「天界」
数日後。
隆史は、嘘みたいに優しかった。
押しつけでも、気づかれ狙いでもなく、ただ自然に矢智代の荷物を持ち、食器を洗い、話を聞いて、笑った。
矢智代は最初、警戒していたが――徐々に、ほぐれていった。
ある夜、二人は並んでソファに座り、テレビもつけず、ただお茶を飲んでいた。
特別なことはない。けれど、どこか心地よかった。
「ねえ隆史」
「ん?」
「今、幸せだと思ってる?」
隆史は少し考えて、照れたように笑った。
「……うん。たぶん、生まれて初めて“心が落ち着いてる”って感じがする。君と一緒にいて、なんか、それだけでいいやって思える」
矢智代は驚いて、少しだけ笑った。
ナビの声が、やわらかく響いた。
「第六段階、“天”。
この段階では“愛とは与える喜びであり、相手と共にあることそのものが満たしである”と体験します。
だが――それゆえに、愛を失うことが最大の恐怖となります」
その夜、隆史は夢を見た。
真っ暗な部屋の中、矢智代がゆっくりと背を向け、ドアの外へ消えていく。
呼んでも声は届かず、手を伸ばしても届かない。
(ああ……失うのが、怖い)
目を覚ますと、彼女は隣で静かに眠っていた。
隆史は手を伸ばし、そっと彼女の髪に触れた。
心の中に言葉が浮かぶ。
「この人がいなくなることを、こんなに恐れる日が来るとは……」
ナビが囁いた。
「これが“天”です。美しいが、壊れやすい世界。
次のステージ、“声聞”へ――ついに、言葉を超えて“学び”を始める段階です。
あなたの“愛”は、形になれるのか?」
隆史は深く息を吐きながら、目を閉じた。
(学ぶしかない。もっと――この人のことを)
隆史が変わったのは仕事に対しても「苦しい時ほど楽しんで」を使いだしたからである




