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60-1

 いや、いいや……違うんだ。正気に戻るんだ……。

 ぼくは自分に強く言い聞かせた。

 目の前にいるのは、ぼくのアウナじゃない。赤の他人だ。でなければ、ぼくが”虹の門”を破壊したのはなんのためだったんだ?

 膨大な人々が生きる可能性を葬ってまでやろうとしたのは、アウナを悲嘆をこの世から取り去るためだ。

 つまりぼくは、何億もの人々とアウナたった一人を天秤にかけ、アウナを選んだ。

 そして、見事目的かなって、アウナは今、ぼくのもたらした陰惨な運命から解き放たれて、ここにいる。

 なら、ぼくが眼前の少女に対してするべきことは、なにもない。

 なぜなら、ぼくの中には、ぼくの、ぼくだけのアウナが生きているのだから。

 もう、これで十分じゃないか。

 

 何も知らないのか?とぼくに問うアウナに、首を縦に振る。

 「ああ。どうやらぼくは、何も知らないみたいだね」

 腕組みしたアウナは、ためつすがめつぼくを見る。

 「ますますわからんのう。おぬしは、実はどこかの有力者の一員ではないのか? 故あって世間から身を隠しているのではないか? どこからか逃げてきただとか……とにかく事情を話してみよ。悪いようにはせぬぞ? いかな事情があろうとも、わしを虚心に頼るものには、力になってやることに、いささかもやぶさかではないぞ?」

 いつのまにかこちらの身を心配している様子のアウナに、ぼくはあわててその親切を謝絶する。

 「ちょっとそれは! ぼくはそんなことしてもらえる立場じゃないし!」

 その時、視界の隅に灰色の物体が出現した。

 ついさっきの戦闘機だ。

 こちら、塔の頂上へ向けてまっすぐ迫ってくる。

 戦闘機の滑らかな腹部が割れて、内部から円筒がせり出した。攻撃ミサイルのようだ。

 三機の戦闘機はミサイルを切り離し、急上昇する。

 同時に、足元が激しく振動した。地上からの攻撃が始まったのかもしれない。

 迫りくるミサイルは、まっすぐぼくとアウナを目指している。

 ぼくは、体内に駆け巡る”魔力”を意識した。

 ”虹の門”を破壊したためか、あるいは”虹のかなた”となった影響か、ぼくの肉体は強大な”魔力”を秘めていた。

 果たして”魔力”が、この世界でも有効であればいいんだが……。

 慎重に、微量の”魔力”を解き放つ。

 すると、周囲の大気がたちどころに反応した。

 猛烈な突風が、ミサイルを払い落とす。

 ミサイルは塔の壁面に衝突し、滑り落ちながら炎に包まれた。

 呆然とするアウナに、ぼくは笑顔を向けた。

 「ぼくが目覚める前、キミは何をしてたんだい?」

 目をしばたたかせながら、アウナはぼくの素っ頓狂な質問に答えてくれた。

 「気持ちよさそうに眠っておるものを、いたずらに起こすわけにもゆくまい。そばで観察しておったのよ」

 ぼくは、つい吹き出してしまった。

 やっぱりこの子も、アウナだ。

 「ありがとう。おかげで元気になった。キミのおかげだ」

 言い捨てて、ぼくはその場から跳んだ。超人的な脚力で、塔の端にまで到達する。

 「待て! 何をするつもりじゃ?」

 驚くアウナに、ぼくは返事をする。

 「”融合”の責任はぼくにある。だから、衝突をなんとか収拾しようと努力してみる!」

 アウナは口を閉ざした。その眼は、狂人に向けるものに他ならない。

 ぼくはアウナに惜別のあいさつとして手を振った。

 離れがたい思いを抱きつつも、背を向ける。

 そして、塔から飛び降りた。

 

 

 

 

 

 ……それから、数年が経った。

 

