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終末世界、キミの救世主  作者: 高倉ポルン
11/30

10

 しばらく時間が過ぎ、やがてもう帰ろうということになった。その道すがら、ロアは若干の愚痴を発し始める。


 やれ「兄さんはもう少し周りを見て」だとか、やれ「兄さんは私が居ないとダメなんですから」と。

 こうして教会についた時には、先ほどまでのしおらしさなどどこへやら、いつも通りのロアがそこには居た。


「もう! 兄さんは、どうして……っ! 汗でびっしょりじゃないですか! まったく、まったく……っ!」


 帰ってくるなり、ロアは己の胸元を掴むと、ぱたぱたと内部に風を送り込む。


 しかしながら愚痴を言いながらも彼女の口下はわずかにほほ笑みを見せていた。


 ゴーシュが記憶を無くした状態でも尚、ロアに妹への好意を向けているのと同じで、彼女もまた生粋のブラコンだったのだ。


 頼られることに不快感はない。

 手で自分を扇ぎ、涼みながらロアは考える。


 ……そう、兄さんに頼られるのが嬉しい。これは本心だ。でも、甘やかしているだけではいけない。このまま甘やかし続けたら、私は、私たちは何のために……。


 そこまで考え、ロアはよし! と意気込んだ。


 しかし、そんなことはつゆ知らず、愚痴を言われて落ち込むゴーシュは汗でぐしょぐしょの神官服を脱ぎ捨てる。


「あっつい! 今日は今年一番の暑さじゃないのか?」


 愚痴を溢していると、ロアから声がかかった。


「あ、兄さん。服の洗濯をやっておいてもらって構いませんか?」


「えぇっ!?」


 いつもなら「服はちゃんと洗濯かごに入れておいてください」と言ってくるところが、いきなり自分でやれと言われれば、その驚きも無理はない。


「何驚いているんですか……。いつもは私がやっているのですからそれくらいやってくださいよ。本当だったらお風呂も入れて欲しいですが、それは私がやりますので兄さんは服を洗っておいてください。汗を流したら少し遅いですがお昼にしましょう」


