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第七話:ハーマン家を訪問する

 アビーはエイダと一緒に森を出てハーマン家に向かう。アビーの家から歩いて十分くらいだ。荒れ地の端っこに掘っ立て小屋が見えてきた。周りには小さい畑がある。間近で見ると自分の家よりぼろい家だなとアビーは思った。


 夫婦が畑仕事をしていた。アビーが挨拶する。


「こんにちは」

「やあ、こんにちは。君はどちらから来たんだね」


 主人らしき男性に聞かれた。髪の毛が長く肩まである。無精ひげも多い。まるでイエス様みたいだなとアビーは思った。服装はエイダと同じく粗末なズボンにシャツを着ている。


 エイダがアビーを両親に紹介してくれた。


「森の中に住んでいるアビーよ」

「私はウォルター・ハーマンだ。こちらは妻のレイチェル」


 レイチェルはワンピースを着ているが、その服装もところどころほつれたりとかなり冴えない格好だ。髪の毛は後ろで結んで垂らしている。化粧は全くしていない。この人もあまり顔色がよくないなとアビーは思った。


 しかし、夫婦とも穏やかそうに微笑んでいる。


「ここには何を植えているんですか」

「じゃがいもだな」

「じゃがいもって春に植えるものじゃなかったでしたっけ」

「普通は春だが、秋にも植えるよ。春よりも育ちが悪いけどね。収穫するのは来月かな。春に植えたものはすでに収穫して保存してあるよ」


 エイダが父親ウォルターに聞いている。


「アビーが足にケガをしたの。セントジョーンズワートの薬を使っていい」

「ああ、かまわないよ」

 

 ハーマン家の扉は少し傾いている。

 中に入ると、二部屋しかない。天井も低い。アメリカスギの木で作った壁も薄そうだ。奥の部屋に裏口があるがそっちも傾いているような感じだ。こんな薄っぺらい壁で冬場は寒くないのかなとアビーは思った。

 

 古い戸棚を開けてエイダが小瓶を取り出した。セントジョーンズワートで作った薬らしい。

 エイダがアビーの右足首のケガした部分に丁寧に塗ってくれた。


「これで出血が止まるのが早くなると思う」

「ありがとう、恩に着るわ」


 アビーはエイダが薬を塗ってくれた部分がなんとなくすっと気持ちよくなっていくように感じた。それにしても、アビーは雑草のセントジョーンズワートに出血を止める効果があるなんて全然知らなかった。


 確か、エイベルは、代々木こりの家系で森の中で生活をしていたというのに、木を切り倒して材木にしたり、またアビーには銃の扱い方は熱心に教えてくれたが、植物のことなんて全く教えてくれなかった。それとも木の伐採と動物の狩猟をするだけで充分だと思っていたのだろうか。単に肉が好きで野菜やら山菜とかが嫌いだったのかもしれない。


 家の中にレイチェル・ハーマンが入ってきた。


「アビー、もしよかったら昼食を食べていきなさいよ」

「いいんですか」

「ええ、全然かまわないわ」


 レイチェルが土間にある台所で料理を作り始める。ハーマン家は貧しいのに食事をご馳走になっていいのかなとアビーは少し迷ったが、むげに断るのもよくないと思い、そのままいただくことにした。


 ふと気がつくと、いつの間にかアビーの背後に男の子がいた。


「弟のジェフよ。あたしより六才下」


 エイダが紹介してくれた。ジェフが近づいてきたが歩き方がおかしい。エイダより六才下と言うと八才か。年齢からすると少し身長も低い。そう言えば、エイダも少し小柄だ。自分はけっこう背が高いのでそう見えるだけかもしれないとアビーは思った。


「こんにちは、ジェフ」


 アビーがジェフに挨拶するが返事がない。あたりをせわしなく見まわしたりと動きもおかしい。


「弟さん、ケガでもしてるの」

「ジェフは生まれつき足が曲がっていて、歩くことしかできないの。走れないのよ。おまけに口がほとんど使えないの。簡単な単語を喋れるくらい」

「そうなんだ、かわいそうに」

「別にかわいそうじゃないわ」

「え、なんで」

「神様が与えてくれた祝福よ。ありのままでいいの。ジェフは神様に愛されているのよ。ジェフには生きる意味があるの」


 これがハーマン家の教えかなとアビーは思った。神の祝福か。成長したら本人やハーマン一家はつらいことになるかもしれないんじゃないかとアビーは思ったが、あえて否定はしなかった。


