第二話:スミス診療所
一九一七年四月。
欧州での世界大戦において、アメリカはイギリスやフランスといった連合国側に立って、ドイツなどの同盟国側に対して宣戦布告した。二一才から三〇才に限られていた徴兵年齢は一八才から四五才にまで広げられた。
ハドソン村にも「アメリカよ、ここにわたしの息子がいます!」と銃を持った子供を軍隊に差し出す母親を描いたポスターが貼られたりした。徴兵を忌避する感情はまだアメリカ全土に存在したが、徴兵登録に関しては政府が懸念していたような大きな混乱も起こらず粛々と進められた。徴兵が免除される場合は扶養家族がいる者や産業や農業などで重要な役割を果たしている者などであった。
アビーの兄であるビルも徴兵された。母のアイリーンはビルが登録所に行くのを止めようとしたが、国民の義務と思っていたビルは母を振り切った。アイリーンは女であるアビーに「お前がビルの代わりに戦場に行けばいいんだ」とわけのわからない悪態をついた。祖父エイベルも「わしが十五才くらいの頃、南北戦争で北軍が徴兵制をひこうとしたらニューヨークで暴動が起きて、係官が百名くらい殺される事件が起きたもんだが、最近はみんなおとなしくなったなあ」と感想を言うだけだった。
数万人程度のアメリカ陸軍は数か月後には数百万人に激増した。急造された兵舎は新人の兵士たちでぎゅうぎゅう詰めになった。徴兵された兵士たちは同じ空気を吸い、同じ食器で飲み食いした。
一九一七年六月。
アメリカ派遣軍の第一陣がフランスに上陸した。
一九一八年三月。
アメリカ本国の米軍キャンプでインフルエンザが流行したが、誰も特に問題にはしなかった。
一九一八年四月。
米軍がフランス西部、ブルターニュ半島西端に位置する港湾都市ブレストに上陸したあと、たちまちインフルエンザが広がった。あっという間にフランス軍にひろがり、それがイギリス軍兵士にうつり、本国まで持ち込まれた。
このインフルエンザはドイツ軍にも流行した。この頃、ドイツ軍は西部戦線で最後の大攻勢、いわゆる「カイザーシュラハト・皇帝の戦い」を仕掛けていたが、連合軍の反撃を受けて、結局うまくいかなかった。
中立国スペインでは五月までほとんど患者が見られなかったが、国王がこの新型インフルエンザに罹ってしまい病状が深刻になり、報道はインフルエンザ一色になった。他の国は兵士の士気が落ちるのを恐れて報道管制をしていたので、この新型インフルエンザはスペイン風邪という名称で知られるようになった。
しかし、フランスに駐留していた二〇〇万人のイギリス兵のうち、一二〇万人がインフルエンザに罹ったが、まだ症状は穏やかですぐに復帰できた。イギリス本土でも、インフルエンザの流行は終わったと医学雑誌に掲載された。フランスでも今回流行しているのは穏やかなインフルエンザであると政府が発表した。この時期、インフルエンザによる死者はほとんど出ていなかった。スペイン風邪の第一波はこの程度だった。
アメリカ合衆国がドイツに宣戦布告した時点で、アメリカ国内のドイツ系の人口は約八百万人いた。参戦後、直ちに敵性外国人法が制定され、ドイツ国籍の住民の権利を制限した。ドイツ系アメリカ人は苦境に立たされた。武器の携帯は禁じられ、軍事施設から約二キロ以内は立ち入り禁止となり、五十万人近くの人々が政府の監視対象になった。
アメリカ赤十字社はドイツ系の姓の者の入社を禁止にした。ドイツ系のアメリカ人の中にはアメリカへの忠誠を誓うために戦時国債を大量に購入することを強いられる者もいた。ドイツ系アメリカ人が多く住む町ではドイツ語の通り名などが廃止されたり、公共の場でのドイツ語の使用が禁じられた。路上や電話などでドイツ語の会話をすると周りの非ドイツ系アメリカ人から白い目でみられることになった。
民間ではドイツ系住民への暴力が過激さを増していった。イリノイ州のコリンズヴィルという町ではアメリカ国籍を持つドイツ系の炭鉱夫が「ドイツのスパイ」と言いがかりをつけられて二日間に渡ってリンチされたうえ、体に星条旗を巻きつけられて街中を引きずりまわされたあげく、巨木の枝に吊るされて殺された。