 本当なら「家事をすると言ったのはお前だろう?」とでも言いたかったゴーシュだが、現在時刻は正午を少し過ぎたほど。

 ロアの食事宣言に、仕方ないなと受け入れる。


「……だな。わかった」


「ありがとうございます」


 ロアから汗でびしょびしょの服を預かると、二人揃ってそのまま外へ。


 風呂は教会の外にある別の建物の綺麗な奴を使っているし、洗濯は教会の裏庭でやっているからだ。


 ロアが風呂の掃除に出て行ったのを見送ると、洗濯用具などが置いてある裏庭へと移動する。

 緑の芝生が自然のままに伸びた裏庭は、決して綺麗とは言えないが、自然と人工物の織り成す妙な対比が男心をくすぐった。


 水道は使えないので、手押し井戸ポンプで金属タライに水を溜める。

 電気が来ていないせいで洗濯機が使えないので洗う方法はもちろん手洗いだ。

 洗濯板を用意すると、ゴーシュはいざ洗濯を開始した。――が。


「面倒くさいなぁ」


 ゴーシュにとって、洗濯は実に面倒だった。いや、洗濯だけではない。

 家事と言う事のほとんどが、ゴーシュにとっては億劫でしかない。

 その理由はと言うと――。


「だって、ロアが俺より短時間で、俺よりきれいに仕上げるもんなぁ……」


 ロアの丁寧かつ迅速な作業である。


「料理はおいしいし、洗濯は綺麗で、掃除は埃一つ残さない。その上、美人」


 ……美人はあんまり関係ないか。


 正直、ゴーシュが何か手を出すよりも見ている方がすべて早く終わるのである。


 優秀な者がそばにいるからこその劣等感とは違う、諦めに似た感情。


 別にロアを妬む心などはまったくないが、それでも『俺がやらなくても別にいいじゃん』という考えが脳裏をよぎる。


「適当にやって、後はロアに任せよ」


 彼女ならばお願いすれば断ることは無い。ゴーシュはロアが押しに弱いことを知っていた。結局、ロアのシャツを一枚洗っただけでゴーシュはその場に寝転び、目を瞑る。


 優しい風が駆け抜け、頬を草が擽った。海が近いからか潮の香りも漂う。……静かだ。


 あまりにも閑散としている。人が居ない、動物もいない。この街は、常にモノ寂しさを醸し出している。


『一生出られなかったらどうしよう』と、不意にそんな考えがよぎった。


 ロアと二人だけ。


「それはそれで、悪くはないのかなぁ……」


 彼女が自分を見捨てれば餓死するけれど、そうなれば飛び降り自殺でも決め込むつもりだ。等と馬鹿な事を考えながら目を瞑っていると、次第に意識が薄れていく。


 やがて、風に運ばれるようにゴーシュは意識を手放して眠りへと落ちて行った。



 ★



「……さん。兄さん」


 声が聞こえて目を覚ますと、そこには浮かない表情のロア。

 彼女から視線を一度逸らし、太陽を見て見ると、そこまで傾いていないことから一時間ほど寝ていただろう。


「あ、ごめん。寝てた」


「の、様ですね。洗濯は私が終わらせておきましたので、お風呂に入ってきてください」


「ありがとう。ロア」


 感謝を伝えるも、彼女の表情は浮かないままだ。


「あの……ですね」


 ふいに、ロアが声を上げたので、振り返り無言で彼女の言葉を促すと、彼女はゴーシュをその視界に納めることは無く、目を逸らしながら言った。


「兄さんは、もし私が居なくなったら……生きていけますか?」


 その質問の意味が分からず、ゴーシュはとっさに答えられない。


「正直言って、私は兄さんのことが好きですよ。もちろん兄妹として。だから兄さんに振り回されるのも悪い気はしません」


 彼女は「ですが……」と続け。


「兄さんはこのままではダメです。だから、私はもう兄さんの言う事は何も聞きません。料理も、洗濯も、お風呂の掃除も何もかも、今日、この時が最後です」


「……何を言うんだ? 家事はお前がするって、最初に自分で言ったじゃないか」


「えぇ、言いました。でも、それはいつか兄さんが自主的に手伝ってくれることを織り込んでの発言です。……正直、いつも悲しかったです」


「悲しい? 腹が立つじゃなくて?」


「そりゃ、腹も立ちますけど……。せっかくだから、二人で一緒にいろいろしたいんですよ」


「一緒にって、いっつも二人で遊ぶし、話すし……」


「そう言う事じゃなくって、何と言うか……支え合った生活がしたいんです」


 支え合った生活。一方が面倒を見続ける現在の生活とは正反対の生活方針だ。


「そんなこと……何で言ってくれなかったんだ?」


「言っても手伝ってくれないと思ったからです」


 即答され、ゴーシュは自分を信用してくれていないロアに対して怒りを覚えた。


「手伝うに決まってるだろ!? 言ってくれれば俺は――」


 俺は――? 言葉が詰まった。

 ロアはそんなゴーシュを置いて口を開く。


「手伝ってくれるのでしたら、さっき言った洗濯はどうして終わらしてくれなかったんですか?」


 その問いに、ゴーシュは答えることが出来ない。

『手伝うにきまっている』

『言ってくれれば俺はやった』

『悪いのは言わないロアの方だ』

 と無意識に告げていたゴーシュだったが、そのすべてを一瞬で論破された。

 俺は――言われても、やっていないじゃないか。


「そ、それは……」


 しどろもどろになるゴーシュを見て、ロアは悲しげに顔を俯かせた。


「最終的には、食料さえあれば自立できるくらいになってほしいです。ですが、私は甘すぎます。兄さんの言う事を結局は聞いてしまう。だから、先ほど決意しました。もう、兄さんの手伝いは一切行いません」


 ロアの言葉はすべて正論だ。

 しかし、正論故にゴーシュは腹が立った。


 ……ずっと甘やかしてきたのはそっちだろう。

 なのにいきなり私が居なくなっても生きていけますか? だとか、手伝えだとか。


 自分のこの胸中に渦巻く感情はあまりにも醜く、馬鹿で、哀れな怒りだ。


「……知るか」


 小さく告げると踵を返し、ゴーシュはロアの下を後にする。


 教会を出ても足は止まらない。


 腹が立つ。

 ロアに腹が立つ。そんな醜い自分に腹が立つ。


 ゴーシュはわかっていた。この怒りが実に滑稽な物だと言う事を。ずっと頼って来たくせに、頼られた時にそれが出来ない。


 ダメなのは自分。わかっている。

 自分が悪い。全部自分が悪いのだと理解しているのに、ロアは自分の事を心配してくれていると知っているはずなのに――一度ずれた歯車は、間違った方向に回転し続ける。


 結局のところ、意固地になって引くに引けなくなった。ただ、それだけのことなのだ。


 彼女の下を離れたのだって、喧嘩してすぐに謝る度胸は無く、だからと言って一緒に居続ける気構えもないから出て来ただけだ。


 食料は教会にしかないのだからすぐに戻ることになる。

 だから二人とも、直ぐに仲直りできると、心のどこかではそう思っていた。


 ゴーシュ・ランペルージュとロア・ランペルージュは、まごうことなき兄妹なのだから。

 互いの考えを理解しあえないはずないと、わかっていたのだ。



 ――けれど、それは運命の悪戯だったのか。

 二人が喧嘩したのは神聖歴181年5月2日。


 翌日には防御魔法が破壊され、大量の兵士がなだれ込んでくることを、二人は知らなかった。

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