 レイチェルが料理を作っている間に、ウォルター・ハーマンも家の中に入ってきた。休憩にはいったらしい。

 アビーがウォルターに声をかけた。


「ハーマンさん、エイダに薬を塗っていただいてありがとうございました。あと、昼食もご馳走になるのですがかまいませんか」

「もちろん歓迎するよ。肉は入ってないけどね」


 野菜のみの食事か。アビーの家では食事は狩猟で獲得した動物の肉が中心で、たまにハドソン村から野菜や果物を買ってくるか毛皮と交換したりして食べるくらいだった。アビーも野菜があまり好きではなかったので、ちゃんと食べることができるかなと少し心配になった。


 ウォルターがジェフを抱きあげる。


「ジェフ、今日は機嫌が良さそうだな」


 そのあと肩車して部屋を歩き回った。ジェフはニコニコしながら嬉しそうに笑っている。

 ジェフが喜んでいるのを見てエイダがウォルターに言った。


「お父さん、あたしも肩車してよ」

「エイダはちょっと大きくなり過ぎたなあ。もう無理だよ」

「えー、ずるい」


 レイチェルがエイダに呼びかける。


「あなたがお父さんの上に乗ったら頭が天井にぶつかるじゃない」

「じゃあ、家の外で乗せてよ」


 エイダがウォルターの前でぴょんぴょん飛んでせがむ。

 ウォルターが笑いながらエイダに向けて言った。


「エイダ、勘弁してくれよ。お父さん、エイダを肩車したらつぶれちゃうよ」

「あたし、そんなに重くないって」


 仲が良さそうなハーマン家のやりとりを見て、アビーはうらやましくなった。自分は父親に肩車してもらった記憶なんて一度もない。祖父のエイベルからもそんなことをしてもらったことはない。母親からは抱きしめてもらうどころか、殴る蹴るの連続だった。兄のビルはアビーにやさしかったが、妙な礼儀正しさも感じていた。まるで他人と接するような感じだった。ウィリアムズ家の家風と言えばそうかもしれないが、なんとも寂しい家庭だったなあとアビーは楽しそうにしているジェフを見て思った。


 障害を持っているが、少なくともジェフは家族から愛されているようだ。子供の頃から母親から虐待されてきた自分よりはましかもしれない。ただ、もしかしたら、ウォルター・ハーマンが村を追放されるようなおかしなことを言い出したのはジェフの障害が原因かもしれないともアビーは考えた。


 ハーマン家の粗末な長い机に簡単な料理が並べられた。主人のウォルターが祈りだした。レイチェル夫人やエイダも頭を下げて両手を組んで静かにしている。ジェフだけはあちらこちらに目をやっている。アビーも皆にならって頭を下げて両手を組んだ。


「天におられる私たちの父イエス様、皆が聖とされますように、御国が来ますように、御心が天に行われる通り、地にも行われますように。私たちの日ごとの糧を今日もお与え下さい。私たちの罪をお許し下さい。私たちも人を許します。私たちを誘惑におちいらせずに悪からお救い下さい。全ての生き物の罪をお許し下さい。全ての生き物が平和に暮らせるよう力添えをして下さい。全ての生き物が家族のように仲良く暮らせるよう力添えをして下さい。全ての生き物の魂をお救い下さい。アーメン」


 アビーはウォルターの祈りの言葉を聞いて少し違和感を覚えた。『全ての生き物の魂をお救い下さい』か。さっき、エイダに『このウサギの魂は天国へ行ったのかなあ』と言われたがこのことだったのかなとも思った。まあ、ハーマン家の教えだから自分には関係ないとも思った。アビーの家では食事の前はいつも「主の名によって祈ります。アーメン」だけでさっさと済ませてしまう。母親のアイリーンなんて一切祈ろうとしないほどだった。


 さて、肝心の料理の方だが、じゃがいもとかぼちゃ、ナスのシチュー、他にはセロリとカリフラワーのピクルス。自分の嫌いな野菜ばっかりだなとアビーは思った。しかし、食べてみると意外にも美味しい。ただ、毎日、野菜だけだとやはり力がでないのではと思ったりもした。ジェフにはエイダが手伝って食べさせている。


