プロローグ・五月三日、少年への贈り物。
――大好きな人が居た。
――大切だと思っていた人たちが居た。
――けれどすべては消え去り、空っぽの抜け殻だけが残された。
★
真っ白な髪とアメジストの瞳。
背中に金色の十字架模様が入った純黒の神官服に身を包み、少年は立ちすくむ。
頭に被っているフードから覗いて見える顔は、大人になりきれていない齢十八程だろうか。
彼は、無人の街を縦断する大きな街道で、一人立ち尽くしていた。
「――え?」
混乱が伺える声は、彼が状況を把握できていない証拠だった。
視界に映るのは廃墟の街。
埃が舞い散り、人の気配がかけらもしないゴーストタウン。
「どこ、だ?」
いつ崩壊してもおかしくない光景を見て、少年は呟く。
少年は己の居る場所が認識できていなかった。
……それどころか。
「何で俺、ここに……ん? 俺って誰だ?」
記憶が無くなっているのである。
自分に関してだけではない。
まるでこの街と同じように、人間に関することがすべて抜け落ちていた。
家族が思い出せない。
ここが何処かも、何をしに来たのかも、それどころか自分の名前すらわからない。
「……」
言いようのない恐怖が、少年を黙らせる。
だが、彼はすぐに頭を振ると恐怖から逃れるように別のことを考えようとして周囲の探索を始めた。
「あれは食事処か。あっちは服屋。あっちは……本屋か?」
おそらく最も利用者が多かったであろう大きな街道に沿い、周囲を散策していくとあらゆるお店を発見する……が、そのどれもが荒れ果てていた。
ふと、興味を引かれて立ち寄ったのは『夜猫書店』と書かれた看板が入り口近くの地面に落ちた建物。
看板をまたいで中に入り、目の前の光景に自然と言葉が漏れる。
「何と言うか全品百パーセントオフ、超出血大サービスって感じだな」
一人で訳の判らないことをぼやいた少年の目の前に広がるのは、散乱する本とこの店の物だと思われる窓ガラス。
その荒れ方を目にして、この町が時間経過による廃墟でないことを知った。
人が居なくなり、時間経過によってこの街がゴーストタウンとなっているならば、この店内に落ちている本はもう少しぼろぼろのはずだ。
だが、目の前の本はただ荒らされたという印象を受ける。
それにこの店もそうだが、先ほどまで歩いていた街道にも雑草の少しも生えていなかった。
つまり、この街から人が居なくなって、それほど時間は経過していないと言う事。
しかしながら、それにしては建物の損傷が激しい。おそらくこの街で何か……そう、戦争のようなものが起こったのだ。
激戦のあまり人が減り、やがていなくなった。
「こう考えるのが自然、か……?」
正直自信は無いが、だからと言っていつまでもその疑問に惑わされているわけにもいかない。
少年はさっさと思考を切り上げると、目の前の光景を見つめ直す。
散乱する本。その中から一冊の本が目に飛び込んできた。
「『女騎士に、くっ、殺せと言わせたい! ~貴女を苛める調教ライフ~』……な、なんだあの本は!」
少年は最初の恐怖も忘れて一目散に本の下へ向かい、拾い上げようと伸ばした手を慌てて反対の手で止める。
「いやいや、待て。自分は今記憶喪失で現状を理解するのが最優先だ。こんなところでエロ本を読み耽る暇などないだろ?」
そう思考し、しかし、と対論が脳裏をよぎる。
「でも、ちょっとだけ。ちょっとだけなら構わないだろう。うん、男は性には逆らえない」
あっさりと煩悩に負けてしまった少年は、エロ本を勢いよく広げる。
するとそこには腕を鎖で上に固定され、あられもない姿で頬を朱に染める淫らな表情の女。
身に纏う布地はボロボロのズタズタ。足の付け根が見え隠れしていて――。
「け、けしからん! 非常にけしからん!」
鼻息を荒くして、次々とページをめくっていく。すると次第に下腹部に血流が流れ始め、少年の息子が起き上がる。
少年はこんな――記憶を無くして、現在地もわからない状況ですら興奮する、ドが付く変態だったのだ。
「な、何だこのエロさ! 良い、非常に良い!」
興奮し、誰も居ないことを良いことに大きな声で感想を述べる少年。
同時に下半身へと流れていく血流。
「だ、誰も居ないよな……?」
少年は周囲を確認してからエロ本片手に店のトイレへと向かおうと――パキッ。
不意に後方からガラスを踏みつけた音が聞こえてきた。
次いで、ぬっと腕が伸びてきて少年の頭をガッとキャッチ。
「え……? い、いたっ、痛い痛い!!」
ぎちぎちと頭蓋を粉砕するのではないか、と言うほどの力で締め付けられた少年は、慌てて後ろを振り返り――そこに天使を見た。
「君は?」
少年が尋ねた相手……それは一人の少女だった。
少年とまったく同じ色の白髪に、まったく同じ色のアメジストの瞳。
幼さが色濃く出ている少女は、齢十五程だろうか。
肌は白く、きめ細かい。程よい肉好きで胸はあまりないが、女性らしいしなやかな腕が袖から伸びていた。
少女は薄桃の唇を動かして、ゆっくりと告げる。
「私はロア。あなたの妹ですよ」
少年は彼女の言葉を理解するのに少しの時間を要した。
それもそうだ。誰も居ないと思い、寂しさを感じて、記憶のない己自身に恐怖を抱き、そんな中、突然現れた美しい少女が妹と名乗ったのだから。
思わず呆然となっていた少年だが……。
「おっと危ない」
驚きもほどほどに少年は激痛に頭を歪めながら手で股間を抑える。
自分がどういう人物かはわからないが、どうやら愚息は一度起き上がるとなかなか眠ってくれないようだ。
これは困ったなぁ! と内心で笑っていると、目の前の少女はキッと瞳を鋭くして――
「エロ本読んで、今更股間を隠してもまったく意味ないですからねっ! バレバレですからこの馬鹿兄さんっ!」
「ちょ、ちょっと待て! 話し合おう! これは仕方ないことで……って、ダメ! ダメ! 足を振り上げないで!! 俺の股間を狙わないで――ッ!!」
少年の悲痛の叫びは少女に届かず、いや、きっと届いたのだろうがその上で無視され、容赦なく彼女の足は振り下ろされた。
二人が出会ったのは神聖歴180年5月3日、世界が終末を迎えるまで20年を切ったその日だった。




