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60-2

 思えば、”虹の門”を消すことで、闇に葬った人の数は一体どれほどになるのだろう。

 直接、殺した人数だって、決して少なくはない。

 好きだったアウナまでも、ぼくはこの手にかけているんだ。

 人食い……か。

 ”虹のかなた”が最後にぼくへ投げつけた言葉が、真実なのかもしれない。

 心ならずも、と言い訳しながら、ぼくは他人を破滅させてゆく、何人も、果てしなく……。

 ぼくは、アウナに触れるべきではない。

 いや、できることなら誰にも、姿すら見せたくない。

 だから、世の中からそっと消えよう。

 

 「何をぼけっとしておる! 人が尋ねておるのじゃぞ? さっさと答えよ!」

 ぼくは少しの間ぼんやりしていたようだ。

 力なく頭を横に振る。

 アウナはため息をついた。

 「おぬしがどのような身の上であるかは見当もつかんが……さすがに気の毒になるのう。これは憶測じゃが、おぬしの正体は、きっとよからぬ目的で何者かが送り込んだスパイであろう。しかし、スパイ本人が目的はおろか、最新の世界情勢すらわからぬとあってはいたしかたあるまい。どうじゃ、しばらくわしがかくまってやろうか? その上で今後の身の振り方を考えてみるがよかろう」

 なぜかぼくの今後まで考えてくれているアウナの提案を、ぼくはやんわりと断る。

 「いえいえ、ぼくはここから出ていきますよ。なんか知らない奴を入れたらまずいんじゃないですか? ここってあなたのプライベートな場所なんでしょ?」

 アウナはなんとなくぼんやりとした表情で、頭をかいた。

 「ふん……しかしわしの家ではない。プレーテの自宅なのじゃ。まあ、許嫁ではあるから、他人というわけではないが……だからこうして好きに出入りさせてもらっておるわけだしな」

 軽いショックを受けるぼく。

 まあ、こんな情報、いらなかったよね。でもそれを、無関係のぼくにまで、つい言っちゃうってことは、アウナだってまんざらじゃないんだろう。

 プレーテか……。アウナと同じような年ごろの容姿、キレイな銀髪を思い出した。確かにお似合いかもしれない。こうなってくると、ますますぼくなんか出る幕なしだ。

 ふとアウナから視線を外すと、先ほどの戦闘機がこちらへ向かっている。

 滑らかな腹部が、ぱかりと割れて、中から何かがせり出してきた。何をやってるのか、疑問を抱くや否や、戦闘機が産んだ物体が白煙を曳いて飛んできた。ミサイルだ。

 「あ、危ないんじゃないかな」

 どうしよう? 逃げようか、ミサイルをどうにかするか……?

 悩むぼくを尻目に、アウナはぼくにタックルする。塔の構造物から、ぼくとアウナはもつれながら転げ落ちた。

 続いて起こる猛烈な衝撃が、ぼくの全身を激しく殴りつける。。

 爆煙の立ち込める視界のなか、ぼくが寝ていた構造物は破壊され、内部の柱のみが枯草のように傾いでいる。

 が、ミサイルの直撃を食らったにもかかわらず、ぼくは無事だった。

 アウナはぼくの上に覆いかぶさっていた。

 髪を乱し、煤だらけの顔をあげて、ぼくに声をかける。

 「とりあえず、これでおぬしへの借りは返したぞ。大丈夫か?」

 ああ、ぼくのことをいろいろ案じてくれたのは、そういうことだったのか。義理堅いなあ、損な性格だよ。

 「ありがとう。キミはずいぶん丈夫なんだね」

 「あんな醜い花火でわしがケガなどするはずもないわ。しかし、誰でも訓練すれば扱える武器としては、なかなかの破壊力じゃ。レプリカ人の個体が弱体であるがゆえの武装は、しばしば意外な着想を見いだせるモノじゃな」

 上空を通過してゆく戦闘機を、子細げに見送るアウナに、ぼくは苦笑せざるを得なかった。

 「お手柔らかに頼むよ……ぼくはもう行く」

 「どこへじゃ? いや、その前におぬしを捕縛して尋問をすべきなのじゃろうが……」

 まじまじとアウナはぼくを見つめる。

 困ったように唇をゆがめた。

 「されど、そうする気にもなれんな……おぬしの素性は怪しいが、悪人ではあるまい。よい。ここでおぬしを見たことは、わしの中だけにとどめておく。どこへなりと、好きに行くがよい」

