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 ぼくはただ戸惑うばかりだった。

 アウナは柔和な微笑みすら浮かべ、ひそやかに歌うような優しい声音で話し続けた。

 

 

 「え?」

 「できるか?」

 「わからない」

 「そんなに難しいことかのう? わしは抵抗はせぬぞ」

 「違うんだ。なぜ、そんなお願いなのかがわからないんだ」

 「だが、おぬしはなんでもすると言うたではないか。なのに、理由が必要なのか?」

 「だって、そんなことを言われるとは思ってなかった」

 「ならば、理由を教えてやれば、頼みを聞いてくれるな?」

 「ムリだよ! ぼくにできるわけない、わかるだろ? ぼくはキミに会いたくてここまで来たんだよ?」

 「知っておる。だからこそ、できるとわしは思ったのじゃ」

 「なぜ? わからない、わからないよ。アウナ、ぼくにはキミがわからない!」

 「残念じゃ。おぬしはわしを裏切るのじゃな、一度ならず二度までも……」

 「違う! ウソを言ったわけじゃない! でもキミを殺すなんて……冗談にもほどがあるよ! いや、そうか、だまされるところだったな、これは、冗談なんだね?」

 「冗談などであるものか。わしは至って本気じゃ」

 「待ってほしい。本当に、本気で死にたいと、そう言っているのかい?」

 「そうじゃ」

 「どうして? キミが死ぬ理由がぼくには見当たらないんだ」

 「しからば、教えて進ぜよう。もうな、生きておるのが……おっくうなのじゃ」

 「おっくうって。本当にそんな理由なのかい? いや、違うよ、ぼくをからかっているんだろう?」

 「違うぞ。おぬしはわしの言葉が信じられぬのか?」

 「信じないわけじゃないけど、でも、ぼくにはどうしてもキミが死にたがっていることが納得できないんだよ。むしろ、ぼくを憎んでいるほうが、まだ……」

 「わからぬやつじゃ。憎んでなどおらぬと言うに」

 「そんなことあるもんか! 確かに、ぼくがキミを一度、見捨てたのは悪かったと思ってる。償うためにはなんだってするつもりなんだ。いいさ、好きなように、気が済むようにしてくれればいい」

 「やれやれ。度し難し、とはこのことかの。わしの言葉を何一つ聞き入れんのじゃから」

 「ぼくはキミを殺せない!」

 「全くもう……。やってみねばわかるまい? 取り組みもせぬうちから泣き言などと、情けないのう」

 「だから、ぼくにはできないんだ!」

 「ならばいたしかたあるまい。代わりに、わしを一人にしてくれ」

 「ダメだ。キミは死ぬつもりなんだ。ここは狼人間の群れが徘徊している場所じゃないか。キミはこれから……信じられないかもしれないけど、ぼくは未来から来た。そこで、キミは”狼人間”に食われてしまうんだ。ぼくは見たから知ってるんだ」

 「ほほう、未来では、わしは連中に食われるのか。しかしそれの何が悪い? それが摂理なら、わしは受け入れるにやぶさかではないぞ」

 「悪いよ! キミがいなくなれば、ぼくまでここにいる意味がなくなってしまう」

 「つまらぬことを言うな。わしがおらずとも、おぬしはおぬしで生きるべきじゃ。他人に自らの存在意義を求めるなど、愚かなことぞ」

 「ぼくと一緒にいるのはイヤかい? なら、せめてキミもどこかで生きていてほしいよ」

 「おぬしがイヤだというわけではない。わしはおぬしが好きじゃ。しかし、わしがおっくうだということと、それは全く別のことなのじゃ。わしの命はわしが好きに扱いたい」

 「ぼくはキミの役に立てないのか? 死ぬことじゃなく、生きることに。一緒なら、おっくうでなくなるかもしれないじゃないか。だって、ぼくたちはお互いに惹かれあっているんじゃないのか?」

