第8話 うっかり新しい商売を始めることに
クリノリン。
それは、十九世紀にヨーロッパで生まれた、画期的な下着だ。
ドレスを膨らませるためには、女性は何枚も何枚もペチコートを重ね履きしないといけなかった。
そこへ、ランプシェードのような形に鯨ひげや針金を丸めて、ハリのある布を貼ったもので、何枚ものペチコートの代わりに、それをドレスの下にはけばふんわりとした形を作ることができるクリノリンが発明されたのだ。
私は手元でクリノリンの絵を描く。
「こんな形で、ここに……硬い素材を入れるんです」
「硬い素材」
「弾力があるもので──」
鯨ひげや針金は、この世界ですぐに手に入れることができるかはわからない。
でも。
デザイナーのジョニュア女史は真剣な顔で、私の手元を見つめている。
今まだこの世界にない商品。
つまり、これがうまいことヒットすれば、ガッポガッポお金が入ってくる可能性だってあるわけだ。
それって、悪役令嬢として万一断罪されたとしても、収入源があることにならないかな。
特許──は、この世界にないか。
でもこれをうまく売り出す商会を作れば良い。
他の店が真似をしたとしても、先行販売している利益というものは侮れないし、それに……。
「あっ!」
思わず立ち上がる。
「イリス? どうしたのかしら」
「お母さま、タッケィです」
タッケィとは竹のこと。
我が領には、タッケィ林──つまりは竹林が多い。辺境伯領は隣国との戦いがいつ起きてもおかしくない立地のため、小さい頃から武器を持って訓練をする。それは平民も同じで、小さい頃は比較的軽い竹光などを使って訓練をするため、竹を植えているのだ。
竹は薄く削げば、弾力性のある良い素材になる。
そう、つまりは──
「フェデル、薄く削いだタッケィを用意して、とホロ爺に伝えて」
「かしこまりました」
ほんの少しの時間を待つだけで、すぐにそれは届けられた。
前世で小学生の頃に工作で使ったことがあるような、竹ひごだ。
「ジョニュア女史、これをこう、円になるようにですね」
私はそれを使いながら、クリノリンの形を作り上げる方法を説明する。
布の使い手としてはプロフェッショナルなのは、彼女の方だ。すぐに、どんな素材の布を使ってクリノリンを作れば良いかまで考えついたらしい。
「これがあれば、下に何枚ものペチコートをはかなくて良いから、動きやすいし、こうして」
手元の絵に上下の矢印を書き足す。
「上下に畳めますので、馬車の中や外でも座るときも楽になるはず」
「これは良いわね。万一の襲撃で身を守るための布は減るけれど、その分身軽になって反撃がしやすくなるわ」
そうか。あの布は、命を守るために必要な枚数でもあったのね。
「あとは、布の枚数が減りますので、下半身を冷やさないために、こういうズボン型のペチコートをですね」
「その辺りについては、お任せください。女性の下半身は大切なものです。しっかりと検討いたしますわ」
心強い!
「では、そのクリノリン、だったかしら? それの試作品を早い段階で持ってきてくれるかしら。イリスの発明として、我が領地の商品として売り出しましょう。ジョニュア女史、あなたも忙しくなるわよ」
「この画期的な下着が生きるドレスラインを用意する、ということでございますね。お任せくださいませ。私もここエーグル辺境伯領で生まれ育った矜持がございます」
にやりと笑い合う大人二人……。これは、任せておいた方が良いのかしらね。
「あぁ、そうそう。それで、イリスのドレスの色だけどね」
「そうですわ。とても大切なことでございます。ご家族様のお色を?」
「いいえ。今回は黒を入れて欲しいの」
黒。それは婚約者となったデリーの色だ。
彼は黒髪に黒目だった。でも、私の年齢で黒を基調としたドレスって、難しくないかしら。
「まぁ。それは斬新でございます。イリス様のご年齢で、黒のドレスのご令嬢はいらっしゃいませんから、目立つこととなりますでしょう」
「かわいいイリスの魅力が存分に出るデザインでお願いね」
「それでいて、動きやすく!」
「イリス! あなたはまだそんな」
「だってお母さま。武門の娘として登城するんだもの。その方が良いわ」
嘘である。
動きにくいドレスを、わざわざ新しく作りたくないだけ。
でも、お母さまは私の主張に納得してくれたみたい。
「それもそうね。クリノリンで随分と動きやすくもなるでしょうし、あとは」
「ここ! 袖のこの部分を膨らませて欲しいの」
何枚も重ねるペチコートの他に、もう一つ問題があるのだ。
それが、コルセット。
ウエストを細く見せるために、木のツルを何本も縒ったものや、動物の骨を組み込んだコルセットで上半身を締め付けるアレは、できれば付けたくない。
「コルセットも、できれば普段使ってる布を重ねた柔らかいものにしたいの。そのかわり、ウエストが細く見えるように、肘の前後を膨らませた袖にするのはどうかしら」
つまり、ウエストの横にボリュームのあるものを置いて「あれ、なんか細いな」と錯覚させる方法だ。
アホみたいなウエストの細さは、内臓がおかしくなるから不要でしょ。
「イリス……、あなた」
あ、お母さまに怒られちゃうかな。なんか震えてるし。
怒ったら怖いから、いないところで言えば良かったかなぁ。
そんなことを思っていたら、抱きしめられた。
「お、お母さま?」
「あなたは天才だわ!」
「へ?」
「奥様のおっしゃる通りです」
「へ?」
ジョニュア女史までがそう言い出し、部屋にいた侍女達やメイドも頷いている。
どういうこと?
「このデザインも流行るでしょう。だれだって、あんなコルセットを着けたいなんて思わないもの!」
お母さまの言葉に、やはり部屋中の女性が頷いている。
あー、なるほどね。
そりゃそうだわ。
あれはブラジャーの代わりにもなっているとはいえ、苦しい。
前世で、ウエストのガードルを試着したことがあったけど、現代医学に基づくデザインで作られたそれですら、苦しかった。
「じゃ、じゃぁお母さま。いっそ、我が領地で大々的にコルセットに代わる下着も売り出しましょう」
こうして、私は新しく商売を始めることになってしまったのだった。