6
ゴーシュ・ランペルージュの朝は早い。
起床は太陽がその姿を現してから約一時間後。
だいたい五時ごろにロアによって叩き起こされる。
目が覚めれば冷たい井戸水で顔を洗い、髪を梳いて、身だしなみをよくする。
一通り終えると、ロアが洗濯しておいてくれた神官服に着替えて本日最初のお祈りだ。
綺麗になった教会内部。
実に数日かけてガラスの欠片一つ残らない様にゴーシュが掃除した。
ロアが食料を買いに行っている時間がとても暇だったからやったことだ。
ゴーシュの自主的な行動をロアが褒めたのは言うまでもない。
「……」
お祈りとはひたすら祈るだけ。
片膝をついて黙々と無心で手を合わせながら、流転神イーリアの石像の前で祈るだけである。
だからゴーシュは三日で飽きた。
「兄さん! しっかり祈ってください!」
「嫌だぁ!! もう疲れたんだぁ!!」
「疲れたじゃないですよ!」
「あ、明日! 明日今日の分もやるから!」
「それやらない人の言うセリフです!」
飽きてしまったせいで、最近は祈りの時間が短くなり、代わりにロアに追い掛け回される時間になっていた。
そんな神への祈り? の時間を終えるとゴーシュにとっては何よりも待ち遠しい食事の時間だ。
人間の三大欲求である食欲、性欲、睡眠欲の内、唯一ゴーシュが楽しめるのが食欲。
性欲は毎日隣でロアが寝ているので生殺しと溜まる日々が続き、同様に隣でロアが寝ているせいで緊張してなかなか眠ることが出来ない。
しかしそんな眠りも一か月を過ぎる時には爆睡が可能なまでになっていた。
ともかく、祈りの後は食事を行った。
「いっただっきまーす!」
「こら! 兄さん! 食事の前に祈る! 教えましたよね?」
そんなことをしていてはせっかくの食事が冷めてしまう。
けれどロアはゴーシュの不満げな表情には目を向けず、必ず祈りを捧げるようにと言ってくる。
「食材となった命に感謝を。その命を恵んでくれた神に感謝を。それとセールで半額にしていた精肉店にも感謝を……」
「さ、最後のは必要なのか?」
「必要です! さ、いただきます!」
「いただきます!」
食卓に並ぶものは結構な食事だと、ゴーシュは思っている。
肉に魚。
米に他いろいろ。
この街が廃墟なところを見ると、周囲近辺の人里も酷い有様だと勝手に思っていたが普通に食料はあるらしい。
「にしても、何でこの街はこんなに廃墟になったんだ?」
ゴーシュがテーブルの肉に箸を伸ばしながらふと抱いた疑問を口にする。
「廃墟になったのは『神聖生存戦争』が原因です」
「それって確か、『終末』を生き残るために人類が行ってる戦争……だったっけ?」
「そうですね。一応人類のほかにも悪魔に天使、亜人も参戦しています。――我々は『教典』に記された終末を生き残るために、他国を滅ぼして己が信仰する神に勝利を導かなければなりません。それが『神聖生存戦争』。この国はその戦争において見事に敗北してしまった、と言うわけです」
――『教典』。それがすべての元凶だった。
神について記された黒皮の本『教典』。
この『教典』は各国に存在し、その国で信仰されている神の教えなどが載っている。
他にも地上の生命体が争う『神聖生存戦争』の原因とも言える、世界の終り――『終末』についても記されていた。
『教典』の最後。
裏表紙をめくったところに一文、清廉な文字でこう、示されている。
【――神聖歴200年5月3日。世界は終末を迎える。】……と。
現在は神聖歴180年。つまり世界の寿命は、残り二十年しかないと記されているのだ。
「でも、実際のところ終末とか本当にあるのか?」
「教典は神自身が書いて下界に落とした物ですよ?」
「けどそれが本当かどうかはわからないだろ?」
教典は神が人々に与えたもの。それはゴーシュも知っていた。
故にその中身はすべて真実であると言われている。
「それは神様が居ない、と暗に言いたいのですか?」
「別に神様は居ると思ってるよ? 魔法なんて奇跡があるし、俺らも助けられたんだろ?」
