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ミリアは『ガンド帝国』内において作戦の準備を始めた。
連れて行く兵士を選抜し、それに伴う食糧。しかし、その二点においてはあらかじめガンドがほとんど終わらせていたので、それほど時間がかからなかった。
故にミリアは旧王都までのルートの再確認と、己の気持ちを揺るぎ無いものにすることに時間を注いだ。
準備に二か月、出発し、団体での移動に二か月の時間を用いて、ようやく旧王都の影像がうっすらと見え始める。
「見えましたね、ミリア様」
「そうだにゃ。エドワードも、神器使いなのにわざわざ同行させてすまないにゃ」
エドワードと呼ばれたのは青い髪の青年だ。
「……いえ、構いません。むしろミリア様のちっぱいと一緒に旅が出来るなんて光栄です。しかし、その語尾だけどうにかなりませんか? するにしても、せめて無表情だけは止めていただければ……」
ミリアは彼の発言に一瞬ギョッとしたが、まさかこんな青年がいきなりちっぱい何て言うはずないだろうと、聞き間違いとして流すことにした。
「どうにかと言っても、私のキャラが薄いと言ったのは紛れもなくあなたたちではないですか。それに無表情なのは知りません。私はこれでも表情豊かに笑ったりしているつもりですよ?」
にゃー、と言う緊張感がごっそりと抜け落ちる語尾について言及すると、彼女は無表情のまま苦言を申し立てる。
エドワードは、「はぁ」と溜息を吐くと、一度彼女の語尾のことは忘れ、目の前に見える広大な街を指さして、
「それにしても、命を捧げるとあそこまで強大な魔法が展開されるんですね」
話題を逸らすためにふった話だったが、ミリアは彼の言葉に真剣に答える。
「異常だにゃ。あれはおかしいにゃ。帝王様に意見するわけにはいかにゃかったから、彼には伝えていまませんが、正直術者一人の命でどうこうなる物ではありませんにゃ」
――特に、『灰燼に帰す陽砲』を使用しなければならないほどの強大な魔法など、異常でしかないにゃ。
と暗に、正体不明と言う彼女にエドワードは思わず生唾を飲む。
「まぁ緊張することはありません。いざとなれば私が守りますにゃ」
「い、いえ! これでも俺も『神器・鉄扇』の使い手ですから! 自分の身は自分で守ります!」
「確かに、元々護衛で連れてきたと言うのに、私が守るのもお門違いですにゃあ」
自分の身くらい自分で守れる、と格好をつけたエドワードだったが、ミリアのその言葉で一蹴された。
そうこうしているうちに、旧王都を見下ろせる小高い丘に到着する。
この作戦は、防御魔法の破壊と同時に一気に旧王都を占領するため、休息を取ってから行われる。
故に到着してすぐには作戦をはじめない。兵たちの休息に、武器の手入れ。
さらには射撃ポイントの確認と、攻め込むルート、緊急時の退却ルートを何度も確認するため、結構な時間が必要となる。
結局、その他もろもろの期間を考えるに、作戦結構日は神聖歴181年5月3日。
世界が終末を迎えるまで、残り十九年になるその日の明朝。
旧王都の防御魔法破壊作戦を決行すると、ミリア・ルークは全兵の前で告げた。
★
冬もとっくに明け、仄かに暖かさが増してきた春。
小鳥のさえずりや、芽吹き始めた草木を眺めつつゴーシュはカチャカチャと聞こえてくる音に耳を傾けていた。
これの発生源はロアが洗う食器の接触音である。
時刻は朝食を終えた直後。窓から差し込む日光の下、ゴーシュはうとうとと舟をこいでいた。
――ふと気が付くと音が止んでおり、目をうっすらと開く。
「……ロア、顔をじっと見るのは止めてくれ。なんだか恥ずかしい」
「兄妹なのに何馬鹿なこと言ってるんですか? それより、食べた後すぐ寝ると牛になりますよ」
「ふっ、馬鹿なことを言っているのはロアの方じゃないか。そんな話信じると思うのか?」
「信じる信じないは兄さん次第ですが……もし本当になったら骨の髄まで私が食い尽くしてあげますよ」
彼女の言葉を聞いて、そんなはずないと思いながらもどこからか恐怖がわき出てきた。
「よ、よーし! 昼寝も飽きたし……そうだ! ロア、一緒に散歩にでも行こうか!」
「なんですか? 眠ってぶくぶく太って私に食べられるのではないのですか?」
「お前はどこの狼だ!」
「兄さんなら私は食べられますよ!」
その言葉にゴーシュはロアから距離を取る。
「いや、いやいや、さすがに兄ちゃんドン引きなんじゃが……」
「冗談に決まっているでしょう!? いつもの兄さんの変態的行動に比べたら軽い気が……。いえ、確かに今の発言は気持ち悪かったですね」
――ごめんなさい。と彼女は苦笑を浮かべる。
ゴーシュも言い過ぎた、と互いに謝罪し合う。
軽く運動する為にも、二人は教会の外へ散歩に行こうということになった。
足を向けるのは街の中心部。ありとあらゆるショップが立ち並ぶ場所だ。
ゴーシュとロアが着ている服も、ここから拝借している。
