職探しは死活問題なんですっ!
そのビルは景色がすごくいいのだ。東向きで、朝は日が差して少し眩しい。
昨日もみの木のスタジオに行った時とは違う、ちょっとビジネスチックな格好で、あかりはそのビルの3階にいた。
「佐藤さん、この書類コピーしてきて。あと今日届いた分の納品書の整理、よろしくね。」
国原百合子…あかりは国原さんと呼んでいるその人は、ゆっくりとした動きで書類をあかりに渡した。
月曜日の朝10時、いつもの風景だ。
はい、と短く返事をして慣れた足取りであかりはコピー機へ向かう。
「今日は株の調子良くないわ…競馬にかけるしかねぇな、こりゃ。」
携帯で株のチャートを見ながら競馬のネットニュースをチラ見するのは、あかりの隣に座る今井宏だ。パパ活アプリを使って若い女の子を毎日物色しているらしいが、本人も彫りが深くて整った顔立ちなのでそこそこ楽しめているようである。
朝10時に馬の動画見てられるオフィスもなかなかないと思うが、ここは社長がいないと割と無法地帯だった。
株式会社リボタ。
あかりのバイト先である。
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声優の卵だから、声優の仕事だけで食べていけるわけがない。
というかむしろ、レッスン費とかワークショップの費用がかさむ。
昨日の預かりレッスンだって、無料ではないのだ。
あかりはさらに、ボイストレーニングとかダンスレッスンとかにも行きたいと思っているけれど、
お金が無くて行けない。
それに加えて食費、光熱費、家賃…なんて考え出すと、目がくらみそうになる。
だから、声優の卵は、自分の本職がなんなのかわからなくなるくらいにはバイトしないと、生活していけないのだ。
孵化するまで。
オーディションに受かるまで。
声の仕事で食べていけるようになるまで。
それはいつになるのか、そもそもそんな日がくるのか、誰もわからない。
終わりがあるのかすらわからない階段を登り続けているのが私たち。
あかりも、だから株式会社リボタでは週に6日、朝から夜までフルで働いていた。
面接で合格したのは奇跡だったと思う。
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半年前。
「(また落ちるんだろうなぁ…)」
あかりは濡れた傘をぷるぷると降りながら、このビルのエレベーターを待っていた。
アルバイトの面接は5件目だった。
うどん屋さん、カフェ、総菜屋さん、レストラン…。
あかりは学生の頃、飲食のバイトをしていたから、何と無く求人を探すときも応募先はそちらに偏った。
履歴書は、書ける。特に全然、問題ない。
問題はいつも、面接でシフトの話をされる時に起こるのだった。
「佐藤あかりさん、ね。ウチはええと、シフトは1ヶ月ごとに出すんだけど大丈夫だよね?」
「あ、ええと…。」
あかりは少しまごついてからどう答えるか迷った。いつも困る質問である。
「あの、急なお休みとかって、もらえたりするんでしょうか?」
「ええと…体調不良とかは仕方ないと思うけど、できればない方がありがたいかな。うちもギリギリの人数でシフト組んでるし、休まれると必ず誰かがヘルプに入らなきゃいけないから。」
「そう、ですよね…。」
店長は至極まっとうなことを言っている。それはあかりにもよくわかっている。
でも、1ヶ月先の予定をしっかり確定させることができないのだ。
ちょうど昨日、あかりの携帯にショップマン事務所のマネージャーから連絡があった。
「オーディションがあるから、データを後でメールで送ります。資料見てキャラクターを作ってきて。オーデションは明後日だけど、いける?」
三日後のオーディションの連絡が三日前に通達される。
こんな風に、声優のオーディションは唐突なのだ。
「ごめんなさいバイトがあるから行けません」では、自分の本職が何なのかもう本末転倒だし、
そんなことをしていたらオーディションは貰えなくなる。
そんなことになったら、あかりはただバイトをしているだけの人間になる。
オーディションの連絡があったら、這ってでもいかなくてはならないのだ。
それは、孵化するチャンスかもしれないのだから。
だから、1ヶ月シフトだと、急な休みを取らざるを得ない日は必ず来てしまうのだ。
「…佐藤さん、急な休みを取る予定でもあるの?」
黙り込んだあかりを、少し不審そうに見る店長に慌ててあかりは困った顔で笑った。
「あ、えと、ちょっと声優…声の仕事を目指してて…。オーディションとか、そういうのがあるとやっぱり急におやすみしちゃうかもしれなくて、ってえと、はい、そんな感じなんです。」
この言葉にいつも面接をする人は顔色を変える。
だからこの事情を黙ったままバイトを探す人もいる。
「受かってしまえばこっちのものだし」
「休んじゃう日が増えて、居づらくなったらやめて新しいところを探せばいいし」
「こういう事情話すと、そもそも面接で落ちるし」
どちらが正解なのかは、あかりにはわからない。
でも、黙っているとあとあとしんどい思いをするから、理解がある場所でバイトをしたいと思っていた。
最初のうどん屋さんでは、露骨に嫌な顔をされた。
次のカフェでは、「へぇー!声優さん!すごいね!」と面接では言われたが採用の連絡はなかった。
3つ目の総菜屋さんでは、「そういうのは困る」と面接で言われてしまった。
4つ目のレストランも、連絡は来なかった。
「(やっぱり、無理なのかなぁ…。話さずに働いちゃった方が、いいのかな…。)」
仕事が決まらない。
焦り。
収入がない不安。
そうやって5件目に来たのが、株式会社リボタだったのだ。
今考えても、株式会社リボタの面接はぶっ飛んでいたなあ、とあかりは思う。