53
アウナは地面にちょこんと横座りしていた。
ぼくは何と声をかけていいかわからずに、立ち尽くす。
にこにことほほ笑むアウナは、屈託のないつぶらな瞳でぼくを見上げている。
「どうしたのじゃ? アーツェル。そんなに息を切らして」
こともなげに、アウナから声をかけてきた。
心臓の鼓動が高鳴った。
いつしかぼくは汗びっしょりになっている。足元に視線を落とす。
こんな時なんて言えばいいんだ……?
「ぼくは……その……キミに会いたくて……」
そこまで口にした時、不意に涙があふれてきた。情けないことに、嗚咽で言葉が続かない。
なんてこった……なにをやってるんだよ……。
脳裏にわずかに残っている冷静なぼくが困惑している一方、ぼくの体はだらしなく泣き崩れてしまった。
足から力が抜け、地面に両膝を突いた。そのまま、身を隠すように上半身を伏せる。
つっかえながらなんとか話そうとする。
「ぼ、ぼくっ……わっ、どどう、して、もっ……あひっ、たか……った……ギミ、にぃ……」
…………。
もうどうしようもないな。
かっこ悪すぎる。
子供か。
よりにもよって、アウナの前で、こんな醜態、ありえなくなくね?
が、しかし。
涙と土で汚れたぼくの手を、アウナはそっと押し包むように握りしめたのだった。
アウナの手のひらは意外に熱く、ぼくを驚かせた。
やや苦笑ぎみの声が聞こえる。
「何があったか知らぬが……思えばおぬしのこんな姿を見るのは二回目じゃの」
「そ、そうだっ、ったっけ……?」
いまいち覚えがない。
アウナの前でこんなに号泣したことがあっただろうか? いや、あったかもしれないけど、覚えてない。というより、もしかして今のアウナはぼくの知ってる彼女ではないのかもしれない。
「忘れてしもうたかの。わしがおぬしに敗れた折、おぬしは仲間に頭を下げて、わしの命乞いをしてくれたではないか」
あったね、そんなこと。
あの時は、どうすれば事態を収拾できるのか悩んだ末、あんな無様なことをしでかしてしまった。
結局、仲間にはバカにされるし、ラランニャには泣きながら叱られるし、結局、アウナは連れて行かれそうになるし、何一つうまくいかなかった。
嫌な思い出からは、つい目をそむけてしまう。
ぼくは変わらないな。同じだ、昔も今も。肝心な時には、必ず惨めなヘマをする。
こんなぼくが、どうしてアウナにもう一度会おうなんて考えたんだろう。
きっとアウナだって、迷惑に違いない。
落ち込むぼくに、アウナがそっと話しかける。
「思いがけず、ここでもう一度会えてよかった」
一瞬、意味が分からなかったぼくは、泣き濡れた顔を上げた。
優しい面持ちで、アウナがぼくを見つめていた。
「思えば、初めに助けてもらった礼を言っておらなんだわ。どうもわしは忘れっぽくていかん」
あわてて、ぼくは鼻水をすすり上げ、涙を手の甲で荒っぽくぬぐう。
「いいんだよ、そんなこと。それより、ぼくのほうが謝らないと……」
真剣な顔つきでぼくをにらみ、アウナは小さく首を振った。
「よいか。今しか言わぬ。耳をかっぽじってよっく聞くがよい!」
アウナはちらと視線を横に向けた。
「……あ、り、が、とう……」
白い頬がみるみる朱に染まる。
ぼくに触れた手の熱さがさらに増したようだ。
「どうしたんだい? 体の調子でも悪いの?」
心配になったぼくは、アウナに尋ねた。
アウナは唇を吸い込み、無言でぼくを見上げる。
困惑したような表情を浮かべ、ほほ笑んだ。
「……ウソじゃ」
「何が?」
「改めて礼を言うなどと、照れくさいものよの。忘れていたというのは嘘じゃ、許せ」
ぼくはアウナの照れ笑いにつられ、吹き出してしまった。
「どうして、こんなタイミングで言ったんだい?」
「おぬしが何やら言いづらそうにしておったからの。これでお互い様じゃ。さ、遠慮するな、なんなと言うがいい」
ああ、アウナ……ぼくみたいな奴に気を使ってくれなくてもいいのに。
もしかしたら、このアウナは、ぼくが裏切ったアウナではないのかもしれない。世界はすでに、元のアウナをなくしてしまったのかもしれない。
胸につかえる重苦しい塊を、ぼくは必死に吐き出した。
「ぼくがキミを切り捨てたことを……謝りたかった」
「ほう。だが、仕方なかったではないか。おぬしは大けがをしておったし……すぐそばにあんな世話女房がおっては、言いたいことも言えんじゃろうの。気に病むことはあるまいよ」
少し皮肉まじりに、アウナは淡々と答えた。どうやら、多少世界が変わったとはいえ、ぼくの卑劣な行動は帳消しになっていないらしい。
だが、それでよかった。ぼくは自分の間違いを正しに来たんだから。
アウナのとりなしに流されず、ぼくは深々と頭を下げた。
「ぼくが悪かった。本当に申し訳なかった。ごめんなさい」
ため息をついて、アウナは頭をかいた。
「よさぬか。そうまでせずとも、わしは怒ったりなどしておらぬ。ほら、手を上げい」
「キミの気が済めばと思って……」
「気が済むもなにも、わしは何とも思っておらぬわ」
ふと、ぼくが垣間見たアウナの悲しげな顔が思い浮かんだ。
だが、アウナはぼくに気を使って取り繕っているのだろう。だから、ぼくもアウナの言葉を否定しないことに決めた。
「そうか。ぼくの考えすぎだったようだね」
「うむ。くよくよ悩んでばかりしてはいかんな。おぬしの悪い癖じゃ」
「じゃあ、もうぼくを許してくれているんだね」
「許すも、許さぬもないわ……わしは、おぬしのことはいつも、何でも受け入れてやろうぞ」
なんとも恥ずかしいセリフを、ぼくは素直に口にした。これはぼくの本心だし、いまさら、恥ずかしがるも何もないし。
「キミを好きになってよかった」
真顔になったアウナは、ぼくをまじまじとみつめた。
「わしもじゃ。おぬしが好きで、よかったわ」
「ありがとう」
幸せだ。今ぼくは、最高に幸せだ。
これが、天国というものか。
アウナさえいてくれれば、もうぼくに怖いモノなど何一つない。
彼女が望むならば、ぼくはこの宇宙すら手に入れてみせる。
もう二度とアウナを手放しはしない!
