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第十話:祖父の死

 翌朝、アビーは狩猟に出かけた。エイベルはまたベッドで横になっている。村の診療所へつれていこうか迷ったが、祖父は嫌がるだろうと思い、また、まだ頭の方ははっきりしているし会話もちゃんと出来るのでもう少し様子を見ることにした。


 森の中を歩いて獲物を探す。以前は鹿とかもっといたような気がしたが、最近はまったく見ない。このまま狩猟生活が出来るのかと少し不安になった。結局、午前中に野ウサギ一匹を仕留めただけで終わった。エイベルのことが心配になったアビーはとりあえず家に戻ることにした。


 家に帰ると、祖父のエイベルがマーシャル牧師と家の外で口論をしているのが見えた。

 しばらくして、戻ってきたエイベルにアビーは聞いた。


「何かあったの、お爺さん」

「マーシャル牧師が戦時国債を購入しろって言ってきたんだ。変なキャンペーンバッジまで胸に付けてやがった。今、購入すればいずれは数パーセントの利子がついて戻ってくるって勧めやがるんだが、そもそも国債を買える金が無いよって断ったんだ。そしたら、あんたはドイツのスパイかなんて言いやがって、口論になったんだよ。ふざけやがって」

「戦争はもう終わるよって、フィラデルフィア市の銃砲店の店長さんが言ってたけど」

「そうみたいだな。まあ、ハドソン村の中には購入する人もいるらしい。実際、利子は期待できるかもしれないけど、そんなのはある程度金銭に余裕のある人しか買えないだろ。それを断ったからってドイツのスパイとか言い出したんだ。頭がおかしいぞ、あの牧師は」


 エイベルの話を聞いて、どうも変だなとアビーは思った。戦時国債の購入はともかく、ドイツのスパイって考えがおかしい。ボブ・ケントたちと会ったときも思ったが、だいたい、なんでこんな田舎にドイツのスパイが潜入しなくてはいけないのか、いったい何をするのか、何の意味があるのかとアビーには全然理解できなかった。


 しかし、ドイツ系住民に対する偏見は田舎の方が強いとも聞いていた。ドイツ系の人たちが暴力を受けたのも田舎だ。ニューヨークとか大都市でドイツ系の住民がリンチされたあげく市中を引きずりまわされて殺されたなんて事件が起きた話は聞いたことがない。アビーはマーシャル牧師はクライド・アンダーソン元下院議員の影響をかなり受けているのではと思った。


 アビーが昼食を作っている間、エイベルは丸太の椅子に座って、少し疲れた表情を見せた。その表情を見て、アビーはエイベルの健康状態がますます心配になってきた。


「お爺さん、なんか調子が悪そう。シュミット先生、じゃなくてスミス先生の診療所へ行ったほうがいいんじゃない」

「いや、大丈夫だよ」


 しかし、エイベルは昼食を目の前にしても、ほとんど食欲がないようだ。


「お爺さん、本当に大丈夫なの」

「ああ、もうわしも老人だからな。あの頭のおかしい牧師と喧嘩して疲れたよ。悪いがもうちょっとベッドで寝かせてくれ」


 エイベルはろくに食事も取らずに自分の部屋に戻って行く。

 しかし、部屋の扉を開けた途端に胸あたりをおさえてエイベルが倒れた。


「お爺さん、どうしたの!」


 あわてたアビーは何度もエイベルに呼びかける。反応がない。驚いたアビーは荷馬車でシュミット医師の診療所まで急いで運んだ。しかし、診療所についたころにはエイベルはすでに亡くなっていた。死因は胸部大動脈瘤破裂。


 ベッドで横たわって動かないエイベルを見て、何でもっと早く診療所へ連れて行かなかったのかとアビーは呆然とした。


 傍らにいるシュミット医師にアビーは聞いた。


「もっとはやく先生のとこへ連れてくればよかった。そうすればお爺さんは助かったんですよね。私が悪いんだ」


 アビーは泣き始めた。

 シュミット医師がアビーを慰める。


「この病気は患部が破裂するまでほとんど無症状だからエイベルさんも気にしなかったんじゃないかな。仕方がないと思うよ」

「けど、私はお爺さんが調子が悪いと感じていたんです。無理矢理でも連れてくればよかったんですよね」

「いや、これは運命だと思う。とにかく、アビーは責任を感じることはないよ。エイベルさんは天国へ行ってしまったんだ。これから大変かもしれないけど、アビーは毎日を一生懸命生きること。そうするしかないよ。何か困ったことがあったら私に相談してくれないか、いつでもいいよ。もし、生活に困ったら、多少の融通も聞くし。とにかく元気を出してくれ、アビー」