 「そもそもわしがこれ以上生きようという気がないのじゃから、虚しい期待よの」

 「そんなことを言わないでほしい! お願いだ、ぼくにもう一度チャンスを与えてくれ!」

 「よせ。もう、わしは生きることに飽きあきしておる。それだけじゃ」

 「ぼくのせいなのかい? キミが生きる気をなくすほどに、キミを傷つけてしまったのか」

 「おぬしを責めてはおらぬと言うに。くどいのう」

 「なら、理由を聞かせてくれ! どうして、飽きあきしたのか、そのわけを」

 「困ったものじゃ。おぬしはまるで、子供じゃな。どうして、どうしてと、際限なく問うておれば気が済むのか?」

 「ああ、そうさ! ぼくはわがままなガキだ。いい年してって、言いたければ言ったらいいよ! だって、わからないんだ。どうしても腑に落ちないんだから、しょうがないじゃないか」

 「結局、おぬしのわがままにわしは流される。いかにわしらは好き合うとるとはいえ、言いたくないことだってあるじゃろうにのう。どうしても知りたいと、そう言うか」

 「キミがイヤなら……言わなくてもいいけど、でも、一人置いていくことはできない。殺しもできない……」

 「そうか……しかし、わしは今、己の意に染まぬことをしようとしておる。それほどまでに、おぬしには逆らえぬ。それは、おぬしを失望させたくないゆえにの……つくづく、自分がイヤになるわ」

 「ぼくには、うれしく聞こえるけど、キミには不本意なんだね」

 「さよう。わしにはわしひとりで生きられぬことが、たまらなく悔しいのよ。わしはたった独りで、それでも充足しておった、おぬしに会うまでは」

 「ぼくはキミと出会えて、生まれて初めて、他人と心がつながったような気がした。とても幸福だった」

 「わしも同じじゃ。おぬしと過ごした短い時間は、わしにとってかけがえのない素晴らしい時であったぞ」

 「なら、どうして一緒にいられないの?」

 「あまりに美しすぎるゆえじゃ。まぶしすぎて……わしの目はくらんでしまうのじゃ」

 「キミだって素晴らしいと思っているんだろ? だったら二人でこれからもっとキレイな思い出を増やそう」

 「あの時、あの場所だったから、麗しかったのじゃ。これから二人で、とおぬしは言うたな。しかし、それは厳密には二人ではない。おぬしと、おぬしにべったりとよりかかった半人前の、一人とはとても言えぬ人の形をした空虚な人形がおるだけじゃろうよ」

 「何を言ってるかわからない。言葉はわかるのに、キミの考えが全くわからないよ」

 「さもありなん。わしがすでに、自分自身というものが分からなくなってしまったのじゃから……おぬしに会うまで、わしは単純じゃった。それで十分であった。だが今は、なにもかもが難題じゃ。自分の好きにすればそれでよい、という確信が消えてしもうた。自分のやりたいことすらもはやわからぬ」

 「キミがどんな人になりたいかとか、何をしたいか、ってこと? なら、悩まずにキミの自由にすればいいのに」

 「できぬのじゃ。そも、おのれがやりたいことがわからねば、目的など持ちようもなかろうが。わしには、ハッキリとした自分自身というものが、ほとんどない」

 「そんなことないよ。キミはちゃんと自分の考えもあるし、物事の判断だってできている。今だってそうじゃないか」

 「こんなもの、浅薄で脆い代物よ。かつて言ったであろう、わしはアウナとしてたった一人でこの世界で目覚めた。そして準備されていた環境で何の疑問もなく過ごしてきたにすぎぬ。似たような仲間と浅い交流もあったが、そんなものは今思えば無きに等しい。力をなくし、配下の”モンスター”を失った今、わしの中は空虚じゃ。がらんどうで、確固たる基盤が何も見つからぬ」