「それならどういう事ですか?」
「神様が真実だけを言うとは限らないだろ、って話だよ」
かつての自分はあまり信仰心がなかったそうだが、今は神の存在を信じている。
また『教典』が神の落した物と言う事も信じている。しかし何もその中身がすべて真実とは限らないと言いたいのだ。
「希望的観測でしかないかもしれないけどさ、そんな書物の一文に世界中を動かすほどの効力があるようには思えないんだ」
「つまり、本に書いてあるだけで実際に訪れるともわからない終末の為に戦争し合うのは可笑しい、と?」
ロアの言葉にゴーシュは「そうだ」と頷く。
すると、それを見た彼女は、「ですが」と言って手に持つ箸を置くと話しはじめる。
「ですが兄さん。実際に教典は真実を起こしています。教典に書かれている一文に……【『神聖兵器』を持ち入り、己が信ずる唯一神に命を賭して勝利を導け】と言う物があり、神は実際に『神聖兵器』を我々に授けています」
――『神聖兵器』。ロアが告げたその言葉の意味を、ゴーシュは理解していた。
「神聖兵器……神が人間に分け与えた兵器、か」
「そうです。
『太陽神カルマ』を信仰する、ガンド帝国。
『海洋神スリージア』を信仰する、遊覧開港。
『天空神カノン』を信仰する、天の地。
『英明神テギア』を信仰する、商業連合国レア。
『慈愛神ラプラス』を信仰する、真人の楽園。
『悪魔神ジュリアス』を信仰する、冥府。
『流転神イーリア』を信仰する、侵略され名を持たない国、旧王国。
……この七神を信仰するそれぞれの国に一つずつ与えられた兵器。そして、この街を襲ったのも、その神聖兵器を手にした敵です」
「実際に街一つ滅ぼす程の力……。神が与えたってのは本当っぽいんだよなぁ」
「っぽい、ではなくて本当ですよ。兄さんは認めたくないようですが、『教典』に記されていることはすべて真実です」
つまるところ、終末はあると彼女は言いたいらしい。
ゴーシュは「そっか……」と呟いてから料理を口に運ぶ。
「兄さんとの生活も、少なくて、あと二十年ってわけですね」
「神様超絶けちんぼだよな」
苦笑を浮かべて冗談めかしながら言うが、実際のところこれらはかなり深刻な問題である。
外では戦争が起こっている。終末を生き残るための戦争。
終末を生き残るには教典に記された【己が信ずる唯一神に命を賭して勝利を導け】と言われている通り、戦争をして勝利しなければならない。
つまり、勝利して最後の一国にならなければ皆死ぬと言う事なのだ。
「神が戦争をさせてるようなもんだよなぁ」
ふと憎々しげにつぶやいたゴーシュに、ロアが対面の席から机を挟んでチョップを飛ばしてくる。
「ていっ! もう、兄さんはすぐに神様を悪く言うんですから」
ダメですよ! と頬を膨らまして怒ってみせるロア。
「だって仕方がないだろ? 実際に神様は高みの見物をしているだけで……」
「それは違いますよ?」
言い切る前にロアは告げる。その言葉の意味が分からず思わず間抜けな声を漏らした。
「……え?」
「兄さんは『現人神』については覚えていますか?」
「あ、あら……ん? なにそれ?」
「現人神です。そうですか、それに関しては覚えてないんですか。――現人神とは現世に現れた神と言う意味なのですが、今回はその現人神が関わる『現人神計画』と言う物についてかいつまんでお話しします。簡単に言いますと、戦争に神様自身を参戦させようと言う事です」
「神様を戦争に参加させる!?」
……俺の考えより何倍も無礼じゃないのか? なんて考えているとロアは言葉を続ける。
「はい。そしてここ、旧王国は現人神の降臨に成功し、旧王都が襲われた際は旧王国の『神聖兵器』を使って実際に戦ってくださいました」
――訳あって今は居ませんが。と付け加えるロア。
「ロアが言っていた『流転神イーリアに助けられた』ってのは、『流転神イーリアの現人神に助けられた』ってことだったのか」
「そう言う事ですね」