 アビーは以前から気になっていたハーマン家の教えについてウォルターに質問した。


「ハーマンさんの家では動物は一切食べないんですか」

「うん、生きた動物を殺して食べるのは残酷だと思うんだ。動物にも人間と同じで感情があるんだよ。動物は殺されるとき悲鳴をあげているんだよ。人間が殺されるときの感情と動物が殺されるときの感情は全く同じだよ。動物も生きていたいと思ってるはずなんだ。殺されたいとは思ってないよ」

「人間と同じですか。私は狩猟で生きてますが、そうすると人間と同じ動物を殺しているから、私は地獄行きということですか」


「いや、そんなことを言うつもりはないよ。と言うか、以前は『食肉は殺人だ。人間も動物も同じだ』って村の人たちに言ってたんだ。おかげで、マーシャル牧師が激怒してね。高尚な人間と下等な動物を一緒にするなって言われてさ。結局、こんなとこへ追い出されたんだけど、最近は考えが変わってきてね。植物にも感情があるんじゃないかと思いはじめたんだ」


 植物にも感情があるなんて、ウォルター・ハーマンの考えにますますアビーは面食らってしまった。


「植物にも感情があるってことですか。じゃあ、何を食べていけばいいんですか」

「そうなんだよ。それで、悩んじゃってね。人間は何かの命を犠牲にして食べなければ生きていけないんだよなあ。これだけはどうにもならないよ。食べないで自分を犠牲にするか。他の命を食べて生きていくか。結局、植物だけを食べて生きていくしかないなってことに決めたんだ。ただ、植物も動物も人間も同じ大切な命なんだ。これだけは間違いないと思うんだ。植物には感謝の気持ちでいっぱいなんだ。動物を食べている人たちにもその動物たちに感謝の気持ちを持ってほしいんだよ。生き物全体、動物や植物の魂を慰めてほしいんだ」


 アビーは、ハーマンさんは悪い人ではないとは思うが、やはり変わっているという感想を持った。動物からしたら、殺されて食べられて、あげくのはては毛皮を売られてしまったあげく、感謝されてもたまらないんじゃないのだろうか。植物も似たようなもんだ。ハーマンさんは考えすぎじゃないかと感じた。


 動物も植物も感謝なんかされたくはないんじゃないかな。感謝してやろうというのはある意味傲慢な考えじゃないだろうか。動物や植物の魂を慰めても仕方がない。必要もないし意味もない。自分だったら殺した奴から慰められても腹が立つだけだ。要するに必要以上に殺し過ぎなければいいんじゃないか。残虐に殺すことはよくないけど、やはり人間と動物や植物は区別した方が簡単じゃないかなとアビーは思った。人間を殺せば地獄行きということにすればよい。それだけで充分ではないかと。悪いことをしない。それだけで社会はまとまっていくはずだ。動物を狩ったり、植物を栽培して食べたりといろんなことを人間はしているが、結局、全ては偶然の産物だとアビーは思っている。


 ウォルターがアビーにちょっと照れたような感じで笑いながら言った。


「しかし、まあ、自分としてはもう他人にこの考えを押し付けるのはやめるつもりだよ。あくまで自分の家だけのことにしようと思っているんだ」


 アビーは思い出した。確か、スチュワート村長が言ってたなあ。ハーマンさんが他人に対して自分の考えを押し付けるのはよくないと思い始めてるって。実際のところ、生活が苦しくてその考えを変えることになったんじゃないだろうか。ハーマン家のみで野菜だけ食べているなら、別に村に戻るのは全然かまわないんじゃないかとアビーは思った。全く問題ない普通の人たちだ。


