あかり、19の夏
声優って知ってます?最近なんだか有名な職業になっちゃいましたよね。
最近は子供のなりたい職業ランキング上位だとか。
この小説は、そんな声優になろうと上京した、あかりを見守っていくお話です。
頑張れ、あかり。
頭が真っ白になった。
絶対、ぜったいぜったい大丈夫だって思った。
だって何度も練習した。真剣にやった。これ以上できないってくらいには。
あいつらギャフンと言わせてやるんだ。そしたらきっとわたしの生きてる意味が見えて来る。
そういうつもりで、当日は臨んだ。緊張で震えてる両足がバレないように、ヒールは無しで、スニーカにした。
周りの同期は、緊張してるのかしてないのか、よく分からないけど余裕そう。それが、悔しい。
ショップマン芸能事務所の預かり査定だった。
マネージャーが言い放った言葉を、あかりは鮮明に思い出せる。
「あなたはね、努力をしていることはよくわかるの。すごく、時間を割いて、努力はしている。それはよく伝わる。でもそれが全く意味がない。意味が、ない。」
淡々と言われたその言葉を、呆然として聞いていた。
努力を超えるやり方を、あかりは知らなかった。
今まで勉強だってスポーツだって、何もかも努力をすれば上がってきた。
それを、こんなにも淡々と「意味が無い」と言われてしまった。
道が見えなくなる瞬間だった。目から意思に関係無く雫が落ちる。
マネージャの座るベージュの椅子が、じんわりと滲んだ。
六月の事である。
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「はい、じゃあ皆さん座ったままでいいから聞いて。今日からまた新しい台本をやっていくけど、その前に紹介する人が居ます。」
「プロダクションもみの木」の社長、篠原真理恵はメガネを少し上にあげながら周りを見渡した。
「プロダクションもみの木」は声優芸能事務所である。
アニメ、洋画、ナレーション、司会、とにかく何でも声の仕事なら請け負う役者を揃えていた。
3階建のこのビルに事務所を構えているが、一階は収録ができるスタジオとなっている。名前が長いので、みんな「もみの木」とか何とか省略して呼んでいる。
そのスタジオで、篠原は言葉を続けた。
「ショップマン事務所の佐藤あかりさんです。今日からうちの預かりレッスンで一緒に学んでいきます。まあ、知ってる人もいると思うけど、よくみなさんで鍛錬してください。」
ショップマン事務所預かり生のあかりは、狭いスタジオの中にぎゅうぎゅうになっているもみの木の預かり生の中で、少し場違い感を感じながらぺこりとお辞儀をした。皆が好奇の目で見ている雰囲気がよくわかった。
「ショップマン事務所の佐藤あかり、です。今日からよろしくお願いします。」
この業界では、転校生が転校したての挨拶でやりがちな「おどおどした態度」をした瞬間に殺される。
殺されるというのは、二度と仕事が来なくなるという事だ。
どんなに緊張してたって、しんどくたって、誰かが見ている前では芯のある綺麗な発音で声を出すのだ。
アクセントも間違えず、発音も美しく。
だって私たちは声優だから。
だからあかりも、今日はスニーカーで震える足を誤魔化していた。
いや、今日「も」かもしれない。震える足が許される現場なんて存在しないだろうし。
早くこの足が震える癖、何とかならないかな。
お辞儀をした後顔をあげると、宇治原拓と目が合う。この空間で三人いる、あかりと面識がある人間の一人である。拓は、あかりが事務所に合格する前、一緒の声優養成所に通っていたのだ。
養成所に通っていた頃は別にそんなに仲が良かったわけでも無いのに、現金なことに宇治原拓の存在は、あかりを少しほっとさせた。
「じゃあそういう訳だから、今日も頑張ってください。はい、じゃあわたしはもう行かないと。藤さん、あとはよろしくね。」
スケジュールに追われる社長は、時計をちらりと見ると藤ゆうこの方を見ていそいそと荷物をまとめ出した。芸能事務所の社長はいつだって忙しい。今日も彼女は、俳優組合の会合に出席後、あちこちに営業に行く予定だった。
よろしくね、と言われた藤ゆうこはよっこらせ、という声と共にゆっくりと椅子から立ち上がった。
足腰が良くないのか、スタジオの傍には彼女のものだと思われる杖が立てかけてあった。
あかりの顔見知り最後の人物である。プロダクションもみの木所属の、バリバリの現役声優だ。
養成所時代のあかりの先生でもある。彼女はこのもみの木預かり生のレッスンも引き受けていた。
厳しくも、優しくも、いや厳しい先生。
藤ゆうこはスタジオのいつもの位置に行くと、手をパンパンと叩いた。
「はいよ、じゃあ今日も参りましょう!」
私たちは、声優の卵だ。いつ孵化するか、誰も知らないたまごだった。