「声聞」
「……でさ、会社の新人がまたやらかしてさ。三回目よ、三回目」
夕食後、矢智代がワインを片手にぼやいていた。
以前の隆史なら、ここで「新人なんてそんなもんだろ」とか、「俺だって今日つらかった」と返していただろう。
だが今は違った。
「……うん、それで?」
隆史は、彼女の話に目をそらさず、相づちを打つ。
「いや……別に。そんな大したことじゃないけど、なんか、聞いてほしかっただけ」
「大したことかどうかは、君が決めることでしょ。俺はただ、聞かせてもらってるだけだよ」
矢智代は、ぽかんと口を開けてから、ふっと笑った。
ナビが静かに語りかける。
「“声聞”ステージへようこそ。
この段階では、“自分が語る”のではなく、“他者の声を聞く”ことで、真の理解と共感が始まります。
耳を傾けるという行為そのものが、愛の成熟なのです」
その夜、隆史はかつてなかった“静けさ”に包まれていた。
相手の感情が、少しずつ染み込む感覚。
目で見ていたのに見えていなかった景色。
言葉で伝えていたつもりでも、全然届いていなかった想い。
(“聞く”って、こんなに重い行為だったんだな)
隆史は、かつての自分を思い返す。
勝手に期待して、勝手に失望していた。
話を“聞いた気”になっていた。
でも、相手の「沈黙」すら、何も読んでいなかった。
矢智代はそんな隆史の変化に気づいていた。
無理に話させようとしない彼の沈黙が、今は心地よかった。
ナビが低く、しかし確かな声で宣言した。
「“声聞”フェーズ、完了。
次は“縁覚”――言葉を超え、“気配”で人を感じる段階へ移行します。
あなたの“愛”は、相手の言葉がなくても、届くか?」
隆史が変わったのは仕事に対しても「苦しい時ほど楽しんで」を使いだしたからである