 「二人でいることも、望まないと?」

 「そうだと言えば、ウソになる。しかし、おぬしといると、わしはおぬしに飲み込まれてしまうじゃろう。わしはちっぽけな自我しか持ち合わせておらぬゆえ、おぬしの一部になり果ててしまう。それは嫌なのじゃ。アウナとして、”半神”として堂々と生きてきた誇りが許さぬ」

 「アウナは、アウナだよ。力を失っても、前と変わっても、ぼくの一部になんかなるはずはない」

 「わしが予感しているのだから、信じてくれ。すでにわしは、おぬしに染まりつつあるとの自覚があるのじゃ。生きたほうが良いのかと思い直しつつあるのじゃから」

 「なら、生きてくれよ。ぼくと一緒にいなくてもいい」

 「今のわしにそれができると思うかの? わしはおぬしと離れられぬ。おぬしのおらぬ自分が想像もできぬ。一人でなど、何もできなくなってしまっておるのじゃ。それが、おぬしと別れてから、痛いほどわかってしまった」

 「だったら一緒にいよう。いつまでも二人で暮らそうよ」

 「だが、おぬしが消えてしまったら、わしはどうすればいい?」

 「いなくならないよ!」

 「ウソを……言わんでくれ……すまぬ。これ以上はもはや……わしは何も言いとうない」

 

 

 一貫して、穏やかだったアウナの声がわずかに乱れた。

 その時ぼくは悟った。

 ぼくのあの卑劣な逃げが、アウナにとりかえしのつかない、深い、深い傷を負わせてしまったことを。

 落雷のような衝撃がぼくを打ちのめしていた。腐った傷から血膿が流れるように、ぼくはいまさら言ってもどうしようもない繰り言を口にしていた。

 「ぼくが悪いんだね。ぼくがキミを裏切ったから……」

 アウナの反応は激烈だった。

 「おぬしは悪くはない! わしは本物の喜びを初めておぬしに教えてもらったのだから。じゃが、今までにない幸せを知ってしまったゆえに、それを失うことが死よりも恐ろしくなってしまったのじゃ」

 優雅な相貌が、花がしおれるように、悲嘆に蝕まれる。

 アウナを苦しめている、という恐怖がぼくを追い詰めた。

 ぼくがアウナを傷つけたことをわかっていながら、なおも問いかけずにはいられなかった。わずかにでも否定されることを願って。

 「失うことを教えたのも、ぼくだ。そうだろう?」

 「そんなことは気にせずともよい!」

 「本当のことが知りたい」

 アウナは悲鳴のような声を上げる。

 「そう、そうじゃ! あの時、おぬしがラランニャに賛同し、わしを見放した時……信じられなんだ。おぬしがわしを捨てるなどと。塔の上であれほど幸せな時を持った相手であるにもかかわらず、裏切るなどと。もし、死んでもおぬしを取るかと迫られたのがわしならば、わしは、間違いなくおぬしを取ったぞ? おぬしは、やっぱり卑怯者じゃ」

 「償うことはできないのか? 何でもするから……」

 すでにぼくの言葉は、死骸同然だった。意味は擦り切れ、ただ音が空気を震わせているに過ぎない。

 アウナの大きな瞳から、涙があふれる。寄る辺なくさまよう手が、細かく震えていた。

 「だが、わしはおぬしを憎むことができぬ! わしを捨てたおぬしが、今この瞬間もわしは愛しくてたまらぬのじゃ。だから……だから、もう話したくはなかったのに……すまぬ、本当にすまぬな。おぬしはひどい奴じゃ、わしはおぬしに対して、耳障りなことは一切言いたくはなかったのに。愛おしいゆえに、最後まで仲睦まじい二人で、幸せな二人のままでいたかった」