 アウナのいた塔を包囲する軍隊を、ぼくは完膚なきまでに粉砕した。

 それを手始めに、軍事衝突と見るや、ぼくは手当たり次第に戦闘に割り込み、仲裁を試みた。

 仲裁と言っても、互いの軍勢を完全破壊することくらいしかできなかったが、ぼくの名はたちまちこの惑星にとどろいた。

 かつてぼくは世界を相手に叫んだものだ。

 「我が名は、”虹のかなた”! 二つの宇宙の調停者である!」

 うわぁ……ちょっと、はりきりすぎてたかな、今となっては恥ずかしいばかりだ。

 ぼくの力に震撼した、地球と”他球”の勢力は、足並みをそろえてぼくに挑みかかった。

 圧倒的な”虹の門”の力で、ぼくは次々と敵を蹂躙した。

 まるでぼくが神であるかのごとく崇めるものもあれば、悪鬼に対するように憎悪するものもいた。やがて戦いは、その両者の間で行われるようになった。

 地球と”他球”は手を組んで、ぼくとぼくに従う少数の人々と敵対したのだ。

 はじめは拮抗していた戦力は、つい最近になって、急速にぼくにとって不利な方向へと傾いていった。

 ”虹の門”の力が枯渇し始めたのだ。

 もともと半端ではあるが、宇宙の体裁を保つだけの莫大なエネルギーは、結局、”融合”した世界にあまねく拡散したことになった。これで、この”融合”宇宙では異物であった”虹の門”の存在は、ようやく世界に溶け込んだと言えるのかもしれない。

 ともあれ、ぼくが力を失ったことで、ぼくの率いる軍は瓦解した。

 今、ぼくは最後の砦でたった一人、ぼくに引導を渡しにくる人間を待っている。

 一時、世界中の軍隊を相手に無敵を誇ったぼくは、多くの人々、とくに現在の社会に不満を抱えている人々に、カリスマ的な人気があるそうだ。

 戦乱の終結は、徹底的な衆人環視の下で、ぼくが降伏文書に調印することで迎えることとなっていた。

 ”虹の門”の力を失い、無力となったぼくを衆人環視の下にさらし、威信を失墜させるつもりなんだろう。

 ぼくは、すでに武装解除されて軟禁状態にある。

 だが、それでは終わらないことをぼくは察知していた。

 ”虹の門”の終焉を目の当たりにした時から、身についた微弱な未来予知が、今回も働いたのだった。

 味方を出し抜き、ぼくが監禁されている独房に、何者かが単身で侵入している。

 そして、ぼくの最期を看取るはずのその人物が、今、扉を開いた。

 地球式の軍服に身を固め、でも、見た目にほとんど変化のないアウナが、部屋の入口に立っていた。

 「やあ。お久しぶり……どうぞ」

 全く平静に、ぼくはアウナに空いた椅子をすすめた。

 むすっと押し黙ったまま、アウナは乱暴な仕草で椅子に身を沈めた。深くかぶっていた軍帽のひさしを指先で少し上げる。

 いかにも歴戦の勇士らしい、鋭い眼光でぼくを射抜く。

 アウナは、”虹戦争”の初期から、”他球”軍の有力な将軍として、世界各地を転戦してきたのだ。

 「やはり、おぬしはあの時の女だったな。昔、一度だけしか会うたことがなかったゆえ、いささか自信がなかったが、この目で見てようやく疑念がふっきれたわ」

 「ぼくは、来るなと言ったよ」

 「来ずにはおれなんだのじゃ。なにしろ、おぬしには命を助けてもらった恩がある」

 「つまらないことにこだわってるんだね。ぼくはキミのお父さんや兄弟を殺したよ」

 「そうじゃな。おぬしには尋常ならぬ恨みを持っておることは確かじゃ。しかし、あの方々は戦場で雄々しく散った。名誉の戦死じゃ。戦場での命のやり取りは当たり前のこと。それと、わしの借りは、また別の話よの」

