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ぼくの背後から、乾いた音が聞こえる。
いくつもの音が空気を震わせ、ぴりぴりと皮膚に刺激を与えた。
高くはれ上がった空の青を、色とりどりの光条が横切ってゆく。遠隔攻撃の一斉射撃だった。弓矢、手製のロケット砲、珍しい攻撃魔法が入り混じっている。
無数の弾道が、塔の根元に集束した。
敵の姿が、もうもうと膨れ上がる黄土色の煙に包みこまれる。
『そなたが、大将か? ▽』
突然、耳のそばで声が聞こえた。同時に、視界に文字が表示される。
心臓の鼓動がどきっとけつまづく。
「だれ?」
『応えるならば、わしの言葉の最後に添えておる目印にポインターを合わせてからにせい。直通会話じゃ ▽』
鼻先で笑うような気配が伝わってくる。僕の隣に寄り添うように立っているラランニャは不審な面持ちでぼくを見つめていた。
「どうかしました?」
ぼくは動揺を隠さず、口ごもる。
「いや……何か急に声が聞こえて」
言いながら、ぼくはめったに使わないアイポイントを起動した。小さな十字が視界の真ん中に浮かび上がる。視線で入力位置を指定する拡張コミュニケーターの一つだった。 このゲームのヴァーチャルデバイスが非常に優秀なため、ほとんど存在を忘れていた。
ぼくはいそいで謎の声が言った通りに、ポインタを会話ログの▽に合わせる。
「だれ?」
『先ほどから顔をあわせておるではないか。にぶいのう』
「じゃ、君は……」
『さよう、わしはアウナじゃ。そなたらの敵じゃよ、”青ざめた死”、アーツェルどの』
アーツェルというのは、この世界での僕の名前だ。
「しゃべれるんだ……」
愕然として、ぼくはつぶやいた。
「急にどうしたんですか? 何かの攻撃ですか?」
心配そうにラランニャがぼくを見ている。
「大丈夫だ。今のところはね。アウナからの直通通話が来たんだよ」
「アウナから?」
「そうだ。今はなしているところなんだ」
「そんな! 信じられない」
呆れたようにラランニャは声を上げる。
「そうなんだ。それでぼくもびっくりしてて」
『当然しゃべれるぞよ。いくつか翻訳ソフトを組み合わせれば、そなたと意思疎通することも可能じゃ、今のようにな』
得意げなようすで、アウナが言った。ぼくは弱気を悟られないように、冷静に返す。
「なにが目的だい? 休戦でもするかい?」
笑い声が聞こえた。落ち着いて聞いてみれば、澄んだきれいな声だった。
『まさかのう。それには及ばぬよ。わしはそなたに聞きたいのじゃ。この戦いの勝敗は、わしとそなたの一騎打ちで決めぬか?』
「なんだって?」
『そなたの周りにたむろしておる有象無象ら……そんな連中、いてもいなくとも同じよ。それならわしとそなただけが戦えばよいではないか』
ラランニャが不安げに声を震わせる。
「何を言ってきているんですか?」
「ぼくとアウナで一騎打ちをしようと言ってきてる」
「バカな! そんな危険なことは絶対にやめてください」
ラランニャの手が僕の腕をつかんだ。ぼくを見上げたラランニャの目が涙を浮かべている。
「わかってるよ、でも、もしかしたらそのほうが……」
「無理です! 駄目です! だって、もし軍団長がいなくなったら、わたしたちは、いいえ、この世界はどうなっちゃうんですか? 危険なことはやめてください!」
ラランニャはぼくにしがみついた。
「わかってるよ。うかつなことはしないから」
「お願いですよ。アウナは敵の中でも最強と目されているんです。そんなのと一騎打ちなんて危なすぎますよ。私たち仲間を信じてください」
『どうする? おぬしの周辺にたかっておる者どもの命を救うも捨てるも、そなたの決断ひとつぞ』
アウナの言葉が、重圧となって頭にのしかかる。しかし、冷静に考えた結果を答えた。
「悪いけど、キミの誘いには乗れない。軍団長は自分の身を守る義務があるし、仲間が無力だとは思わない」