ぐるりと回り、適当なものを拝借しつつ談笑。おそらく出会って間もない時分ならば、内心『なにこれデート?』と、どぎまぎしていただろうが、こと今になっては何でもない。
それこそ、家族と買い物に来ている感覚だ。
こちらのつまらない冗談にも笑ってくれる少女。
少女の小さなしぐさに、思わず頬が緩みそうになるのを堪える自分。
「……平和だ」
ロアがお花を摘みに行ったのを確認して、よく晴れた空を見上げた。
場所は集合商業区と呼ばれる二階建ての巨大なモールの中。
一階と二階は吹き抜けになっており、二階の廊下以外には天井もない。
今日のような晴れた日には、とても心地の良い風が流れる。
くすみも淀みもない、綺麗な空を眺めて、一つ息を吐いた。すると、頬を何かがつたう。――涙であった。
「……は? なんで、どうしてこんな」
いきなりの事で自分自身も分からない。だが、心の中で、この平和な時間に何かが足りないと思ってしまった。
何かが、何かが明確に足りない。
それがなんなのか、ゴーシュにはどうしてもわからない。今はこれ以上ないまでに幸せで、幸福で、己の心は満たされている、はずなのに。
「兄さんお待たせしましたーって、どうしたんですか!?」
「あ、や……。これは何でもない。埃が目に入っただけだ」
トイレから戻り、心配気な表情を見せる彼女に笑いかけつつ、立ち上がる。
すると、どうしたことだろうか。
体が揺らぎ、視界がくらみ、平衡感覚を失う。
「大丈夫ですか?」
「――ああ、立ち眩みだ」
ロアを諭しながら、ゴーシュは近くの柵にもたれかかる。
すると、酷く焦った様なロアの顔が見えた。
かと思うと次の瞬間嫌な浮遊感と共に視線が上へと移動する。
「兄さんそこは――ッ!」
「……へ?」
ゴーシュの肉体は宙に放り出されていた。柵が錆びれていて、自分の体重を受け止められるほど丈夫ではなかったのだ、と気が付く頃にはもう手遅れ。
自由落下を始める中、無意識に伸ばした手。虚しくも空を切るかと思われたその手を、ロアの腕ががっしりと掴んでいた。
「うぐっ!」
上からロアの苦しそうな声が聞こえてくる。
よく見れば、大丈夫な柵を持ちながら必死になってゴーシュを引っ張り上げようとしていた。
「……ロア。離すんだ、お前まで――」
「離しません!!」
いつもの彼女らしからぬ物言いに、思わず眉根を寄せる。
「私は、兄さんを見捨てません!」
「見捨てないって……」
「兄さんは私が救って見せます!」
何が彼女をそこまで必死にさせるのか。
確かに彼女にとって自分は兄かもしれない。
実の兄が命の危機に瀕しているのに、呆けてみているだけの妹もおそらく居ないだろう。
何しろ家族なのだから。
だけど今の彼女は違う。あまりにも周りが見えてなさすぎる。
ここは二階の吹き抜け。
別段頭から落ちなければ命にかかわるほどの高さではない。
しかし、当の彼女はまるで手を放すこと自体を嫌がっているように見える。
ぽたっ、とゴーシュの額に一滴の滴が落ちてくる。
それはロアの汗だ。
彼女はだらだらと汗をかいてしまうほど、限界が近いのだ。
「ロア、よく周りを見ろ! 別にこの高さじゃ怪我もしない!」
「それでもっ、私は兄さんを離しません!!」
強情な彼女は、そう吼えた後に――告げる。
「魔法――『ハイ・ボルテージ』ッ!」
刹那、黄金色の光が彼女のみを包み込む。
「せいやぁっ!」
次いで、ロアが力を入れるとどういうわけかゴーシュの体が軽々と持ち上げられた。
「う、うおぉ!!」
二階の廊下に打ち上げられ、受け身も取れずに無様に転がる。
尾てい骨を打ったようで鋭い痛みが走った。
「兄さんっ、兄さん!! 大丈夫ですか!?」
「お、おう! ロアのおかげでな!」
本当はのた打ち回りたかったが、我慢しつつサムズアップ。「それはそうと」と言葉をつづけた。
「今のは何だ?」
「そんなことより、本当に怪我はないですか!?」
「あ、あぁ」
返事をするも無視して服を脱がしに来るロア。
「兄さん、兄さぁん……っ!」
挙句の果てにぎゅっと抱きついて胸に顔を擦りつけて泣きだしてしまった。
ゴーシュはどうすることもできず、ただただ泣き止むまで彼女の背を擦った。
しばらくすると鼻をスンスンと鳴らしながらも会話できる状態になる。
「で、改めて聞くが、今のは?」
「い、今の……? 魔法ですよ」
「へぇ、初めて見た。ロアは魔法が使えるんだな!」
――凄いぞ! と褒めてやったつもりなのに、しかしその表情は一気に暗くなる。
「魔法、初めて見たんですか……」
「え?」
「……いえ、兄さんは記憶をなくしているんだなぁ、って再度思い知らされただけです」
儚げに笑うロア。堪らず彼女を抱きしめた。
胸にその頭を抱いて、優しく、優しくなでる。
「ごめん」
「なぜ兄さんが謝るのですか? 最初出会った時も言った通り、私は兄さんが記憶を失くした原因を知っていて、ですから……」
二人の間に静寂が訪れる。
退廃した街。一人の兄と、一人の妹は、無言でただただ抱きしめ合っていた。




