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プロローグ:良夜

満天の星空を眺めていたら、

星が1つ落ちてきて鼻の先に当たった。


指でつまんで、目の前に運んで、夜闇で見えづらかったけど、それが流れ星ではないとすぐに分かった。

そよ風に揺れる、1枚の、小さな花びら。

星空にしてはあでやかすぎると思っていたところだった。


視線を夜空に戻し、空の向こうから何百、何千もの花びらが降り注ぐ光景に目を奪われながら、ゆっくり起き上がる。

手のひらに張り付く土と花びらの感触。

落ちてくる花びらはどれも白の混じった桜色をしていて、となればきっとこれは桜の花びらなのだろうと考えていると、


「おはよう。そして初めまして」


中性的な大人の女性の声。

声の主は背後にいて、振り返って見ると、何かに寄りかかりながら両腕を組んで立っている。顔はフードに隠れていてよく見えない。


「どうだい、生まれて初めてこの世界に立ってみて」


足元を見る。

花びらで埋め尽くされた地面に、2本の裸足。


「キミの感想を聞きたい」


キミ、と言われて初めて彼は自分自身を認識する。

両腕を使って全身をまさぐり、改めて、目の前の女性と思しき人物と自分とを比較する。


――――人間である。

――――――男性である。

――――――――少年である。

――――――――――全裸である。


フードを被った女性は、少年に衣服を投げてよこす。

薄い布に、刺繍も何も施していない簡素な代物。

少年は衣服を頭からかぶり、袖を通しながら、


「ありがとう。その、変なことを聞きますが……僕」


自分の容姿からして一人称は「俺」や「私」ではなく「僕」がふさわしいだろうと考えながら、少年は尋ねる。


「僕、は誰なんでしょうか? それと、ここは……どこ何でしょうか?」

「先に質問したのは私の方だけど、でもこの世界の先輩として譲るとしよう」


彼女は今日着る服を選ぶような楽しげな口調で、


「そうだな……言うなれば君は赤ん坊で、この世界は君のお母さんだ」

「第一印象ですが、あなたは回りくどいことが好きそうですね」

「ふむ、冗談が言えるとは思いの外順応が早いな……まあなんだ、確かにキミの言う通りワタシが回りくどい性質だが、でも、うん、やはりこの場合は赤ん坊という表現が一番シンプルだ」

「赤ん坊はこんなに饒舌じょうぜつに喋らないと思いますが」

「そりゃあキミが知っている世界での話だろう」


キミが知っている世界。


少年は理解が追いつかない。

それを理解した上で、女性は構わず話を続ける。


「キミが知っているキミの世界の記憶は、キミがこの世界で生きていくための強力な武器であり、孤独なキミの心の拠り所になるだろう。だが依存してはいけない。キミのその記憶は、キミの枷にも、はたまた呪いともなり得る。くれぐれも気を付るように」

「ええと…………整理すると、つまり僕はどこか別の世界に転生したということでしょうか?」

「テンセイ? ……確か宗教由来の言葉だったかな? まあいっか」


女性は、クククと小さく笑う。


「どうだろう。はたして私に君のルーツが分かるかな? まあ、知っていても君に教える気はないけれど。そこまでしてやる義理も責任も思惑も無い」

「意地悪ですね」

「残念、これっぽちもキミに対して罪悪感が湧かない」


少年はため息をつく。


「……なら誰に聞けば? 僕はどうやったら自分のルーツを知ることができるのでしょう」

「ふむ……なら、彼に聞くといい」


そう言いながら、女性は空を指差す。

指の方向へ少年は空を見上げ、唖然とする。


少年は、それまで女性が木の幹に寄りかかっているのだと思っていた。


間違いだった。


女性が寄りかかっていたのは、地面から顔を覗かせた巨大な木の根の一部で、それよりも何十メートルも後ろに見える、巨大という言葉ではとても足りないほど大きい黒い壁こそが木の幹であった。