多少、苛立ったようなアウナの声音が聞こえる。
『……部下の一人もいない者など、将軍と言えるものかのう? まあ、そなたがそう申すなら、その選択を尊重しよう。しかし、一言だけわしの感想を言ってもよいかの?』
「お好きに」
『おぬしは、卑怯者じゃ』
アウナの言葉が、胸を貫いた。思わず歯噛みする。
自分の負い目を、すっかり見抜かれているかのようだった。一言たりとも反論できなかった。
ラランニャが励ますように言う。
「大丈夫です。アウナは自分が不利だから、こちらをかく乱しようとしてるんですよ。動じないものが勝ちます」
「そうだね……落ち着こう」
ぼくは前方に次々と盛り上がる煙に目をやった。丸い岩のような異形が、一瞬で伸びあがっては、消えてゆく。
と、ひときわ巨大な煙がほとんど球体となって膨張を始めた。
「なんだ? あれは……?」
いい終わらないうちに、壁のような風が全身にたたきつけてきた。突風に混じった砂の微粒子が頬を叩く。
衝撃波が、全軍を一撃した。
その瞬間、すでに前衛に展開していた防御魔法部隊は四散していた。蹴散らされた兵士が何人も宙を舞っている。
とっさに、ぼくは声を張り上げる。
「敵の強襲に警戒せよ! 各人、防御態勢を取れ!」
そこからは、アウナの独壇場だった。
巨大な竜巻が立ち上がり、一瞬で軍勢を包み込んだ。
何百人ものキャラクターたちが一度にふきとばされた。高空に巻き上げられ、烈風に翻弄される姿が、舞い上がったほこりのように渦を巻いた。
ぼくとラランニャ、周辺の数十人はかろうじて地面に踏みとどまった。
すさまじい轟音が鼓膜を圧する。
猛烈な風圧をまともに受けないように、地面に伏せた。ぼくたちがまだ竜巻に呑まれていないのは、陣形の中心にいたからだ。わずかの差で、ぼくたちは風に備えることができた。
地に伏したまま左右を見ると、ラランニャや見知った面々が必死の形相で大地にへばりついている。神や服が振動する機械のようにはためき、耳障りな音を立てていた。
うなじがひやりとする。
さっき聞いたアウナの言葉を思い出した。
誰の助けが得られなくても、ここで動かなければぼくは、卑怯者だ。それに、もともと単独行動がメインでプレイをしていたじゃないか。自分にとっては当たり前、ごく普通のことなんだ。
……どうやら、最近急にたくさんの仲間が増えて、すっかり気持ちが弱くなってしまったらしい。
ぼくはせかされているかのように、あわてて立ち上がった。
猛烈な風を全身で受けた。同時に、地面から足が離れる。
が、ふたたび地に足をつける。
戦慄が背骨を駆け上がる。背中に鳥肌が立った。
急速に音が低く、遠くの雷鳴のように聞こえ始める。視界がほのかに暗くなった。体が重くなる。
背中を押す暴風から逃げるように、ぼくは走った。
進行方向を風の向きに合わせ、風を感じなくなるまで速度を上げる。
竜巻程度の風速で移動することは、ぼくにとっては簡単なことだった。
軍団長になるにあたって”組合”からもらった特殊能力は、速度を上げる特殊魔法に設けられているリミッターの解除だった。
”超臨界速”。それがぼくの能力だ。
もっともそれだけで超高速で動けるわけじゃない。通常をはるかに超えるスピードによってかかる負荷に耐えられる頑健な肉体と、高速時のおびただしい情報を処理する感覚が必要になる。そこは、長年の狩りの成果でたいして問題はない。
あとは、ぼくが自分の能力に慣れることだけだった。
相手に気付かれる時間すら与えず肉薄し、そして同じく”組合”から受領した魔法剣”死の種子”で倒す、これが想定している最良の戦術だったが、能力を発揮するタイミングを逸してしまうことがしばしばで、いまだに自信が持てないのだった。
だが、そうも言っていられる状況じゃない。
竜巻に翻弄されないように、風に合わせて走りつつ、徐々に中心へと向かう。
そこに、まったくの素手で竜巻を起こした”化け物”、アウナがいるはずだった。