アリゾナ州でもドイツ出身の男性がドイツ文化について少し褒めただけで暴徒によってリンチで殺害された。この犯罪の主犯とされた男は裁判で無罪になった。『ワシントンポスト』紙はこの事件について『リンチ行為は行き過ぎではあったが、これはアメリカ国内が健康かつ健全な愛国心に目覚めたからである』という社説を掲げた。
モンタナ州でもドイツの工作員と疑われた労働組合員が鉄道の橋で縛り首にされた。多くのドイツ系アメリカ人が自らの祖先の文化を否定、母国との繋がりを断ち切らざるを得なくなった。
政府は戦時の治安維持や徴兵業務の補助などを民間の団体に委ねるようになり、その中には防諜活動にたずさわり疑似警察的な活動をする団体まで現れた。極右団体のアメリカ国防連盟は会員数を二十五万人にまで膨張させ、大規模な徴兵忌避者狩りや反戦活動家の摘発を行うようになった。他の極右団体も活発に活動するようになり、民間人による暴力行為はアメリカ全土で拡大していった。
このように世界大戦に参戦したため、アメリカ国内は多くの人に愛国心を強要する不寛容で不穏な社会情勢になった。
そんな状況の中、アビーの家に兄のビルがフランスで戦死したとの報告がもたらされた。一九一八年九月二十六日から行われた米国軍事史上最大である百二十万人の米兵による大規模な侵攻であった「ムーズ・アルゴンヌ攻勢」で死亡した。まだ、二十一才の若さだった。
アビーの母、アイリーンが半狂乱になった。もともと心が弱い女性だったが、ビルの死を知らされると手首を切った。あわてて、祖父のエイベルが応急手当をしてなんとか命はとりとめた。母のことを心配したエイベルは近くのハドソン村にあるシュミット診療所に入院させることにした。シュミット診療所は先代の所長が亡くなったあと、息子のカール・シュミット医師が継いだ小さい診療所だ。
そこでアイリーンは殺された。
診療所の建物は小さくベッドは八床。大部屋が二つだけで、男女別に四人ずつ入院できるようになっていた。当日は、女性用の部屋はアビーの母、アイリーンしかいなかった。
殺した犯人は若い男でペンシルベニア大学で学んでいたが、その後、体調不良になり休学して、今は故郷のハドソン村で一人暮らしをしていた。親の残した遺産で暮らしていたが、普段は借家にひきこもっていてあまり周りの村人たちとは付き合いがなかったようだ。最近は生活が苦しかったようで借金まみれだったようだ。
その男はどうも精神に異常をきたしていたようで、夜に診療所に忍び込むと寝ているアビーの母にいきなり襲いかかってナイフで頸動脈を切って殺害した。その後、男性用の部屋にも侵入、他の患者にも切りつけたが、そこには四人の入院患者がおり抵抗されたので、そのまま診療所から逃げて自宅に戻った。
騒ぎを聞いた夜勤の看護師が襲われた患者たちから犯人の情報を得ると、村の自警団に通報した。数人の村人たちで構成されている自警団が事情を聞くため犯人の家に訪問した。すると、そいつはいきなりナイフで襲いかかってきた。わけのわからない言葉をわめいていたらしい。結局、犯人は自警団の村人からショットガンで撃たれて死んだ。
次の日、ハドソン村近くの森の中の小屋に住んでいるアビーとエイベルは知らせを受けて、早朝に急いで荷馬車で村にやって来た。
診療所のベッドに母親の遺体が寝かされていた。
偶然にもハドソン村の村長宅に訪問していた郡保安官が事件現場に到着しており、すでに検視も終わっていて母の遺体はアビーたちが引き取ることになった。エイベルがアイリーンの遺体をシーツでくるんだ後、抱きかかえて荷馬車に運ぶ。アビーは母親が使っていた病室に私物を取りに行った。その部屋の壁には、赤い血で文字が書かれていた。
犯人は母の首を切り、流れて出てきた血液で書いたらしい。
アビーには読めなかった。
英語じゃない。
外国語のようだ。
案内してくれた診療所の責任者であるシュミット医師にアビーは聞いた。
「シュミット先生、あれはなんて書いてあるんですか」
「アビー、すまんがシュミットとは呼ばないでくれないか」
「え、なぜですか」