木の幹は夜空を割くように、地面と垂直にどこまでも伸びていて、女性の指先は、かすんで途切れてしまった幹の、さらにその上を差している。


途方もなく巨大な1本の樹。

その光景はまるで――


世界樹ユクドラシル――」

「ああ!その名前は私も知っているよ。世界の中心に根ざす神話の大樹」


女性はどこか誇らしげに言う。


「だが驚くのはこれからだ。――もし、そんな大樹が何百本もあるのだとしたら?」


少年はハッと、遥か遠く、地平線の際に目を向ける。

少年は初めて知る。

今、自分が立っているのは小高い丘の上だと。

この世界が、鉄塔も高層ビルも存在しない、自然に溢れた場所なのだと。


空はどこまでも黒に染まっていて、けれども地平線の際に、そんな黒い空をさらに黒く塗り潰す何かがおぼろげに見える。

少年は理解する。

桜の花びらは、きっとこの世界のどこにいても頭上に降り注ぐのだろうと。


少年は渇いた喉をコクリと鳴らし、女性に尋ねる。


「……この木の頂上に、誰かがいるんですか?」

「さあ?」

「さあって……」

「私は知らない。私だけでなく、きっとこの世界の誰も知らない。これまで誰一人として、この木の頂上まで登りつめた者はいないと言われている。この木は謎を具現化した存在だ。だからこそ、君はこの木を登るべきだ」

「あなたの言葉は飛躍的なことが多く、分かりづらい」

「今はそれでいい。今はこの世界のありのままを感じる段階だ。生まれたての赤ん坊は饒舌に喋らない、だろう?」


女性は腕を下ろし、足元に置いていた荷物を持ち上げる。空いた方の手でフードの先をつまみ、さらに深く被る。


「木を登るには仲間が必要だ。近い未来……遅くても1年後くらいには、この丘を下りたところにある町に、この木の頂上を目指そうとする命知らずの集団が現れるだろう。それに君も参加するんだ。それまでの生活は……ま、なんとかなるだろう」

「あなたも参加するんですか?」

「私はただの旅人だ。夜が明ける前に何処どこかへ消えるさ」


自分の言葉に偽りのないことを証明するかのように、女性は木からも、少年からも離れるように歩き始めるが、ふと思い出したように立ち止まる。


「リョウヤ」

「……いきなり何ですか?」

「良夜だよ。言葉のままだ。良い夜だなぁと思って」

「僕の知っている良夜とは『月の明るい夜』のことです。今夜は月が出ていない」

「細かいことはいいんだ。まだ名前を持っていなかっただろう? リョウヤ……もし良い名前が思い浮かばなかったら使うといい」


そう言われて、少年は自分の名前を思い出そうとしたが、確かに思い浮かぶ単語は何一つ無かった。

少年は彼女の配慮に気恥ずかしさを覚え、それを誤魔化すように話題を変える。


「……あなたの名前は?」

「私の名前? そうだな……次に君と出会った時に、君が木の頂上で得た情報と引き換えに教えてやろう」


さてお別れだ、そう呟いて今度こそ立ち去ろうとする女性の背中に、少年は少しだけ声を張って、


幻想的ファンタジーだと思いました!」

「……?」

「生まれて初めてこの世界に立ってみた感想です」

「ああ」


女性は振り向かずに、フードの中でニヤリと笑い、


「第一印象だが、君も中々回りくどい人間だな」

「上手いことを言ったつもりかもしれませんが、第一印象という言葉は適切ではないと思いますよ。一晩中あなたと語り合ったような気がする」

「私もしばらくは、毎晩のように君の減らず口を思い出しそうだ」

「今日は色々とありがとうございました」


少年の素直な言葉に、彼女は照れ臭そうに手をヒラヒラさせる。


「それじゃあリョウヤ。桜の下で」


桜の下で。

その言葉の意味をまだ少年は知らない。

これから、この世界で生きていく中で知ることになるのだろうと考えた。


それから十数分の間、少年は、丘を下り遠ざかっていく女性の背中と、女性の頭上に際限なく降り注ぐ桜色の雨と、ほんのりと赤く染まり始めた地平線を、苗木のようにポツリとたたずみながら眺め続けた。


少年がこの世界に目覚めて、最初の朝が来た。

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