「はい、ありがとうございます」


 力なくアビーは荷馬車を走らせる。

 荷台には祖父エイベルの遺体。母と同じくシーツにくるんだだけだ。


 母のアイリーンの隣に墓穴を掘った。固い地面を一人で掘るのは重労働だ。すっかり疲れてしまった。マーシャル牧師が嫌いなアビーは呼ばなかった。だいたい、あの牧師との口論が祖父の死の原因じゃないのか。しかし、自分だけの祈りで祖父の魂は天国へいってくれるのだろうか。木片で作った十字架を建てようとして、エイベルがいつ生まれたか知らないのにアビーは気づいた。


 エイベルの生まれた正確な年を確認しようと、祖父の部屋にある机の引き出しの中を確認していると、アビーはけっこうなお金があるのを発見した。他にもフィラデルフィア市の毛皮の取引所への紹介状。エイベルが亡くなったらアビーが権利を継げるようになっていた。エイベルは自分の将来のことを心配してくれていたんだなとアビーは思った。しかし、そんなことよりアビーが衝撃を受けたのは、それらに添えてあったエイベルが書いた手紙だった。アビー宛てだった。この前、珍しく書き物をしていたが、その時書いていたものらしい。


『アビーへ。散々迷ったけど、お前ももう子供じゃないし、やはり知っておくべきだと思って書くことにした。お前はアイリーンの子じゃないんだ。お前の父、アルバートが他の女に産ませた子供なんだ。身持ちの悪い女だったようだ。ある日、その女がやってきて赤ん坊のお前をアイリーンに押し付けたんだ。その日からアイリーンはさらにおかしくなってしまった。なんで、さらにおかしくなったと言うとな、実はわしは若い頃、人を殺したことがあるんだ。アルバートと同じだよ。つまらん喧嘩でな。相手の方が悪いと判断されて牢屋には入らなかったけど、村では差別されてな。それが原因で森の中の小屋に逃げたんだ。その家には変わり者の爺さんが住んでてな。その爺さんの世話になったんだ。わしの家が代々木こりの家系ってのは嘘だよ。恥ずかしくてお前には本当のことを言えなかった。そのおかげで、アイリーンは学校で相当虐められたようなんだ。ついに耐えきれず自分を虐めてた生徒を学校の校舎の入口で突き飛ばしてしまったんだ。その生徒は入口のほんのわずかの高さしかない一段に足を取られて地面に頭を打って死んでしまったんだよ。全く運の悪いことだったよ。アイリーンは年齢も低かったし、刑務所とかには収容されなかったけどな。ただ、過失とは言え、人を殺した罪の意識にさいなまれておかしくなってしまったんだ。アイリーンは非常に真面目な娘だったからな。一時、精神病院に入ってた時期もあるんだよ。しかし、なんとか本人も努力して退院できたんだがな。その後も村では差別されてつらい目に遭ったようだ。それでもがんばって他人の農場で働かせてもらったんだ。その頃はまだ母親も、お前の祖母のことだが、健在だったしな。そして、働いていた農場でアルバートと出会ったんだ。いい奴だったよ。アイリーンが事件を起こしたことや精神病院に入ったこと、父親のわしが人を殺したこと、全て知っていても結婚してくれたんだからな。ただ、アルバートの家は事業に失敗して財産を全て失くしてしまっていたんだ。それで一家離散状態になっていたんだ。でも、アルバートは頑張って働いて借金を返したんだ。しかし、その直後、今度は詐欺師に騙されてまた財産を失ってしまった。それで、人生に絶望して酒浸りになってしまった。アイリーンにも暴力を振るったりするようになった。家にも帰らなくなり、最後はつまらない喧嘩で牢屋に入って死んでしまった。わしにアルバートを非難する資格はないけどな。その間に母親は死に、アイリーンも人生がいやになったんだろう。わしもアルバート、そしてアイリーンも人生に失敗した人間だ。アイリーンはどんどんおかしくなったんだが、結局、自分が人を殺したことを忘れることができなかったんだろう。たまに泣きだして、アデル許してとか言ってたが、アデルとはお前の事じゃない。アイリーンが突き飛ばして死なせてしまった同級生のことだよ。アイリーンは最後まで悔やんでいたかもしれない。そのいらだちをお前にぶつけていたんだと思う。アイリーンは自分のことを憎んでいたんだ。わしにはアイリーンがお前のことを憎んでいたとは思えないんだよ。押し付けられたのに、小さい頃は村にある狭い家でしっかり育てていたようだ。お前は覚えていないだろうけどな。ただ、お前が成長するにしたがってアイリーンは学校の頃を思い出してしまったんだと思う。同級生を殺したってことをな。お前を虐めないよう何度もアイリーンを諭したんだがな。それでもおかしくなってしまった。原因はわしも人殺しだったってことだよ。アイリーンは悪くない。悪いのはわしだよ。お前にやたら当たり散らしていたが、アイリーンを許してやってくれないか。わしからも頼む。それにはっきりしていることはお前には罪はないってことだ。人生とはつらくて苦しみの連続かもしれない。先のことなど誰にもわからない。自分ではどうしようもできないときもある。ただ、今からお前に向けて書くことは重要なことだ。人は皆、いつか必ず自分の人生の行先を決定する場面に会うんだ。やり直すことは出来ないんだ。もし、誤った選択をしたらその結果の責任を自分自身でとらなければいけないんだよ。アビー、生きていくには賢い選択をするように、そして、精一杯生きてくれ。これがわしの遺言だ。エイベル』