 「いいんだ。ぼくはキミが何を言っても傷ついたりしない。ぜんぜん平気だよ」

 「ふん。そんな苦しそうな顔をして何が平気じゃ」

 唇をとがらせ、アウナは言った。

 「考え直してくれたら笑うよ、楽しそうにさ」

 無駄と知りつつ、ぼくはアウナに懇願する。

 アウナは静かに目を伏せた。

 「おぬしのもとから去った時、もう一人では生きてゆけぬことを知った。同時に、それはわしがアウナであるという矜持をもなくしていたことを思い出させてくれた。そう、もうかつてのアウナはおらぬ。おぬしと塔の上で星を見ながら語らったわしは。生まれてからの無邪気な日々、”半神”として君臨していたわしは、自らが偉大な存在であることを誇りに思っておった。なにも必要とせぬ、なにも恃まぬ、一人だけで完全な存在じゃった。だが今は、もはやおぬしと共にいても、いずれ来る破局におびえるしかない。なぜなら、わしはどうあがいても、おぬしに何もかも依存してしまうじゃろうから。頼り切った相手が消えて、その苦痛に耐えることなどできはせぬ。しかも、おぬしを無くした後に、かつてのわしにも戻れぬならば、もう、生きることなどできようはずもないではないか」

 「二人でも、乗り越えられないんだね」

 にわかに動悸が激しくなる。間近に到来する破滅の瞬間を知っていながら、ぼくは避けることができない。

 「共にいても怖い。離れれば苦しい……わかってくれ」

 アウナは乱暴に顔をぬぐい、ほほ笑んだ。

 悲しげな笑顔だった。

 

 

 ぼくは……ぼくはこれ以上何を言うことができるだろうか?

 純粋な心に致命的な傷を負ったアウナに、その傷を負わせたぼくがいったい何を?

 つぐなわなければならないのに……なのに、どうしようもない、どうしようも……。

 

 

 愕然と硬直したぼくに、アウナは服の下から何かを取り出した。

 「わしのしっぽじゃ。いささか悪趣味じゃが、形見にとっておけ」

 柔らかい布きれにつつまれた二の腕ほどの長さの物体を、ぼくは唯々諾々と受け取った。

 「さ、そろそろ潮時じゃろうの。みっともない姿を見せてしもうたな、何となく恥ずかしいわ」

 愁いの消えた瞳でぼくを見つめながら、アウナはすっくと立ち上がる。

 衣服の前をはだけた。

 心臓のあるあたりを指さし、うすく笑みを浮かべる。

 「ここが急所じゃ。一太刀で仕留めてくれい。痛みを恐れはせぬが、苦悶する姿は醜かろう」

 「君のために……してあげられることって……これしかないのかい?」

 「すまぬな。最期はおぬしに看取ってもらいたいのじゃ。わがままなのは承知の上じゃ」

 「どうしても、ぼくに、キミを、殺せ……と?」

 「ひと思いにやってくれ」

 喘鳴が聞こえる。ぼくの呼吸は耐え難いほどに早くなっていた。

 せわしない心臓の一打ち、ひとうちが地響きのようだ。

 涼しげなたたずまいのアウナを、ぼくはまともに見ることができない。

 視界が明滅する。

 殺すことがアウナのためだって? ウソだ! そんなことあるはずがないじゃないか!

 なぜぼくはここにいる? なんのために苦労してここまで来たんだ?

 犯した罪を償うのは、もう手遅れだと知るためだけに?

 「はやくせい! 臆病者!」

 アウナの鋭い一喝が、葛藤に縛り付けられていたぼくを突き動かした。

 ベルトにつるしていた”死の種子”をつかみ、アウナを貫く。一瞬の出来事だった。

 血の海に沈むアウナは、かすかにつぶやいた。

 「さよならじゃ……元気でな」

 死にゆくアウナの前で、ぼくはただ茫然とたたずんでいるだけだった。

 

 

 気づけば、辺りはすでに闇に覆われていた。

 見上げた空には、いくつもの星がきらきらとまたたいていた。

 その中でも、ひときわまぶしく輝く星がある。

 無数の星の中でも最も明るく美しい星、”見えない物”という名のそれは、ぼくとアウナの星でもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アウナは、星になった。

 








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