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不思議だ……。
夜が明ける。
アウナが死んだのに、世界はいつもと何一つ変わらなかった。
いつ果てるともなく続くと思っていた夜は、今、曙光に溶けつつある。
天蓋の周辺は高温にさらされたかように白々と焼け、群青色に褪せた闇夜は蒸発寸前だった。
高空に吹き散らされた羽のような雲が、新しい生命を吹き込まれたかのごとく、あざやかな桃色に染まっていた。
キレイだ。
こんなに澄んだ空は、これまで見たこともない。
すべてが限りなく明瞭だ。
空や、太陽、雲、風、いずれもが皆、それら自身だ。なんのくもりもてらいもなく、ただ、世界の一部として、存在している。
彼らはただそこにあり、それゆえに初めて、ぼくはその本当の美しさを知った。
ぼくは心の底から思った。この世界は美しい、と。
そして、滅ぼしてしまおう、とも。
朝焼けの下で、ぼくは冷えた土に座り込んでいた。
かたわらには、小さな骸が横たわっていた。
青い影を透かして、ほの見えるアウナの亡骸は、美しかった。
”まぶたの下りた目は、夢の名残を追っているかのごとく、うっすらと開いている。”
”唇は、微笑みでほころんでいた。”
同じだ。
”狼人間”に食い散らされたアウナと。
きっと、あの時のキミは、今のぼくと会った後だったんだね。
その最期にみせていた笑顔の理由が、ぼくだったとしたら、ぼくは少しうれしいかもしれない。
この後、過去のぼくがキミを見つけるんだろう。
でも、もうキミはこれ以上ひどい扱いを受ける謂れはない。
埋めよう……ぼくの心と一緒に。
かつて彼女と戦ったまさにその時、彼女が死ぬことは、ぼくが死ぬことだと、そう気づいた。
だから、アウナと一緒に、ぼくも死んだんだ。
思えば、初めて彼女を目にした時、その姿はさみしそうに映った。
他の誰もが、恐怖と憎悪に塗りこめられた目で見ていたであろうアウナは、しかし、ぼくには孤独で、悲しげな姿をしていると思ったのだった。
どうしてだろう? それはとても不合理な出来事だ。
だって彼女とぼくは殺しあおうとしていたのに。
だが、初めて会いまみえた瞬間に、ぼくにはアウナの真情が分かったとしか思えない。
そして、それはぼくと同じ気持ちだった。
この世界で、ぼくとアウナはたった一人で取り残されていた。
ぼくは現実からの、かけがえのない避難所であるはずの”虹の門”を破壊しつつあった。押しとどめようもなく進んでゆく”最終戦争”に嫌悪を感じながら、状況に流されているだけだった。
だからといって、”虹の門”に限りない愛着を持っていたわけでもない。むしろ、この世界そのものにも、違和感がぬぐいきれなくなりつつあった。
にもかかわらず、”虹の門”を荒廃させる企てには心底から賛成はできなかった。
自分の存在する世界への拒絶と、不毛な破壊行為から離脱することができない忸怩たる思い。
それはアウナだって同じだったはずだ。
出自に関する記憶を一切持たず、気づけばこの世界に投げ出されていたアウナ。
彼女にとって、これまでの暮らしは、好きな相手との感情のやり取りなど一切ない、ただ生存のために明け暮れる味気ない日々ではなかったか?
でも、彼女は”龍脈”を守るために立たざるを得なかった。
初めて会った時、彼女は部下を戦場に出さず、一人だけで大軍を待ち受け、ぼくに一騎打ちを挑んできた。
そこには、自分の力を恃む誇りもあったろう。
しかし、争いを先導していない者を巻き込みたくないという配慮もあったはずだ。
だから、彼女はぼくを卑怯だとなじった。
いまはっきりと分かる。
彼女とぼくは、同じ魂を持っていた。
意外に、ぼくの体は軽かった。
雲のようにふわふわとして、風のように軽快だ。
”龍脈”を破壊したせいでボロボロになった魔剣で、固い土をうがつ。
機械のように黙々と作業を進めてゆく。
掘り終わった穴の底に、丁寧にアウナを横たえた。
足元から、そっと土をかけていった。
顔を覆うときは、細心の注意を払った。手のひらでほぐした土を、いったん顔のそばに盛り上げる。肌の上に直接、土を落とさずに、布で包むように指先で土の山を崩していった。
時間を忘れて没頭していたから、ずっと朝だと思っていたけど、終わった時には、太陽が空の中央まで昇っていた。
もう、荒野にアウナの姿はない。
何物も彼女を煩わせることは無いはずだ。
そして、彼女の墓はこの世界、”虹の門”そのものとなった。
なぜなら、アウナという存在が消えると同時に、”虹の門”も無くなるのだから。
そう、ぼくは”虹の門”を消滅させる。
そもそもこの世界ができなければよかった。ここが存在しなければ、アウナは苦しまなくても良かった。生まれずに済んだ。
彼女を救うために、ぼくはこの美しい世界の誕生を阻止しようと決めたのだった。