『生きていくには賢い選択をするように』か。祖父も父と同じく人を殺していたのか。おまけに母親まで。村の人たちからウィリアムズ家がかなり嫌われている理由がわかった。祖父、父二代続けて人を殺しているし、母も人殺しだ。そりゃ嫌われてもしかたがない。


 しかし、自分がアイリーンの娘ではないことが書かれていることが一番アビーを落ち込ませた。実は、薄々アビー本人も気づいていたのだ。前々からそんな考えが何度も頭に浮かんでいた。ウィリアムズ家は皆、金髪で瞳が青い。自分は髪の毛は濃い茶色、瞳の色も茶色。顔も全然似ていない。ひょっとしたら自分はウィリアムズ家の人間ではないかもしれないと。しかし、そんな考えが浮かぶたびにすぐに打ち消していた。本当のことがわかるのが怖かったからだ。


 しかし、エイベルの手紙にはっきりと書かれている。正直言って、エイベルには書いてほしくなかったなとアビーは思った。母はどうりで私に冷たかったわけだ。散々嫌がらせを受けたが理由は単純な話だ。自分の娘じゃなかったからだ。夫の浮気相手の娘にやさしくするわけない。エイベルも自分と目を合わせようとしなかった。兄のビルはアビーにはやさしかったが、その態度にはどことなく他人行儀な雰囲気も感じていた。だいたい、本当にアルバートの子供なのだろうか。相手は身持ちの悪い女性だったらしい。


 自分はウィリアムズ家とは全く関係ないかもしれない。ただ、自分の本当の母親に会いたいとはアビーは思わなかった。今、もし会いたいとすればアイリーンの方だ。あんなにひどい暴力を受けて、喧嘩の連続だったのに。とにかくアイリーンにもう一度会いたいとアビーはなぜか思った。もう絶対に会うことはないにもかかわらず。


 もう夕方だ。アビーは木で作った粗末な十字架にエイベルの名前と生まれた日付と亡くなった日付を書いて、墓に立てた。型通りにエイベルの魂を祈ると、家に帰って自分以外は誰もいない家でポツンと丸太椅子に座る。


 アビーは途方に暮れていた。アメリカが欧州大戦に参戦してから、兄のビルは戦死、母のアイリーンは殺害され、そして祖父のエイベルは病死と立て続けにいなくなってしまった。猫までいなくなってしまった。エイベルが残してくれたお金で当分暮らしていけるし、毛皮の取引場の紹介状もある。狩猟の腕には自信があった。しかし、自分はひとりぼっちになってしまった。この家に暮らしていた人たちは皆いなくなった。アビーはすっかり落ち込んでしまった。


 一人家で悄然としながらアビーは家族の幻影を見る。


 小さいアビーが家の側で兄のビルと遊んでいると、母が抱きかかえてくれた。にこやかに笑っている。頬ずりをアビーにした。家の外に置いてある椅子に座った祖父も嬉しそうだ。エイベルが餌を食べ終わった猫のマックスを抱き上げ膝の上に置いて、背中をなでたり、顎の下をかいてやってる。みんな楽しそうだ。


 そんな明るいことは一切なかったとアビーは気づく。

 猫のマックスはほんの二年前に村からもらったんだから。

 自分が小さい頃にいるわけない。


 これから私はどう生きていけばいいんだろうとアビーはただ落ち込むばかりだった。

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