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 もはや問答は無用だ。

 一直線に、”虹のかなた”に斬りかかった。

 奴の持つ魔剣が放つ七色の光芒が目を射る。

 全身を引き絞った弓のようにそらせ、大地よ砕けよとばかりに刀身を叩きつけた。

 が、真っ二つになったのはぼくの肉体だった。

 すさまじい衝撃が全身に走り、ただならないことが自分に起こってしまったことだけがハッキリと分かった。

 ほとんど反射的に時間軸をさかのぼる。

 一瞬前の肉体に戻ったぼくは、恐怖の汗で体をびっしょりと濡らしていた。体の震えが止まらない。おぼつかない脚を叱咤し、必死に後じさる。

 ”虹のかなた”と距離を取ったはずなのに、奴はぼくの背後に肉薄していた。

 ぼくの腹部から切っ先が突き出した。

 再び、体中をショックが引き裂く。

 色とりどりにきらめく剣を見下ろしながら、ぼくは地面に身を投げる。

 かろうじて刀身は胴体から抜けた。

 傷から内臓が盛り上がる。耐えることすらできそうにない、とてつもない痛覚が肉体を内から縛る。

 強烈なあせりがどうにかぼくを突き動かした。

 何とか時間軸の遡行は間に合った。致命傷を負う前の体を取り戻す。

 地を這うぼくは、襲い掛かられることにおびえ、やみくもに剣を振り回した。

 が、”虹のかなた”が繰り出した長剣は、その合間を縫って、ぼくの体に到達した。

 ”超臨界速”が、さらに加速した。

 きわどいタイミングで、敵の攻撃をかわす。

 力任せに、相手の剣を打ち払った。

 長い刀がそれた瞬間、その柄を握る手を狙う。

 かすり傷でも致命傷と化す”死の種子”で、”虹のかなた”の指先にでも触れてやるつもりだった。

 しかし、剣先は虚しく宙を泳いだ。

 ぼくを超えるスピードで動いたのか?

 それにしては、空気の動きが全く感じられない。通常、ぼくほどの高速で動いたなら、小さなソニックブームが起きているはずだ。なのに、奴の動いた後には、そうした痕跡が全くない。

 まるで、もともとそこにはいなかったかのように。

 そして……。

 ”虹のかなた”から放たれる攻撃は、常にぼくを的確にとらえる。

 水平に円を描いた奴の剣は、ぼくの首の下を通過した。

 視界が混然一体となって流れてゆく。

 何が起きたのか分からない。

 視界が真っ赤に染まり……、急速にもうろうとかすんでゆく意識の隅で、ぼくは頭部がなくなったぼくの体を見上げていた。

 首が飛んだ!

 飛んでしまった、ぼくの首が……信じられない、こんなになってもまだ少しだけ生きている!

 だが、たちまち霞がかかる脳裏の中で、すでになんどもやり続けた結果、条件反射と化した時間軸遡行により、ぼくは五体満足のまま、ごろりと地に横たわっていた。

 冗談みたいな状況だったな……。

 などと反芻している暇もなく、”虹のかなた”の攻撃に容赦はない。

 瞬く間にぼくの体へと、虹の刀身が迫る。

 まただ!

 よけようとした方向へ、切っ先が待ち構えている。

 あえなく肉体に損傷を受ける。

 今度は、残った腕が切り落とされてしまった。

 だが、これでもうまくかわしたほうだった。はじめは頭を串刺しにされそうになったんだから。鼻先にまばゆい閃光をまとった剣が突きつけられたときに、超加速でどうにか逃げのびたんだけど……。

 くそっ! 体に致命傷を受けた時に受けるこの恐怖と電流のような感覚は、どうにかならないのか!

 失った腕を取り戻し、慌てふためきつつ逃げまわる。

 なんだってんだ、ぼくの行動が完全に読まれている。

 いや、そういうのとも少し違うな……奴はいつの間にか、有利な場所へと移動している。

 瞬間移動なのか? それにしては、あいつの移動先はそつがなさすぎる。

 こちらが攻撃、あるいは防御したと思ったら、”虹のかなた”は瞬間移動する。そして、ぼくの攻撃や防御を難なくすり抜ける。

 すべてに無駄がなさすぎる。

 こっちが何とか攻撃をかわしているのは、危機に瀕して超加速がさらにスピードを増したからでしかない。

 つまるところ、一方的に追い込まれているだけだ。そして行き着く先は……。

 ほら、まただ!

 ぼくの逃げる方向へ、瞬間移動、そして、当たり前のように虹色の剣がぼくの腹部をえぐり、ぼくは悪夢のような苦痛に打ちのめされる!

 もう、限界だ。

 惨めに床をはいずりまわり、ぼくはまた殺されることにおびえる一匹の虫だ。

 生をあきらめるまで、ぼくは死の苦痛に浸される。何度も何度も。

 しかし、そうまでして執着するものだろうか、ぼくの命は。

 どうでもいいじゃないか、いまさら……生きてみたって、苦しいだけなのに。

 いっそ、もう、死んじゃえば?

 そう決めた途端、奇妙なことに気付いた。

 ”虹のかなた”が瞬間移動する刹那、奴の武器にくるめく七色の光が、その輝きの模様を唐突に変えている。

 刻々と位置を変える光の場所は、内部に血管があるかのように流れているのにもかかわらず、その瞬間だけ、光の渦動が断絶する。

 ひょっとすると……奴の時間軸は、瞬間移動の前と後で、途切れている?

 違うな。その間、奴の時間は流れているが、こちらからは見えないんだ。

 ということは、奴は、”虹の門”の時間軸をさかのぼっているのではないか?