 ぼくは笑ってアウナの手をとり、握手する。

 きょとんと眼を丸くして、握った手を見下ろすアウナに別れを告げる。

 「さようなら。もう二度と会うことはないと思うけど、今日のことは忘れないよ」

 合点のいかない顔つきで、アウナはぼくの手を上下に振る。

 「これは何の挨拶じゃ? おぬしの氏族が気になるのう」

 「親愛のしるしだよ! じゃあ元気でね」

 「うむ。おぬしも達者でな」

 ぼくはアウナに背を向け、思い切って塔からダイブした。

 

 

 

 

 数年後。

 

 アウナのいた塔を包囲していた地球の軍隊に投降したぼくは、捕虜として監禁された。

 ぼくは”他球”人の格好のサンプルとして、何人もの科学者たちに観察され、分析され、実験された。ぼくに対して行われた研究の中には、苦痛を伴うものや、屈辱的なものもいっぱいあった。

 これ以上誰も殺したりしたくはない、という一念と、ぼくがその気になればこんな虫けらどもすぐにでもぶち殺せるという矜持、なにより、ぼくの中のアウナをただ一つの心の慰めとして、終わりのない拷問に、ぼくはついに耐えきった。

 そんな停滞した時間の中に閉ざされたような陰惨な生活から、ぼくは唐突に解放された。

 科学者たちに事情を聴くと、どうやら地球と”他球”の間に和平が成立したらしい。

 その際、ぼくのように”他球”人と思しき人間を研究対象として、世間から隔絶した環境に監禁しているのは、戦争中ならまだしも、現在のように二つの世界が協調する体制下では、都合が悪いということだった。

 さらに、もうぼくから得られるめぼしい情報はない、ということでもあると思う。研究が進むにつれ、ぼくに残された”虹の門”の力は徐々に薄れ、今ではすっかり消え失せてしまったからだ。もはやぼくには利用価値はない、ということだろう。

 結局、地球の科学では”魔力”の秘密を解き明かすこともできなかったようだ。

 ともあれ、意気消沈した科学者たちを腐臭のたちこめた研究所に残し、ぼくは久しぶりに生命に溢れた世の中に解き放たれることとなった。

 街の姿は一変していた。

 一大軍事拠点として大改造されたという東京は、恐ろしく殺風景な中に、終戦を祝う人たちのお祭り騒ぎのにぎわいが満ちている。

 整然と整理された直線の多い街路には、チラシや紙ふぶきが至る所に散らばり、あちこちで景気のいい音楽が鳴り響いている。街路に繰り出した人々は一種の躁状態に陥っているかのように、大声を出して話し、歌い、練り歩いていた。

 そんな狂騒の中にあって、ぼくはたった一人取り残され、重荷を背負ったかのように、のろのろと歩みを進める。

 長期間にわたる人体実験に近い研究によって、ぼくの肉体は、ぼろぼろになっていたのだ。

 両手足はすべて切除され、今は安価な重い義肢でどうにか動けている状態だ。数度の開頭手術によって、片目の視力は失われているし、全身の至る部分の神経が少しずつ、標本として摘出されたために、触覚はまだらになっている。致命的でないいくつかの内臓は粗雑な人工臓器に置き換えられ、体調は始終優れない。

 しかし、それでもぼくは幸福なのだった。

 当座の費用としてもらったお金(これだって、監禁される前とは全然違う。なんだろうね、この単位……GP? ゲルピンって読むらしい。とりあえずぼくが持ってるのは125ゲルピン。地球の日本円に換算すると50万円程度だそうだ)を使って、適当なビジネスホテルに投宿する。

 しかし、世の中は変わった。

 当初地球を悩ませていたエネルギー枯渇問題なんて、今やすっかり過去となってしまった。

 エネルギーは無尽蔵に持っているが、残り時間がなかった”他球”、エネルギーはないが時間はのこっていた地球が”融合”することで、あっさり問題は解決してしまったそうだ。

