第六話:エイダと出会う
翌朝。
アビーが朝食を食べていると、エイベルは食があまり進まないようだ。
元気がない。
エイベルの様子が気になり、アビーは話しかけた。
「お爺さん、調子悪いの」
「うん、なんだか疲れているんだ」
「体の方、大丈夫なの」
「少し休めば治るだろう。今日は一日ベッドで寝ているよ。まあ、もう老人だから仕方がないさ」
アビーは祖父の体調が心配になったが、娘であり、そしてアビーの母でもあるアイリーンの死がこたえているのかなと考えて、祖父をそっとしておくことにした。アビーも母親の件で気分がもやもやしてどうにも落ち着かなかったので、家にいるより外に出たくなった。
「じゃあ、私は狩りに出かけてくるけど、お爺さん、一人で大丈夫かしら」
「ああ、大丈夫だよ」
アビーは、金持ちから偶然もらった新品のライフル銃を試し撃ちするため、木のうろを標的に撃ってみることにした。馬小屋へ行って、昨日、フィラデルフィア市から帰るときに荷馬車に備え付けた新品のライフル銃を取り外した。古いウィンチェスターライフル銃は家の倉庫に片付けて、購入した銃弾二箱のうち一箱は家に保管した。
新品のライフル銃は今まで使っていたものより少し重い。標的との間は距離にして約百メートル。スコープ付きなので、前のライフル銃より標的が二倍ほど大きく見える。新品のライフル銃に五連発クリップを挿入し、銃弾を装填する。狙いをさだめて引き金を引いた。森の中に弾丸の発射音が響いた。しかし、外してしまった。
レバーを引いて再装填。もう一度撃ってみる。再び、森の中に弾丸の発射音が響く。やはり的を外してしまう。このスコープはいろいろと調整する必要があるみたいだなと思い、アビーは、一旦、家に戻った。机の上でスコープを調整しているうちに、今まではこんなものは付けてなかったと思い直しアビーはライフル銃からスコープを外した。その分、軽量にもなる。アビーは以前四百メートル先にいる鹿を仕留めたこともある。自分の目には自信があった。
今度はスコープ無しで撃ってみる。見事、的に命中した。あんなスコープより自分の目のほうが頼りになるとアビーは思った。銃身に元から付いている照準器だけで充分だ。新品なので、今まで使っていた古いウィンチェスターライフル銃より弾丸装填レバーの稼働も円滑に動く。いいものをもらったとアビーは嬉しくなった。
アビーは森の奥に入って、狩りに行くことにした。しばらく森の中を歩いているうちにウサギの足跡を発見した。野ウサギを仕留めたら、毛皮は売り、肉は自分たちの食料にするつもりだ。風下に寝そべって、気配を消す。
ウサギは耳が達者なので、足音や違和感のある物音がするとすぐに逃げてしまう。木の根元で休む場合が多い。じっと待つ。一度撃つと、外した場合、次の銃弾を装填して狙う間にすばしっこいウサギに逃げられてしまう。
獲物は一発で仕留めなければいけない。
しばらくすると、狙いを定めていた木の根元にウサギがやって来た。距離は約二百メートル。頭を狙う。地面に寝そべったまま台尻を右肩に押し付け、ゆっくりと照準をあわせる。引き鉄にかけている指に力を入れる。アビーは、ウサギに動くなよ、動くなよと念じる。引き鉄を引いた。銃声が森の中で響く。
ウサギは飛び上がって、空中で回転した。外したかと思ったが動かない。どうやら仕留めたらしい。近づいて見るとけっこう太ったウサギだった。アビーとエイベルだけなら、このウサギ一匹で一日分の食料になる。
家に帰る途中、アビーは動物の死骸を見つけた。野犬か狼かと思ったが、よく見るとコヨーテの死骸だった。アビーは思い出した。確か、今自分が持っているライフル銃を使っていたあの金持ちの中年男性が言っていたこと。アビーの家に寄ったときコヨーテを撃ったけど逃がしたとかなんとか喋っていた。あの男が撃ったコヨーテなんだろうか。ここまで逃げて、そして力尽きたのか。
コヨーテの死体を見ながら、昨日のクライド・アンダーソンの演説を思い出す。やはりくだらないとアビーは思う。コヨーテは強い動物だけど、結局、いつかは死ぬじゃないか。このコヨーテの死は銃で撃たれたのが原因のようだが、もし外れていてもいずれは病死か寿命が尽きて死んでいくのだろう。森の中では木が殺しあっているとか、強いものが勝つとか、弱肉強食とか言っていたけど、このコヨーテのように強くても最後は弱いウジ虫に食われてお終いだ。自分もウサギを狩ったのは強いとか弱いとかは関係なくて、所詮はたまたま起きたことに過ぎないとも思った。世の中の出来事は全て偶然じゃないかとアビーは考えている。
自分もいつかは死ぬ。母親はいきなり頭のおかしな奴に殺されて人生を終えてしまった。人生なんて突然終わるものなのかなあとアビーはコヨーテの死体を見ながら思った。母のことを考えていると再びいさかいの連続だった生活を思い出す。なぜ、母は私のことを憎んでいたのだろう。やたら嫌がらせを受けたがなぜか肝心のことを言わないような母の態度がアビーには不思議だった。嫌がらせじゃなくてちゃんと本心を言ってほしいといつも思っていた。