 だから、ぼくの攻撃を簡単にかわせるし、防御もかいくぐれる。

 奴はすでに一度、ぼくの動作を見ているんだ。

 しかるのちに、有利な場所へと移動し、的確な対応をするわけだ。

 要するに、世界の時間軸を、遡行する……つまり、過去へと戻ることができるんだな、”虹のかなた”は!

 納得しては見るものの、それをぼくができるのか?

 ”虹の門”の時間軸をとらえ、過去へとさかのぼることは、まず時間軸を認識できなければならない。

 それは、できないでもない。

 ヴェルメーリの”警報空間”や、超高速だって、そもそも世界の時間流を感知しなければできない芸当だ。

 だが、さかのぼるだけの、エネルギー、パワーがない。

 時の流れという崖を転げ落ちてゆく岩塊のような肉体を、わずかにその落下速度を遅くしているのが、超加速の基本的な原理だ。崖をあがってゆくには、途方もない動力が必要だった。

 その力を”虹のかなた”、あの七色の長剣はもたらすのだろう。

 ぼくに望みはない……。

 手をこまねいているうちに、虹の魔剣がぼくの肩をざっくりと割った。

 ”虹のかなた”はいつものように悠然とぼくに近寄り、必中の距離から致命的な一撃を放ったのだ。

 震える肉の間に、冷たい刀身が埋もれてゆく。

 体を巡るありとあらゆる神経が、絶対的な危機に瀕して戦慄する。

 痙攣じみた震えが何度も体内を駆け抜け、四肢の動きを異形の踊りへと捻じ曲げてゆく。

 だが、幸運だった。

 ぼくの腕は、苦悶による抵抗を打ち破り、わずかにぼくのいうことをきいてくれた。

 いっぱいに伸ばした腕が、”虹のかなた”の手を、そしてその手が握っている柄に触れた。

 その瞬間、ぼくの体はまるで羽のように軽くなった気がした。

 流れる世界の時間がたてる音が、耳を圧する。

 これまでわずかに揺らめいていた青や赤の明かりは、いまや確固たる輪郭を持って眼前に立ち現れた。

 いや、かつておこぼれにあずかろうと、ぼくがほそぼそと踏み歩いていた光は、ぼくを中心にいかようにも姿を変える従僕となっていた。

 ぼくは”虹のかなた”が体に食い込む直前まで、時間をさかのぼった。

 傷を修復する。

 あっけにとられたようすで、”虹のかなた”、ぼくと瓜二つの敵はぼくに目をやった。

 「なに勝手なことしてんだよ……人の魔剣を使いやがって……」

 言い終えるや否や、奴の体はどす黒く変色し始める。”死の種子”がかすり傷をつけていた。

 ぼくは”虹のかなた”の柄を、奴の手ごと握りしめていた。

 「これで、お前の手品は無意味になったな。もう一人だけ時間を戻すことはできなくなったんだから、お互い時間をさかのぼり続けるしかない」

 奴の体は、瞬時に、元の白い肌を取り戻す。忌々しげにつぶやいた。

 「もう少し、決定的なまでに長い時間をさかのぼることができれば、お前なんか、簡単に倒せてたんだがな……どうにも、”龍脈”が一つしか開いてないのがまずかった」

 塔の振動がおさまった。

 ”龍脈”の光が消えてゆく。

 同時に、”虹のかなた”の光も衰弱し始めた。

 奴の顔がひきつった。

 くるりと長い刃が、回転する。”虹のかなた”の腕が切断され、ぼくの手にぶら下がった。魔剣が床に落ちた。

 仰天するぼくを尻目に、”虹のかなた”は身をひるがえした。

 脱兎のごとく、駆け去ってゆく。

 追いかける気力もなく、ぼくはその場に座り込んだ。

 激しい緊張が解け、どっと疲労が細胞レベルで体にしみこんでいるかのようだ。

 光を失い、床に横たわる魔剣に目をやる。

 力を失ってしまえば、エンカラが持っていた、一般的な武器でしかない。

 何となく手に取ろうとした途端、剣そのものが消失した。

 目を疑っている暇もなく、”龍脈”が輝き始めた。あたかも、それは初めから稼働していたかのようだ。

 しまった!

 ”虹のかなた”は、たんに魔剣の名前じゃない。あいつの名でもある。今、奴は、単独で”虹の門”の時間をさかのぼっているんだ。そして、過去を改変し始めている。

 消えた魔剣の形骸、誰も触れないのに稼働を始める”龍脈”、他にも、急変したものが数知れずあるに違いない。

 すぐに時間をさかのぼって、奴を止めないと、ぼくまで過去改変によって消え去ることになる。

 なんて奴だ……”虹のかなた”とはよくも言った。

 ”虹の門”をその足の下に置き、操る神だと僭称しているんだな。

 こうなったらとことんあいつの邪魔をしてやる、どうせぼくには他に何もすることはないんだ。

 だが、待てよ。

 時間をさかのぼり、過去を改変することで未来を変えることができるなら……。

 どきりと心臓が高鳴る。

 永いこと忘れていた奇妙なくすぐったさが、腹の底から湧き上がってきた。

 視界が明るく輝き、重く立ち込めている暗闇が、かき消えてゆく。体が重さを捨てたように、足取りは軽く、すばしこくなった。

 これは、希望だ。

 後生、大事にしようと思い決めた絶望のかわりに、その座を希望がとってかわっていた。

 ぼくはこう考えていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 過去をやりなおせるなら、アウナの死を無かったことにできるじゃないか!

 

 

 

 

 

 

 

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