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銀眼貫餮のソウルベット -Pupa cuius oblitus est mundus-  作者: 千華あゑか
旧章 第一章:記憶断片01_ΚΣ-Κ1.93E+07
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第1話 静止するアオと少女

 辺りはまだ薄暗い青碧(あお)に染まり、日の光はまだ地平の彼方で(くすぶ)っている。吹く風はなく雲はその場に留まり、荒野には動く物の気配すらない。生気を感じ得ない静寂がただ広がっている。


 そのまるで静止した世界のある一角に家屋が密集した小さな村があった。大人の背丈ほどだろうか。柱で床板を支えられた高床式の住居が幾つか建ち並んでいる。その大きさは大小様々だが一律に外壁は円を書くようにぐるりと一周し、屋根は円錐型にしぼられ外壁が麻布で覆われている。

 その中に一際大きな家屋があった。屋根の天辺に据え付けられた装飾の目立つ天窓が月明かりに照らされ(きら)びやかに輝いている。




 その天窓から月明かりが淡く射しこみ、一人の少女を照らしていた。

 (まぶた)に透る光に刺激されて、少女は夢から大きなあくびと共に目覚めた。吐き出された息はまだ白く、反射的に身ぶるいをする。まだまどろむ目を二度三度こすると瞼の奥から深緑の円い瞳が覗いた。

 まだ覚束ない目で天窓で切り取られた空を眺め、その色彩から現在の刻限を大まかに計る。


「そろそろ朝かな。……お母さん。おはよう。今日もまだ寒いね」


 感覚の乏しい身体を起こして、枕元に置かれた首飾りに哀愁感じる声色でそう呟く。


「お母さんの大好きだったお花、(しお)れちゃったね。後で代わりの摘んでくるね」


 首飾りの脇に活けられた舌状(ぜつじょう)の黄色い花弁を広げた小振りの花。数日前までは可憐だったその姿も、今では生気が蒸発したかのようにひどく草臥(くたび)れてしまっていた。

 少女はそれをそっとさすると、首飾りを(すく)うように両手で持ち上げ留具を外し、何かを噛み締めるように"傷一つない"細い首にそっとかけた。

 首元に馴染んだその重さは何度身に付けても心地良い。何かの形を(かたど)った少々歪なそれを弾ませるように寝床から立ち上がり、衣装箱から袖や裾がわずかに(ほつ)れた粗末な衣服を取り出して無駄のない手際で被った。服の捩れを几帳面に直し、乱れた髪を整え始める。

 肩にかかるほどの髪はまず前髪を両耳にかけた後、髪留め用の布をうなじから頭頂部に通す。次に右こめかみ辺りで大きな結び目を作る。最後に髪留めから垂れた後ろ髪を右肩辺りで一つ結びにすれば出来上がり。光を呑み込むような黒い髪に、萌黄色の結び目がとても印象的だ。

 うん、よし。

 そして少女は小さく意気込むとくるりと身を回し、階段を静かに下りて行った。




 階段を下りればそこには居間が広がっている。

 麻布を織り重ねた絨毯(じゅうたん)が敷かれ、木組みされた壁には同じく麻の飾り布や料理に用いる香辛料なり干し肉が用途ごとに整然とぶら下げられている。部屋の中央には炉があり、階段からそれを挟んで向かい側が衝立(ついたて)暖簾(のれん)で仕切られ戸口となっている。

 少女が下りた階段の向かい側にも同じように階段が備え付けられ、その上からは何かの呻き声が、控えめに言って獣のそれを思わせる寝息が聞こえてくる。


「フフッ。気持ち良さそうな寝息……。食べ物の夢でも見てるのかな? また寝床から落っこちてないといいけど」


 少女はその寝息を気遣いながら静かに歩みを進め、階段下の調理器具の置かれた水場へと向かった。

 そこの脇にある水瓶の蓋をどけ水を汲む。次いで手と伏せておいた鍋を(すす)ぐ。いよいよ少女の一日の仕事の始まりだ。

 鍋は家畜の甲羅を流用したもので、軽く丈夫な上に大小様々な大きさに加工すれば匙や椀などとしても利用できる。何かと重宝する代物だ。

 少女は濡れた手を布巾で手早く拭い戸棚からミルクを取り出すや鍋と匙を抱えて炉へと向かった。鍋は小さな身体には少々大きいようで抱えれば足下が見えないほどだ。それでも小さな主婦は月明かりを頼りに薄暗い中、慣れた足取りで進み炉の脇に膝を着いた。


「朝ご飯の用意、用意ーーっと。ううう、今日も本当に寒いなあ。よいしょっと」


 まず小さな手で鉤棒(かぎぼう)に鍋をかけて、その中にミルクを注ぐ。次いで解した麻に向け石を数度打ち火種を器用に作り、薪を組んで炉に火を灯す。薪が(くすぶ)り始めるまで何度か息を吹きかける。