「表向きはスミスって名乗ることにしたんだよ。ここもスミス診療所に名前を変えるつもりだ。シュミットだとドイツ系って分かってしまうんでね。心配してるんだ、変な言いがかりをつけられるかもしれないからね」
シュミット医師は小柄でやせた体を白衣でまとい、確かまだ三十才になるかならないかという年齢にはふさわしくない少し禿げあがって汗ばんでいる広い額をハンカチで拭いた。
ドイツ系のアメリカ人がいろんな場所でリンチされていることはアビーも知っていた。リンチされた人の中にはちゃんとアメリカ国籍を持つ普通のアメリカ人いたのに、ひどいことをする。アメリカは移民の国なんだから、元をたどればリンチをしている方にもドイツからの移民の子孫がいるんじゃないのか。そんなことをする連中は頭の中がいかれてるとアビーは考えていた。
ドイツのスパイとか疑われて殺された人もいたようだ。怪しい人物がいたとしたなら逮捕して普通に取り調べればいいだけの話だ。なぜ、大勢で殴る蹴るのリンチをしなくてはいけないのか。殺したらスパイかどうだったかもわからなくなる。誰か止める人はいなかったのだろうか。止めたら自分もドイツのスパイと疑われるのが怖かったのだろうか。
しかし、自分がその場にいたら止めることが出来ただろうか。冷静に行動できただろうか。森の中で一人で狩猟をしている時はいつも冷静に行動できるのだが。怖くてただ見てるだけかもしれない。もしかしたら、自分もリンチの仲間に入っていたかもしれない。人間とは集団になると何をするかわからない存在だなあとアビーは思った。
心配げなシュミット医師にアビーは言った。
「ペンシルベニアはドイツ系の住民が多いから大丈夫じゃないでしょうか」
「いや、用心にこしたことはないよ。頭がおかしい奴はどこにでもいるからね。今回の犯人のように。君の母親も残念なことをしたね。実はあの犯人は体調が良くないってことで何度かこの診療所にも来ていたんだよ。その際に、弱者は徹底的に没落させなきゃいけないとか、それこそが人間愛なんだとか変なことを言ってたなあ。ただ、おとなしい態度だったので私も特に注意はしていなかったんだよ。もっと深刻に受け止めるべきだった。アビー、すまなかったね」
「いえ、悪いのは犯人で先生の責任ではありませんから」
犯人も死んでしまったし、シュミット医師を責めても仕方がない。
母が戻ってくるわけでもない。
シュミット医師が壁に書いてある文字を指差す。
「それで、あの壁の文字だけどドイツ語なんだよ」
「なんて書いてあるんですか」
「『弱い者は死ぬべきだ』って書かれているんだ」
ひどいことを書く奴だなとアビーは思った。
しかも母の首を切って流れ出てきた血を使いやがって。
ろくでもない奴だ。
けど、なぜドイツ語なんだろう。
「犯人はドイツ人だったんですか」
「いや、ドイツ系でもないし、ドイツとは全く関係ないようだ。ドイツ語は大学で習得したらしいな」
「じゃあ、なんでドイツ語で書いたんですか」
「どうやらニーチェの思想に影響されたらしいってことだ。あの郡保安官は博識だな。犯人の上着のポケットにはニーチェ哲学の小冊子が入っていたそうだよ。自宅にもその関係の本が書棚にたくさん並んでいたようだ」
アビーはニーチェなんて人物は知らないし、聞いたこともなかった。
「ニーチェって誰ですか」
「ドイツ出身の哲学者だよ」
「そのニーチェって人がそんな事を言い出したんですか」
「いや、実のところ私はニーチェの著作は読んだことはないんだよ。哲学には興味がなくてな。多分、そんな事は言ってないとは思うけどなあ。郡保安官から聞いた話によると犯人は自分が精神的にも肉体的にも強い『超人』になったから、『強者』である自分に対して、『弱者』である君のお母さんや他の患者たちは生きる価値がない存在で、同情する必要もないし、殺してもいいと思い込んだようだ。犯人にとっては自分の行為は良くも悪くもない当然の行為らしい。自宅の壁に今言ったようなことが書いてある紙が貼ってあったようだ。『倫理道徳は弱者の自己弁護だ。弱い心が人をダメにする』なんてことも書いてあったようだよ」
