第8話 親分って呼んでいい
胸の谷間に香水のにおい。
「……チラチラ見てたでしょう?」
女主人が、胸を押しつけてくる。
一瞬。思い浮かぶ。
マルスさんの笑顔。
村人の苦労を偲ぶ顔。
「……胸、見てたさ」
「うふふ……素直でいい子。じゃあ──」
視線をそらす。
泥まみれで修理をしている村の男たちの手。
不安そうに子供を見守る女たち。
胸を見たことに嘘はない。
自分まで、溺れるのは……よくないよなぁ。
「人の生き血をすうってのはどんな味だい?」
ビックリするぐらい、低い声が出た。
女の顔が一瞬怯む。
これぐらいじゃ、おさまらない。
続ける。
「この村じゃ、種まきのこの時期に、金をなくしたら、次の春が来ない。それをわかってないアンタじゃないだろ?」
「ふふ、騙されるほうが悪いのさ」
「つくづく、あんた、マルス会長の娘じゃ無いさ」
「アンタにパパの何がわかるのさ?」
……パパじゃない。親分だろ。ニセモノさんよ。
「もう、汚い口であの人を汚すな!!」
「……っ」
ひるむ女主人。
「あの人はな、三方よしを地で行く人なんだ。売り手も、買い手も、世間も笑ってなきゃ意味がない──そう言い切る人なんだよ」
ッフンと呟く。
あ、コイツ、馬鹿にしてるな。
「子連れの女性としか、結婚しねぇ。
それなのに、みんな……心から仲良しなんだよ」
「だから??……うちのパパが女好きなんて有名じゃないか?」
「奥さんも子供も例外なく"親分"って呼ぶんだ……わかるか? この“意味”が」
「……」
「えこひいきしたく無いんだと、みんな平等なんだと……」
「……何の話だぃ……」
「あの人は、“パパ”って呼ばせなかった。甘やかすんじゃなく、厳しさで、愛した。
……そんなふうに育てられた、世界一の商人一家だぞ?」
女の顔が徐々に青くなる。
「なぁ、アンタ、パパなんて、勝手に呼んで、あの家族全員に泥塗って勝てる見込みあるのか……呼びたいのに呼んでないんだぜ?」
こえーぞ。あの一家。
人事ながら、心配になってきた。
「ふん……そんなのアンタを消しちゃえば一発だろ?」
「誰かーいないかい!!」
女のドス黒くデカい声が響く。
……こうなるよな。
ドカドカと男が二人。
「「へい!!」」
「この子を傷みつけてやんな!!」
「ったく、しょーがねーなぁー」
……左腕が無くたって、こちらとら、元勇者だぞ??
大柄のラガーマンぐらいの男が殴りかかってくる。
男の拳が一直線に迫る。
「――遅ぇよ」
ッスっと、懐に入る。
右掌が短く、軽く動く。
相手の胸元に、ぽん。
「……グボッ……!!」
巨体が、後方にー,
空中を舞い、背中から地面にめり込んだ。
土煙が舞う。
「発勁って知ってるか?
**“体の奥に、魔力を打ち込む”**んだよ」
右手は、拳ではなく掌の形のまま。
それでも、男は一撃で戦闘不能だった。
二人目。
「テメェー何しやが…」
ッスっと、懐に。
右掌が相手の胸元に、ぽん。
「……グボッ……!!」
一人目の男に引っかかり転がる。
「姉さん、もうマルセル商会の名前なのるんじゃねーぞ」
ーー
夜、一人晩酌を始めるユウト。
「どうされたんですか?」
エクシーがニヤニヤしてる。
「うん……?何が?」
「なんか揉めてたみたいじゃないですか?」
爆弾娘……途中から、見ていたのはバレてるよ。
「大したことじゃないさ」
「ふーん、そうなんですね」
エクシーの顔が少し柔らかくなる。
「ユウトさん、ああいう女性が好きなんですか?」
ゆっくり立ち上がる彼女。
「いや……すきっていうか、男のサガっていうか」
ユウトがしどろもどろに言うと、耳元に彼女の唇が近ずく。
「気をつけないと……1000年生きて、すごいのは魔法だけじゃないんです……」
ささやきと吐息と、女主人より男を蕩けさせる香水の香りがふわりと漂った。