 よし、いい感じだ。

 それから少女は不意に立ち上がると今度は戸口の暖簾をくぐって外へと向かった。




 戸口には階段が備え付けられている。小柄な身体には少々急で、足を滑らせ落ちようものなら擦り傷では済まないかもしれない。少々子供への配慮に欠ける作りだが、吹き抜ける風に凍えながらも足早に下りて少女は床下へと向かう。

 家屋の真下。床を支える支柱に縄で繋がれた一頭の家畜が物恋しく喉を鳴らす。目の後ろに付いた小さな耳を小刻みにはためかせながら少女を出迎えてくれた。

 その家畜、名称"スクートス"は村人たちにとってなくてはならない大型の生物だ。全高は大人の肩丈ほどしかないが、全長は太い尾を入れると大きい物で大人二人分の背丈ほどの巨体にもなる。外皮は堅く分厚い皮膚で覆われ低く地を踏みしめる四肢は太く、三枚の大きな甲羅が段々に重なった広い背中は大変頑丈で、大量の荷物を運ぶのに適している。また、その巨体に似合わず一日辺りに摂取する餌は少量でよく手間もかからない。繁殖は困難であるが授乳期が長いため、その乳は貴重な水分補給源としても活用されている。


「ピウちゃん、おはよう。あっ!? ちょっと……フフッ、くすぐったいよう。今ご飯あげるからね」


 少女は家畜のことを恵愛をもって愛称でそう呼んでいる。名前の由来はまた機会を改めるとして、躯体に似合わずなんとも可愛らしげに呼ばれる家畜、ピウは少女に信頼を寄せているのだろう。頭をすり寄せてきてはその頬を舐めるほどとても懐いているようだ。

 ピウの少々重みのある過度な愛情表現を頭の甲羅を撫でてあしらってやると、少女は脇にある水瓶から水を掬い、ピウ用の水飲み桶に注いでやった。そしてその隣に堅い木の実の殻と朽木、石を混合した餌を盛る。


「はあい。ご飯ですよーー。フフッ。そんなに急いで食べないの。喉詰まらせちゃうよ? もう、誰かさんに似て食いしん坊さんなんだからあ」


 ピウは特に石が大好物だ。

 それを軽快な音を立て口から溢れんばかりに頬張る。いや既に溢れ落おとしながら食べる様がとても愛らしく少女はそれがまた大好きだった。


「あ! いけない、いけない。そろそろ戻らなくちゃ。服は……うん。ちゃんと乾いてる。それじゃピウちゃん、私戻るね」


 愛獣の満足そうな食事風景はいくら見ても見飽きたりしない。少女はしゃがんでしばらくそれを眺めた後、奥の支柱に渡した紐に干しておいた衣服を無駄のない手際で取り込み、大層ご満悦な表情でげっぷをするピウに別れを告げ居間へと戻って行った。




 居間の中央では薪が赤く弾け、鍋がわずかに煮立ちはじめている頃合いだった。

 取り込んだ衣服をまだ寝息の聞こえる階段下に置いて、足早に少女は再び水場に向かう。いよいよ朝の仕事も大詰めだ。

 今度は荒地で採れる堅果、この村ではドゥ―ルスと呼ばれる木の実を砕き乾燥させた香辛料と干し肉を取り出し、それを鍋に小振りの刃物で小間切りにして更に煮込んでいく。これまたとても洗練された手つきだ。


「隠し味のーー、ドゥールスをーー、パラパラ。コトコトッ。おいしくなあれーー。フフフッ。もう少し足しちゃおうかな?」


 鍋が煮立つ頃には部屋中を(こうば)しい香りが覆い、天窓から朝焼け色の光が差し込み朝の訪れを告げていた。

 鼻先をくすぐる香りに少女も思わず鼻歌が交じりだす。少しばかり独特な調子の歌だが、鍋底から顔を出し弾ける泡ぶくと相まってなかなかどうして小気味いい。匙に少量の煮汁を掬い湯気が失せても何度も何度も息を吹きかけ、もう一度吹きかけ、小さな口を更に小さく尖らせて味見を試みる。


「ふうーー。ふうーー。……っあちちっ! ふうーー。ふうーー。ふうーー!」


 口先を付けた途端、その熱さに思わず怯んだものの味には問題なかったのだろう。

 うん、よし。

 少し赤らんだ頬で少女は小さく頷くと匙を置き、未だ寝息が聞こえる階段の奥へ目線をやった。


「そろそろ、お姉ちゃん起こしてあげなくちゃ。ちゃんと起きてくれるかな? この間はいきなり泣きつかれたんだっけ? その前は急に怒られたし……。今日は夢、何ともないといいんだけど」


 熱を帯びた口元を仰ぎながら、姉の最近の寝起き事情をふり返る。赤子ならまだしも、いくつか歳が離れているはずなのだ。それだというのに姉が起きる前まで見ていた夢次第で、その後の少女の運命が毎度決まるのだ。妹ながら苦労するったらない。

 先ほど階段下に置いた衣服の山から(あお)い衣を抱えると、寝息の聞こえる部屋の様子を伺いながら、少しだけ今日の自身の身を案じながら、少女は慎重に階段を上って行った。


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