第9話 第一王子を知る
ガーデニングを始めてから二週間。
畝に苗を植えたり、温室の種の様子を調査したりと、それなりに忙しくしていた。
それと同時に、許可がでた領地まわりをフェデルとウェスタ兄さまと三人でしている。
「タッケィについては、新しい使い道が増えたから、あっちの閑地にも植えても良いかもしれないわね」
「お嬢さまのアイデアの、新しい下着にもタケッティを使っておりますからね。あの下着は大変素晴らしゅうございます」
「……あのさ、できればその話は僕がいないところで頼むね」
移動は馬。私が乗るのは小さめの馬だけれど、それでも足が速い子だから二人に後れを取ることはない。
あれからクリノリンの他に、コルセットの骨や、前世でつかっていたようなワイヤーブラジャー、それにスポーツブラジャーのようなものも提案した。
そして、大変に……お祭り騒ぎになるほど、褒めそやされた。
悪い気分じゃないから、困っちゃうのよね。
領内を馬で駆けながら、畑の様子をチェックし、困っていることはどんなことかを聞いてまわる。
まるで御用聞きみたいだけど、これって結構大事なのよねぇ。
「あそこの木の下で休憩にしよう」
二時間くらい走り回ったあと、ウェスタ兄さまが小山の上にある一本の糸杉を示した。
あそこは、領地の東側を一望できる場所なのだ。
そこへ向かう途中。
「ひゃあぁっ?!」
「イリスっ!」
「お嬢さまを頼みます!」
私の乗っている馬が大きくいななき、上半身を震わせる。
降り落とされそうになったので、必死で首元にしがみつき、彼を落ち着かせようと声をかけていく。
フェデルがどこかへ消えていくのが、視界の端に見えた。
「イリスこちらに飛び乗れるか?」
ウェスタ兄さまが私の馬と併走しながら声をかけてくれるけれど、そんな余裕はない。
舌を噛まないように、首だけで無理と言うことを伝える。
「わかった。縄をかける!」
その声に、少しだけ馬の首から体をずらすと、ウェスタ兄さまの方から輪っか状の縄が私の馬にかけられ、行動を制限させることに成功した。
「どう、どう」
落ち着きを取り戻した馬は、ゆっくりとその動きを止め、ぶるると鼻を大きく震わせる。
「イリス、もう大丈夫だ」
「うん……」
一度降りようかとも思ったけれど、それよりも落ち着ける場所に移動する方が良い。
ウェスタ兄さまも同じことを思ったようで、二人で最初の予定通り糸杉の小山に向かった。
馬を木に繋ぎ、私たちは草の上に座る。
春の新芽がびっしりと生まれているそこは、ふかふかとやわらかかった。
「何が起きたのか、私わかってなくて」
「イリスの馬の足下に、矢が放たれたんだ」
「矢が……?」
思わず眉をひそめてしまう。
矢が私や馬に命中していたら、大変なことになっていたからだ。
「イリスを狙った、と思って良いだろう」
「そんな。私が狙われるような理由なんて……」
「今、フェデルが犯人を追ってる」
彼女は犯人を捕まえたら、そのまま屋敷に戻るだろう。
こういうときは、そうした手はずになっているから。
「馬車を呼ぶ。それまで僕とここにいよう。見晴らしの良いここは、潜伏することはできない」
ウェスタ兄さまはそう言うと、笛を吹き鳥を呼んだ。それにメモをくくりつけて放つ。
これは領内の知らせ鳥。訓練された鳥が領内を自由に飛び、決められた笛の吹き方に従って伝書鳩のように手紙を運ぶのだ。
「私を害して、一体なんの得があるのかしら」
少なくとも、私に怪我をさせたり、万一死んでしまうなんてことがあれば、私の家族どころか、一族が黙っていない。
戦神が揃いまくっている──そもそも戦神なんてそんなにいるものじゃないと思うけど──我が家が本気になれば、下手をすればこの王国が焦土と化してしまうのではないかしら。
「これははっきりとは言えないけど、でも多分」
「多分?」
「いや……僕が今ここで言うのは」
「ここまで言っておいてそれはないわよ。第一、私は被害者よ」
「まぁ、そうなんだけどさ。これは、まだ確定してないってことは、わかっててくれよ?」
それはもちろん。
でも、ウェスタ兄さまの様子から、ほぼ確定ではないかという空気を感じる。
もしかして、私以外はこうなる可能性を知っていたの?
だとしたら──できれば教えて欲しかったけど。
「黒幕は多分……王家だ」
「王家?」
「というよりも、正確には、正妃と言うべきか」
この国には、国王と二人の妃がいる。
授業で習ったのは、正妃と呼ばれているのは我が国の北方の隣国であるセルート大公国の姫君だったシュディリアン様。側妃は国内の伯爵家のご令嬢だったレテシア様。
「どうして、正妃陛下が私を狙うの?」
「イリスはこの国の王子が二人いることはわかってるよね?」
ウェスタ兄さまの質問に、こくりと頷く。
「側妃殿下のお子が第一王子殿下、正妃陛下のお子が第二王子殿下」
「その通りだ。そして、現在王太子に一番近いと言われているのは第一王子」
なるほど。そこは乙女ゲームの設定通りに進んでいるということなのね。
「そういえば、第一王子殿下って、どんな方?」
そう問えば、ウェスタ兄さまは驚いた顔をしている。
ま、この話の流れで突然第一王子のことを聞きだしたら、そうなるよね。でももしかしたら私の婚約者になっていたかもしれない相手だし。
今後何かの強制力で断罪とかされても困るし、情報は集めておきたいのよねぇ。
「そうだな……。そもそもどうして我が国には正妃と側妃がいるかは、知ってるか?」
「正妃陛下に、お子がなかなかできなかったから?」
側妃の子が第一王子であるということは、そういうことなんだろう。
と、思ったら、どうやら違うらしい。ウェスタ兄さまは苦笑いを浮かべながら、ゆるりと首を横に振った。
「正妃との婚約中に、側妃になる前の、伯爵令嬢が妊娠したんだよ」
「……は?」
正妃は他国の姫君だ。つまり、国と国との政略結婚。
それをなんと心得ているのか。
あー、なんだ。
そうか。そういうわけか。
だから乙女ゲームでも、第一王子は婚約者の私がいても浮気するわけか。
親がそんなだから、倫理観がぶっ壊れてるってわけね。
──もちろん、親を反面教師にしてまっとうに育つ場合もあるだろうけどさ。
「それでよく、正妃陛下は嫁いで来てくれたわね」
「正妃は正妃で、母国で何かやらかしてきたらしいよ」
ワーオ。
割れ鍋に綴じ蓋ってやつかぁ。
「ねぇ、王家って、アレな集まりなの?」
ウェスタ兄さまはため息を一つ吐いて、私の髪を撫でた。
「まぁ、それでも第一王子はマシだと思うよ」