ぼくはアウナの手を取り、熱っぽく言った。
「じゃあ、ぼくとここでずっと暮らそう! もう誰も邪魔する奴はいない」
優しげなアウナの微笑みが、つかのま、凍りついた。
ぼくの手のひらから、ゆっくりと自分の手を引き抜く。
気の抜けたような顔つきで、アウナはうつろに笑った。
「それは、できぬ」
いきなり、会話がつながらないような言葉を聞いたように思って、ぼくは本気で自分の耳を疑った。
「……なんだか、よく聞こえなかったみたいだ。これからも、ぼくとずっといっしょにいてくれるね?」
バツが悪そうに、アウナは眉根を寄せた。
「悪いが、それはムリなのじゃ」
アウナはそっとぼくから身を遠ざけた。
ぼくは拒否されているのか?……信じられない。
なぜ? どうしてだ? ぼくになにか落ち度があったのか?
いや、なにか事情があるのかもしれない。なんだか変にドキドキしてしまった。無意味に不安になってしまって、ここまで来るのにかなり苦労したから、あせってるんだな、ぼくは。
あわてるコ○キはもらいが少ないというじゃないか。がっついちゃだめだ。落ち着くんだ。
よく相手の話を聞いて……。
「どうして? 理由を教えてくれないか」
あからさまにアウナは話を逸らした。
「それより、おぬしこそこんな辺鄙なところに長居してもよいのか? 尋常の手段でここまで来たのではなかろうに、いたずらにわしと時間をつぶしても仕方があるまいが」
「そんなことない! 確かに普通の手段では、二度とこの時、この場所にはぼくは来れなかった。でもそれはキミのためだ。アウナがいるから、わざわざ無理矢理やってきたんじゃないか」
「なるほど。合点がいったわ。ついさっきまで気絶して目を覚まさぬほどであったのに、今では走るほどになっておるものな。片腕も消えておるし……おぬしが不憫でならぬ。そうまでして痛い目に会わずともよいのに。ましてわしなどのために」
「そんなこと言わないでくれよ! ぼくにとってキミは自分より大事なんだ!」
アウナはさびしそうに目を伏せた。
「よすがいい。わしには、そんなにおぬしから慕われる価値などあるまいよ」
思わずぼくは、大声を出した。
「あるよ! 慕ってるぼく自身があると言うんだから、それが間違いであるはずがない!」
「そうかの? じゃが悲しいかな、わし自身がどうしてもそうは思えぬのじゃがのう」
「キミがそう思わなくても、構わないんじゃないか? だってぼくがキミを世界で最高のヒトだと思っているんだから。ぼくは君のためなら何でもする。……疑うなら、ぼくに願い事をしてみてよ。どんなことでもいい。空の星を取って来いと言うなら、いくつでもとってきてあげる!」
おかしそうにアウナは腹を抱えて笑った。
「何とも剛毅なことよ! いやすまぬ、決してバカにしておるのではないぞ? おぬしの意気の大きさに感じ入ったまで。大したものじゃ」
ぼくはほっとして体の力を抜いた。
少しは機嫌を直してくれたのかな。きっとぼくを試したんだろう。
それはそうだ。アウナにはそうする権利がある。
だってぼくは、アウナを大事な時に裏切ってしまったんだから……。
一度くらい、口先で謝られたって許せるはずがない。ひょっとすると本当に無理難題を吹っかけてくるかもしれない。
でも平気だ。なんなら、いっそここで死んで見せてもかまわない。
それが償いになるのなら……なんだってやるさ!
なかなか笑いがおさまらないらしく、アウナはくすくすと鈴の音のような笑い声とともに、ぼくに尋ねた。
「何でもすると言ったな。その言葉は、まことか?」
ぼくは勢い込んで答えた。
「ああ! 何でも言ってくれ。欲しいなら、ぼくの命だって差し出そうじゃないか!」
またもアウナは爆笑した。
「おぬしの命、とな! これはまた、とてつもないことを言う……しかし、これはシンクロニシティなのかもしれぬな。わしとおぬしの……」
息を荒げながら、アウナは目じりに溜まった涙を指先ですくいとった。
深呼吸をするように、長々と息を吐く。
表情は柔らかいが、どこか覚悟を決めたように毅然とした顔をぼくへとまっすぐ向けた。
「よろしい……それではわしの願いを伝えよう。聞いた以上は、必ず成し遂げてもらうぞ? よいかのう?」
「うん。大丈夫」
ぼくはにわかに緊張し、畏れるようにアウナへ視線を送る。
アウナは莞爾としてほほ笑んだ。
「いますぐ、わしを殺してもらおうか」