そんなことを考えながら、ぼんやりとアビーは森の中を歩く。母との嫌な関係を思い出しもやもやとしているとうっかり木の根っこにつまずいて転びそうになった。足を木にぶつけてしまった。痛みが走った。右足首から出血している。ささくれていた木に足首を当ててしまったらしい。
アビーが出血箇所を気にしていると、背後に少女が立っているのに気がついた。髪の毛は黒くてボサボサ。顔色もあまりよくないがにこにこと微笑んでいる。空色のワンピースを着ているが、自分が着ている服より粗末だ。この子、どっかで見たことあるなあとアビーが思い出そうとしていると、その少女が話しかけてきた。
「切り傷にはセントジョーンズワートの油が効きますよ」
草花に詳しくないけど、セントジョーンズワートとはたしか春から夏頃にそこら中に生えている雑草だなとアビーは思い出した。
その少女が再びアビーに声をかけた。
「セントジョーンズワートをオリーブオイルに浸して出来た油を擦り込むと化膿をふせいで治りが早いわ。あたしの家にセントジョーンズワートの薬を備蓄してあるけど来ますか。手当してあげる」
「ありがとう。出来たらお願いします。ところで、あなたの名前は」
「エイダ・ハーマンよ」
ハーマン家とは例のハドソン村から追放された一家のことだ。確か荒れ地の家の前でエイダらしき女の子がいたのを見たことがあったことを思い出した。アビーはなぜハーマン家が追放されたのか少し興味があった。
「私はアビー・ウィリアムズ。なんで森の中に入ってきたの」
「山菜を取りに来たの」
「今までも森の中に入ってきたことはあるの」
「うん、何度も森へは来たわ」
確かハーマン一家が村から追放されたのは五年前くらいだった。その頃からエイダは森に出入りしていたのだろうか。アビーはエイダを森の中で見たことはなかったし、不思議と顔を会わせることはなかったが、どうやらこの森の中は詳しそうだなと思った。エイダは森から出ようと歩いていく。そのエイダにアビーは声をかけた。
「ちょっと待ってね、ウサギとライフル銃を家に置いてくる」
途中でアビーの家に寄り、ライフル銃は荷馬車に戻した。アビーは家の軒先からウサギの片足を紐で吊り、逆立ちしているような状態にぶら下げて血抜きをすることにした。体温が残ってるうちに血抜きをしないとおいしい肉にはならない。
その作業中にアビーはエイダに聞かれた。
「そのウサギはアビーが撃ったの」
「そうよ。お礼に後で料理した肉をおそすわけしようか」
「あたしの家は肉は食べないの。野菜だけよ」
この前、スチュワート村長に会ったとき、ハーマンさんの一家は肉は食べないって言ってたことをアビーは思い出した。
「そうなんだ。普段は何を食べてるの」
「じゃがいもとか、後はナスやかぼちゃとか食べてるの」
なんとなく力が出ない食事のように思ったが、多分、ハーマン家の教えだから仕方がないかなとアビーは思った。
「エイダは何才なの」
「十四才よ。アビーは」
「私は十七才」
エイダが逆さに吊られている野ウサギの死体を眺めている。
しばらくして、アビーに聞いた。
「このウサギの魂は天国へ行ったのかなあ。アビーはどう思ってるの」
野ウサギの魂など考えたこともなかったアビーは面食らってしまった。
これもハーマン家の教えかなとも思った。
少し考えてアビーはエイダに返事をした。
「多分、天国へ行ったと思うけど、実際のところ私にはわからないわ。ウサギの命を奪ったけど、そのことで私自身がどうなるかもわからない。あと、さっき森の中でコヨーテの死骸を見つけたの。コヨーテはウサギとかネズミを襲って食べるけど、いつかは私が見つけたのと同じように必ず死んでいくの。そしてウジ虫に食われて終わり。あたしもウサギを狩ったけど、いつかはコヨーテと同じで死んでいく運命だわ。コヨーテや私の魂がどこへいくのかわからない。ただ、生きていくには仕方がないと思ってるけど」
アビーはそれくらいしか答えられなかった。
「このウサギは撃たれて痛くなかったのかなあ。それに怖くなかったのかしら」
再びエイダがつぶやくように言った。一発で仕留めたから痛みを感じる暇もなかったろうし、怖くもなかっただろうと思ったが、どうも動物を殺すことを非難されているのではないかと考えてアビーは困ってしまった。動物を狩って必死に生きている貧乏なウィリアムズ家にとっては動物の魂とか天国へ行ったとか考えても仕方がない。アビーは人を殺せば地獄に落ちるんだと形式的に考えているが、エイダが動物を殺すと地獄へ落ちるとでも言い出したらどんな風に答えればいいかと困ってしまった。これまで数えきれない動物を撃ち殺してきた自分は何度地獄へ落ちても仕方がないってことになる。
しかし、エイダはそれ以上、アビーに聞いてくることはせずに歩き出した。アビーはハーマン家の主人がどんな風に自分の考えを子供たちに教えているんだろうかと、ちょっとその考えも聞いてみたいと思った。