 「返してくれるのかな?」

 ぼくは穏やかに笑った。アウナは仏頂面のまま、ひさしの下に目を隠す。

 「逃げたくば逃げても良いぞ。どの道、おぬし本人がおらずとも、替え玉を使えばよいこと。ここの警備はわしの手勢が受け持っておるゆえ、すり替えは簡単じゃ」

 「もしばれたら、キミが罰せられるぞ。そんなリスクを負うつもりなのか?」

 「構うまいよ。もう、戦争は終わった……わしの役目も終わったのじゃ。ならば、わしのこの命、己の好きに使って何が悪い? もはや父上も兄上もおらぬしの」

 「わかったよ、それだけの覚悟があるなら、こっちも乗ろうじゃないか」

 アウナは、すっくと立ち上がり、ぼくを自分の体の前に導いた。

 背後にアウナを従える形で、ぼくは薄暗い廊下を進む。

 「賢明よの。おぬしには、調印式ののちに裁判が待っておったのじゃ。そこではすでに結果は決まっておって、おぬしは未曾有の人道犯罪者として裁かれる。戦略情報軍からの確実な話じゃ。”真昼の暗黒マルモ・チェ・ノン”計画と言ってな、裁判を通じて、大衆の面前でおぬしに散々醜態を演じさせ、人望を失墜させる狙いよ。これまでさんざん世のため人のためを標榜して戦ってきたおぬしじゃ。それは……つらかろう」

 淡々とアウナは語る。二人の規則正しい足音が、時を刻む音のように響いた。

 アウナの指示に従い、ぼくと彼女は殺風景な小部屋に入った。

 部屋を照らす白々とした照明に照らされながら、ぼくとアウナはしばらく無言で立ち尽くしていた。

 ぼくはアウナに背中を向けたまま、言った。

 「なぜ、ためらうんだ? キミはぼくを殺しに来たんだろう?」

 背後で、かすかに息をのむ音。ぼくは言葉を続ける。

 「やっとぼくの望みがかないそうだ。遠慮はいらない」

 アウナは押し殺したような低い声を出す。

 「おぬしの身元を何度も洗った。しかし、結果は何も出なんだよ。おぬしはわしと会った時、確かにこの世に忽然と現れたのじゃ。そして、己が圧倒的な脅威となることで、混乱していた世界を自発的に統一させ、汚名をかぶって消え去ることを肯んじておる」

 鋼のようだったアウナの声音が、おびえたように、かすかに乱れる。

 「おぬしはまるで……”救世主サヴィーオ”ではないか」

 言下にぼくは否定する。

 「違う。確かめたければ、撃てばいい。ぼくは間違いなく死ぬだろう」

 「おぬしがわしの父上と兄上を殺しておらねば、きっと、わしらは親しい友人になれたじゃろう。会ってみて、そう思ったぞ」

 「それ以上になるよ。でもそれが幸福だとは限らない」

 「謎めいたことを言うの……私情で、殺すことを許してくれ。いや、罪はわしが負うべきじゃな」

 「いいや、罪はキミには無く、ぼくにあるんだよ。ぼくはそれをずっと償おうとしてきた。いまやっと、それがかなう。ぼくは幸福だ」

 「わしは、おぬしを殺すことが、おそろしい。これは何かの間違いではないのか、なぜか執拗にそう思うのじゃ」

 「これがぼくの意思なんだ。そして、キミはぼくを救おうともしているんだね。わかるよ」

 「最後に、もう一度わびたい……おぬしの顔をもう一度見せてくれ」

 ぼくはアウナへと振り向いた。彼女は拳銃を握り、銃口をぼくに突き付けていた。その顔は蒼白で、今にも泣きだしそうなようすだった。

 「すまぬな。これがわしの恩返しじゃ」

 「ありがとう……キミは、きっと幸せになれるよ」

 アウナは顔をゆがめて、笑った。

 「冗談もほどほどにせい」

 ぼくは目を閉じる。

 もうぼくには未来を感じることはできない。ぼくの死ぬ時間までが、予知の及ぶ限界のようだ。

 だが、ぼくは心の底から、アウナが未来で幸福をつかめるように祈っていた。

 「さよならじゃ」

 声と共に銃声がとどろき、ぼくの全身に衝撃が走る。

 

 

 

 熾烈な戦争は終結し、平和になった世界でアウナは多くの親しい人々に囲まれ、優しくほほ笑んでいる……。

 ぼくが最後に見たアウナは、幸福そうだった。

 

 

 

 (完)

 

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