人】。グラードの紹介状は?」男の声は、低音で喉が擦れたようだった。
アステルは、不安を押し殺すように、懐からグラード先生のサインが入った紹介状を差し出した。
「これ、です」
男は無言でそれを受け取ると、アステルに手招きをした。
ギルドの内部は、外見からは想像もつかないほど広かった。薄暗い空間に、オイルランプのオレンジ色の光が不安定に揺れている。壁や床は磨かれて黒光りしており、外の街の喧騒は完全に遮断され、静寂と規律の圧迫感だけがあった。
カウンターの奥には、様々な【盗賊】や【暗殺者】らしき人間がたむろしている。彼らの視線は、まるで獲物を定める猛禽類のようで、アステルの全身を容赦なく射抜いた。アステルは、思わず背中が丸くなるのを感じた。
(ここは、知識だけでは生き残れない場所だ。訓練場で剣を振るうリアとは、全く違う世界……!)
命の危険を感じさせる周囲の雰囲気と、自身の【村人】というステータスの無力さが、強烈な緊張感を生んでいた。
男はアステルを、ギルドマスターらしき老人の前へ連れて行った。
「グラードが【村人】を送り込んできただと?正気か」
ギルドマスターは、アステルの目の前で、ジョブチェンジの儀式に必要な水晶玉を差し出した。
「【盗賊】の初期ジョブに就くには、戦闘ジョブとは全く異なる適性が必要だ。敏捷性、隠密性、そして何より、闇への適応だ。お前のような泣き虫にできることか?」
アステルは、水晶玉に手を置いた。
水晶玉に触れる瞬間、アステルは強く、強く願った。
(僕はもう、リアを助けてくれた村の泉の水に感謝するだけの【村人】じゃない。リアを守るため、あらゆる知識を習得する【万能】の器になるんだ。そのためには、この【盗賊】のスキルが必要だ!)
あの時、汚れた水たまりを浄化できたのは、知識があったからだ。今、目の前の水晶玉に、その知識を注ぎ込むのだ。
彼の脳内で、グラード先生から教わったジョブ適性の理論が展開される。
ジョブチェンジに必要なのは、資質だけでなく、そのジョブへの強い渇望と、知識による誘導だ。
アステルは、体中に残っていたわずかな魔力を、まるで特定の周波数の光を放つように、水晶玉へと流し込んだ。
水晶玉は、一瞬の沈黙の後、青でも白でもない、深遠な夜のような、濃い紫色の光を放った
ギルドマスターは驚愕したように、目を見開いた。
「成功しただと!? ジョブは……【見習い盗賊】!適性は……『隠密』と『暗号解析』!まさか、本当に【村人】が……」
アステルは、全身から力が抜けるのを感じた。レベルは再び「1」に戻ったが、彼の心は歓喜に満たされていた。
(やった!これで、リアを守るための実戦的なスキルを学ぶ資格を得た!)
ジョブチェンジを終えたアステルに、ギルドマスターは一つの古い紙の地図を渡した。
「【見習い盗賊】レベル1よ。貴様の最初のミッションだ。街の北東にある廃墟から、これを探してこい」
地図に示されていたのは、単なるアイテムではなかった。それは、【隠密】スキルのレベルを効率的に上げるために必要な、特殊な古代の巻物だった。
「知識は優秀だが、腕は素人だ。これは『隠密』のスキルを上げなければ、辿り着けない場所にある。成功すれば、貴様のレベルはすぐに上がるだろう」
ギルドマスターの言葉は、アステルの知識が、実戦でどう役に立つかを示していた。知識でジョブを獲得し、そのジョブに必要な知識をすぐに実戦に移す。
アステルは、地図を胸に強く抱きしめた。
(よし、僕はもう泣き虫じゃない。この【盗賊】のスキルを極めて、リアに追いつくんだ!)
彼は、闇と規律に満ちた影のギルドを後にし、新たなレベルアップの旅路へと足を踏み出した。