さも平然と膨大な知識を口にする彼女の姿を見て、ゴーシュは改めて彼女の顔を覗き込む。
「な、なんですか」
「いや、ロアは凄いなぁって思ってさ」
素直に感心し、なんだか自分の事のように彼女が誇らしく思えて、ゴーシュは彼女へと手を伸ばした。
そして美しい彼女の白髪を撫でる。さらさらと指の間を髪が流れた。
ほとんど無意識とも言えた行動だったが、ロアの表情に拒絶の色は伺えない。
「わっ、わぁ……」
驚きこそ見せるも、僅かに口元を綻ばせて目を細めている。
「兄さんに撫でられるの、好きです」
にへらと笑って見せるロアだが、彼女はその表情の裏で胸をちくちくと刺す罪悪感を抱いていた。
……ごめんなさい、兄さん。私は一つ嘘をついてしまいました。
でも、それはゴーシュの為。だから、絶対に表には出してはいけない。ロアの相好はにへらとしたまま崩れない。
「そ、そうか」
そんな心境を察することが出来ないゴーシュは彼女の笑みを見て途端に照れくさくなり、しかし喜ばれた以上直ぐに止めるわけもいかない。
結局もう十数秒ほど撫でてからゴーシュはようやく食事を再開できた。
朝食を終えたゴーシュが行うことはただ一つ。
「ふぁ……ぁ」
昼寝である。
大きく欠伸をするゴーシュをしり目に、ロアは洗濯に掃除、昼の用意と大変だ。
「兄さん、手伝ってくださいよぉー!」
「まったく、何を言っているんだ? ロアから『家事は任せてください!』 なんて言ってきたんだろ?」
ゴーシュからすれば出会ってまだ一年も生活していないと言うのに、すでにロアに対して気を遣うことは無くなっていた。簡潔に言うと、ゴーシュはヒモになっていた。
昼食を終えると、ロアは外へ買い物に。ゴーシュは本屋めぐりに出かける。
本日狙うのは最近読み続けているファンタジー小説だ。
可愛らしい少女のために少年が戦うという話。
王道だが、これが実に面白い。
本のタイトルを小さく口にしながら、散乱した本の山から最新刊を掘り当てる。
「メラクレアの冒険……メラクレアの冒険……っと、あったあった!」
大量の本の山の中から『メラクレアの冒険』と言う本を手にし、ゴーシュはご満悦だ。
シリーズもので、今なおも続いているようだが、この本屋においてあるのはおそらくこれが最後だろう。出版日が、ゴーシュが記憶を無くした日付より一か月ほど前なのだ。
「くそう、必ず壁の外に出て続きを読むぞぉ!!」
この時すでにここでの生活が始まって半年ほどが過ぎていた。
そろそろ続刊が出た頃合だろうと、改めて外へ出ることに対する意気込みを露わにしつつ、そろそろ教会に戻ろうとして……その本を見つけた。
初日の一件以来、ロアにより本屋中のエロ本と言うエロ本はすべて廃棄されていた。
しかし、棚の下に一冊落ちていることに気が付く。
「こ、これは……『最後のエロ本』ッ!?」
ゴーシュにとって、これは何よりも重要な物だ。なぜなら、度重なる生殺しとおかず不足により、ゴーシュの息子は酷くご立腹だったからである。
……見つからない様にしよう。
決めると、本を脇に抱えて走り出す。
向かうはギルド、あそこならロアが立ち寄ることは無い。
「お前だけは、絶対に守ってみせる――ッ!」
決意新たに、ゴーシュはエロ本に叫んだ。
――それから数日の月日が流れ。
「兄さん、最近なんだか真面目に祈りを捧げるようになりましたね?」
「そうかな?」
「えぇ、何と言うか……そう、すっきりしていると言うか、何と言うか。良いストレスの発散方法でも見つけたのですか?」
どうやらゴーシュが今まで少し疲れていたのはこの教会での生活にストレスを感じていたからと思っているようだ。
確かに間違いではないので、ロアに向かって告げる。
「あぁ。でも、こればっかりは教えられないな!」
欲求不満から解放され、清々しい表情でゴーシュは笑った。
そうして月日は流れて行く。
ゆるりゆるりと、いつまでもは続かない平和な時間は、流れて行く――。