 昼食が終わるとまたハーマン家の人たちが祈り始めた。

 仕方なくアビーも手を組んで下を向く。


「主よ、感謝のうちにこの食事を終わります。全ての生物の幸せを祈りながら。アーメン」


 また長々と祈るんじゃないかと思っていたアビーは拍子抜けした。

 そんなアビーの様子を見て、ウォルターが笑った。


「前はもっと長々と祈っていたんだが、考えを変えてね。これも村に戻る準備さ。まあ、イエス様をお許しになるだろう」


 アビーはウォルター・ハーマンは一時的にちょっとおかしくなっただけで、その考えはたいしたものでもなく、別にいつでも村に戻っていいんじゃないかと思った。


 ハーマン夫妻は再び野菜の畑へ戻った。アビーはしばらくエイダたちと遊ぶことにした。ジェフが指で天井を指す。アビーはジェフがなにかしたいのかと思った。


「エイダ、ジェフが天井を指してるけど」

「ああ、ジェフは屋根裏部屋から外を見るのが好きなの。いつもはお父さんにおぶってもらうんだけど」


 エイダがジェフを背負って梯子を登ろうとするが、ちょっと重そうだ。


「エイダ、私がジェフが背負うわよ」

「アビーは足をケガしてるけどいいの」

「うん、全然痛くない」


 狭い屋根裏部屋に入って壁のぶ厚い板を外すと小さい窓が一つだけある。そこから外を見る。東の方向、五百メートルくらい先に雑木林があり、木の間から村道が見えた。その向こうにアビーが住んでいる森がある。


 アビーがエイダに言った。


「家はそんなに離れていないのに今まで全然交流がなかったね」


 ジェフは窓から外を見て微笑んでいる。なんてこともない風景だが、平和だなとアビーは思った。アンダーソンの言葉を思い出してますます馬鹿馬鹿しくなった。どこで木が殺し合いをしているんだ。


 アビーはジェフに話しかけた。


「私はアビーよ」

「……アビー」

「そう、アビー」

 

 ジェフがアビーを指差して言った。


「アビー、森」

「そうよ、私は森に住んでいるの」


 森を眺めているうちにアビーは今日狩ったウサギを血抜きしたままだったことを思い出した。


「じゃあ、エイダ。私は帰ります。セントジョーンズワートの薬を塗ってくれてありがとう」


 アビーがハーマン家から出て、夫妻に挨拶して帰ろうとすると、レイチェルに呼び止められた。アビーが少し待っていると、レイチェル夫人が木製の皿を持っている。


「これ、セロリとカリフラワーのピクルス。お土産にあげるわ」

「ありがとうございます」


 そして、レイチェルが少し小声になった。


「アビー、それで、ちょっと頼みがあるんだけど」

「なんでしょうか」

「エイダの友達になってほしいんです。あの子、友人が全くいないから」


 アビーは少し黙った。

 そして、レイチェルに言った。


「私の父は喧嘩で人を殺してしまって、牢屋で死んだんです。だから、私の一家はあんな森の中に住むことになったんです。それでもかまいませんか」

「そのことはスチュワート村長から聞いて知ってます。全然かまいませんよ。だって、アビーには罪はないでしょう」

「そうですか。じゃあ、こちらこそ歓迎します」

「ありがとう。これからもよろしくね」


 レイチェルさんもエイダのことは心配なんだろう。

 実際は普通の暮らしに早く戻りたいと思っているのではないだろうか。

 

 森の中の家に戻ったアビーは吊り下げていたウサギを解体した。足から、ナイフを入れて手でズルズルと毛皮を剝ぐ。毛皮が剥げたらはらわたを取る。肉は手足と頭、胴体をナイフで切って干す。毛皮も干した。


 さきほどのハーマンさんの話を思い出し、こんな姿にされて感謝されてもウサギはたまらないだろうとアビーは再び思った。とは言え、ハーマンさんの考えはたいしたことではないし、家に放火することまでしなくてもいいとアビーは考え、そんなことをしでかしたのはマーシャル牧師じゃないかとちょっと疑ったりもした。


 家に中に入ったアビーは、珍しく書き物をしているエイベルに話しかけた。


「お爺さん、体調はどうなの」

「うん、寝ていたらだいぶよくなったよ」

「私、ハーマンさんの家に行ってきた。あの人たち、別に変な人たちじゃなかったよ。野菜を栽培したり、山菜を採って食べてるだけ。お土産にピクルスもらったわ」


「ハーマン家って、確か主人がわけのわからないことを言い出して村から追放された一家じゃないかな」

「そうよ。けど、今日会ったけど全然普通の人たちだった。まあ、野菜しか食べないけどね。あとスチュワート村長さんから聞いたけど、ご主人も最近は考えが変わったみたい。他人に自分たちの考えを押し付けるのはよくないと思い始めたらしいの。村に戻りたがっているって話だったわ。これからもハーマンさんの家に行っていいかしら」

「ああ、別にかまわんよ」


 実はエイダと同じで、自分も友人が一人もおらず寂しい思いをしていたアビーにとって、わりと年齢の近いエイダというお友達が出来たことは嬉しかった。

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