『超人』ってなんのことだろう。
強くなったらなんで他人を殺していいのだろうか。
良くも悪くもない当然の行為ってどういう意味なんだ。
倫理道徳がなんで弱者の自己弁護になるんだ。
アビーには、シュミット医師が何を言っているのかさっぱりわからなかったので、思わず聞いてしまった。
「先生も『弱い者は死ぬべきだ』って思いますか」
「まさか、そんなこと思ったこともないよ。むしろ積極的に生きるべきだよ。例えば、何らかの障害を持って産まれてきた人がいたとしても、その人はそのつらさが実際に理解出来るから、他人にもやさしくできる人間になれるし健康の大切さも理解できる。それに、健常者でもいつかは老いるしね。老人になって体が弱ったとしてもあの犯人のような人間には殺されたくはないだろう。ニーチェの著作を読んだことはないけど、もしそんなことが書かれていたら私はその思想を完全に否定するよ」
シュミット医師の答えを聞いてなんとなくきれいごとを言っているなあとアビーは感じた。自分の母親は心が弱いと言うか、精神的に少しおかしかったので全然自分にやさしい態度で接してくれなかった。やさしいどころか虐待の連続だった。けどまあ、医者としての立場ではそういう風に言うしかないだろうし、またそう考えないと社会はまとまらないだろうなあと思い、それ以上聞くのはやめた。
他にもシュミット医師は妙なことを教えてくれた。
「ニーチェには他にも有名な言葉があるみたいだよ。一番有名なのは『神は死んだ』ってやつさ。私の知識はそれくらいだよ」
『神は死んだ』か。
あまり信心深くないアビーでも、ずいぶんとだいそれたことを言う学者だなと思った。しかし、世界大戦やスペイン風邪で大勢の人たちが死んでいく今の状況を見るとそう思いたくなるときもある。ただ、『神は死んだ』なんて言い出して、ニーチェという人は身の危険を感じなかったのだろうか。
「それで、そのニーチェって人はどうなったんですか」
「詳しくは知らないが、噂では晩年に発狂したって聞いたなあ。元々体が弱い人だったらしいけど。なんだか、ある日、突然荷馬車の馬にとりすがって号泣してそのまま病院に連れていかれたってことだよ」
「重い荷物を運んでいる弱い馬に同情したんですかね。弱い者は死ぬべきだって考えは捨てたんでしょうか。それで、その学者さんはその後どうなったんですか」
「さあ、そのまま精神病院に入院してもう二十年前くらいに亡くなったみたいだよ」
なんだ、要するに頭のおかしい人のたわごとじゃないか。
そんな人の考えにそまった奴に殺された母がかわいそうだとアビーは思った。
帰り際に、シュミット医師はまた少し心配げな顔でアビーに言った。
「まあ、このことは周りには言わないでほしいんだよね。犯人はドイツ人じゃないけど、ドイツ語を使ってそんなことを被害者の血で壁に書くなんて常軌を逸した行為だよ。今、ドイツと戦争をやっている状況で、村の人たちにこの件が伝わるとドイツ系の私になにかしら不都合なことが起こるかもしれないからね」
「わかりました。誰にも言いません」
アビーは荷物を持って、エイベルの待つ荷馬車へ向かった。但し、シュミット先生がなにか起きないかと心配しているのが気がかりだった。アビーはこのことを誰にも言うつもりはないが、結局は誰かが言いもらしてこの小さいハドソン村ではあっという間に噂で広まってしまうのではないだろうか。
診療所を出て玄関前で荷馬車の荷台にアイリーンの荷物を置く。アビーも荷台に乗りエイベルが荷馬車を動かし始めた。エイベルは無言だ。突然の娘の死に何も考えられないかもしれない。
荷台にはシーツにくるまれた母親の遺体が乗せてある。もう二度と母と会話をすることはない。生きている頃は母と喧嘩ばかりしていたが、突然亡くなってしまい、アビーは心にぽっかりと穴があいた気分になった。
子供の頃から母にはひどい目に遭ったが、なぜか母の行動はおかしい気がしていた。本当にアビーを憎んでいたのかどうかもよくわからなかった。頭がおかしいと言うだけではすまされないような感じがした。いったい、母の人生には何が起きたのだろうか。