 もっとも、そのせいで不毛な戦乱が長期化してしまったとも言える。”融合”前と比較すると、世界の人口は三分の一にまで減少してしまったそうだ。全くとんでもないことだ。

 ……全く、ひどいな……。ぼくは……何かできなかったのだろうか……。

 沈鬱な気持ちで、ホテルから借りた情報端末を使い、手当たり次第にダウンロードしたニュースを読んでいると、ある記事がぼくの目をくぎ付けにした。

 『おめでたいことが目白押し! ”融合戦争”終結に合わせ、各界の重鎮が結婚ブーム! 筆頭は”少年宰相”、プレーテ・プリンツォ・ヘーラ・コル・ヂ・プラタ・ステロと、”少女将軍”アウナ・プリンツィーノ・ブリオン・コル・ヂ・オウロ・メテオプルーヴォのお二人! ご婚礼は一週間後に!』

 3D画像で見るアウナは、満面に笑みをたたえ、実に幸せそうだ。

 よかった……。ぼくは肩の荷が下りたかのように、安堵した。

 ぼくは、ぼくの中のアウナに語りかける。

 

 ――ね、ぼくのアウナはどう思う?

 『おぬしと同じじゃ。素晴らしいことではないか。もうひとりのわしが、歓びの中にある。近しいわしらの心も弾むのう』

 ――そうだね。でもキミは、うらやましいんじゃないのかい?

 『おぬしは相変わらず、ひねくれておるな。おぬしと共におるわしが、なぜ他のものをうらやまねばならん? わしはおぬし一人のもの、それがわしにとって最も幸福なのじゃ。でなければ、おぬしに引導を渡してもらおうなどと思うかの?』

 ――でも、もしかしたら、キミにもあんな輝かしい未来が待っていたかもしれないと思うと、ぼくは……。

 『やれやれ。それはもう何千、何万回と繰り返した話じゃろうが……しかしわしは倦みもせずに、またおぬしに申すぞ。わしが愛しておるのはおぬしだけじゃ。なれば、おぬしと一つになることが、わしにとっては一番の幸福ではないか』

 ――だったら、アウナは今、一番幸せなのかい?

 『そう! わしは至福の時を、生きておる。ではここで質問じゃ。おぬしはどうなのじゃ?』

 ――ぼくもそうさ! ぼくはキミといられて幸せだ!

 『本当にそうか? おぬしは長い間、痛みと苦しみ、怒りと悲しみに絶えずさらされてきた。その結果、もはやなぶりものにすらならぬガラクタとして打ち捨てられておる……もはや未来などない。かつておぬしの知っておった懐かしい人々には会うことはかなわぬし、かといってこれから独力で生活を築き上げることも、おぼつかぬじゃろう……そんな泥濘の底にあって、おぬしはなおも幸福と言えるのかのう?』

 ――言えるさ! ぼくとキミはあの時、完全に一つになった。それが幸福でなくてなんだろう? 人を隔てるモノは肉体の存在だ。ぼくたちはそれを超えたんだよ。キミは死に、ぼくの心も死んだ。でもその死は、本当に生まれる前の前段階に過ぎなかったんだ。絶対的な孤独に浸されたぼくの中で、キミはまるでさなぎから生まれる蝶のようにぼくの中で生まれ変わったんだ。その時から、ぼくには決して消えない光がともったんだ。

 『そうか。しかし輝かしい時もいずれ終わりが来るのではないか?』

 ――いいや。人生の一瞬は、永遠でもある。人は生まれた瞬間を覚えていないし、死ぬ刹那も知ることはできない。つまり人生には始まりもなく、終わりもないんだ。じゃあ、それは無限と同義じゃないか。そして、この世には人の数だけ永遠が満ち溢れている。でも、絶対の幸福を永遠に生きるのは、ぼくとアウナ、二人だけだ。

 『さようか! ならばわしらは永遠に幸せでいられるというわけじゃな? おぬしと一緒でよかったぞ!』

 ――ぼくもだ。一緒にいよう。これからも、ずっと。

 『そうじゃ、ずっと一緒じゃぞ、アーツェル』

 

 

 いつ命が尽きるかもわからない、苦痛に満ちた不自由な肉体を抱え、この世に誰一人親しい者もおらず、生活資金も乏しく、ぼくの行方にはただ、暗闇だけが立ち込めているかのように見えることだろう。

 しかし、ぼくにはいつもアウナがついている。

 だから、何があっても、あるいは何もなくても、不幸に陥ることは決してない。

 それゆえ、この言葉で締めることも、あながち間違いではないよね。

 

 そして、ふたりはいつまでもいつまでも幸せに暮らしました。

 

 (完)


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