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なんだか、トゲでも呑み込んだような気分だ。釈然としない。
しかし、余計な争いを止めるという判断は間違ってはいないはずだ。そして、これからぼくを待っているのは、楽しいことばかりだ。
ふと、冷たい風が首筋を撫で上げるように感じた。
何かうっかりと失念してしまっているような気がする。
ぼくは自分なりに考えたつもりだ。大して頭がよくないから、考えが浅はかな部分はあると思うけど、考慮に入れることを忘れているようなことがあっただろうか?
自分なりに……ぼく自身は……ぼくは……。
ようやくぼくは気づいた。
自分の考えばかりで頭をいっぱいにして、アウナがどう思っているかを知らない!
なんとしてもアウナに”虹の門”の存亡についてどのように考えているかを聞かなければ。
しかし、今ぼくからはアウナの姿は見えない。
破砕された岩の破片に押し倒された格好のぼくには、見える範囲が限られているうえに、倒れた時にアウナはどこかに投げ出されたままになってしまっていた。けがをしているのかもわからない。
しかも、ノトゥが目の前にいるのに、やたらとアウナに声をかけるのもためらわれる。
もし、アウナに質問でもして、アウナが”虹の門”を守るために戦いを継続することに賛同するような発言をしたなら、ノトゥはアウナを攻撃するだろう。魔剣、”絶対燃度”を持っているアウナがそうそう簡単に負けるとは思わないが、なるべくならアウナを危険にさらしたくはない。
しかし、彼女の意見なしでは、”虹の門”をどうするか決めることは、ぼくにはムリだ。
だがアウナの答えをのんきに確認している暇もない。どうすればいい?
ぼくは必死に知恵を絞る。
ふと、始めてアウナと顔を合わせた時の光景を思い出した。
あのとき、アウナはたった一人でぼくと、その軍勢に向かい合っていた。
どうしてそんな無謀なことを? とぼくは不思議だった。
アウナはなんといったんだったろうか……?
『わしとそなただけが戦えばよいではないか』
そう。そう言った。いままで、気位の高さや自恃の念が強いことからくる発言かと思っていた。しかし、それは違うのではないだろうか。確かにアウナはプライドは高いけど、かといって自我を周囲に押し付けることは全くやらない。仮に、自分ひとりで戦いたいと思ってはいても、それをみだりにぼくに強要するだろうか。そこのところがどうもしっくりこない。
だが、今ようやく真意がわかった。
アウナは、自分の部下の誰一人として戦いに巻き込みたくなかったんだ。
荒野で一人でぽつねんと立ち尽くしていたのは、彼女の優しさだった。
そうだ、間違いない!
もし自分がアウナの立場なら、”虹の門”が故郷なら?
きっと、ここがなくなるのをとても残念に思ったに違いない。なぜなら、ぼくは現実にいるときはゲーム浸りで、ここにいるときは普段の生活に焦がれていたじゃないか。ここがなくなるのは、絶対にいやだ。
ぼくは自分の考えをほとんど確信していた。
しかし、もうひと押し、それもアウナの意志をはっきりと知りたかった。
アウナ……ぼくを先導してくれ、頼む……。
「どうした? いきなり黙っちまって、調子でも悪いのか」
なんとなくなぶるような目つきで、ノトゥはぼくを見下ろす。
ぼくは苦しまぎれに答えた。
「いや、そうじゃない。まだ決心がつかないだけだよ」
「往生際が悪いな! さっさとしないと日が暮れちまうぞ。ここでいつまでも立ってるわけにもいかないんだ。なんだったら、話はあとでじっくり聞いてやるから、とりあえず剣をしまえ。仲間にも武器をしまうように言い聞かせろ」
ぼくはうつむいた。じっと押し黙る。
焦れたようすでノトゥは言った。
「結局、戦い続けるのか? 別にこっちは構わないぞ」
切迫した声音が、ぼくとノトゥの間に割り込む。
「アーツェル様! ぜひノトゥの言うことを聞き入れてください!」
なんだ? 誰がぼくにこんな不思議なことを言うんだろう?
驚いたぼくが声のほうに首をねじると、ラランニャが見えた。すでに武装を解除されているのか、戦意を失っているのか、ノトゥのそっくりさんのそばでひざまずいている。
ラランニャは必死の形相で口を丸く開いた。悲鳴のような叫びがほとばしる。
「現実あなたは、生き返ることができるんです! こんなすばらしい奇跡がありますか? わたしたちのキャラクターが存在することが、たった一つ残されたチャンスなんですよ。これを無駄にしないでください」
ラランニャはいつもぼくのことをフォローしてくれる。今だって、きっとぼくのことを考えてくれているんだろう。
でも、ぼくが助かるだけじゃダメなんだ。
とっさに、ぼくはラランニャから顔をそむけてしまった。追いかけるように、ラランニャの声が耳に飛び込んでくる。
「アーツェル様! お願いします! わたしたちを救ってください!」
ぼくの一存でラランニャが助かるわけじゃない、カナみたいに自分で降参すればいいんだ。去る者を追うつもりはないから、好きにしてくれればいいのに。ぼくはぼくだけのために戦っているんだ。誰かを守るだとか、守られるだとか、そんなことをしている気は今まで少しもないんだ。
なのに、ぼくの決意はたちまちぐらつき始めた。
アウナ、アウナ! 弱いぼくを導いてくれ……。
ぼくの脚を押しひしぐ巨岩が、きしんだ。小石がパラパラと地面に落ちる。
若干、重みがやわらいだ。
何かやわらかいものがぼくの脚に触れる。
ほんの一瞬だったが、それは人肌の感触に間違いない。
岩が、ほんのわずかに傾いだ。岩の位置が動くたびに、体にかかる重みは、ほんのわずかだけど、減少してゆく。
すぐにわかった。
これはアウナの仕業だということが。
おそらく、そっと岩に近づき、ノトゥにばれないように動かしているのだろう。
今、ぼくが自由に動けるようになる、ということは戦闘を再開するということに他ならない。このまま降伏するなら、今すぐ動けるようになる必要はあるまい。
ぼくは完全に理解した。
アウナは、”虹の門”を守ろうとしている!
戦ってくれとぼくに伝えているんだ!
……なら、ぼくに拒否する理由は何一つない。
ノトゥが、黙りこくるぼくに答えを促した。
「ああまで、仲間に言われてるんだ。そろそろみんなを解放してやれよ。きっと感謝されるぞ。だが、このまま反抗し続けていたら、きっとお前だけでなく全員が、不幸への道をたどるだろうな」
「そうかもしれないね。ぼくだっていざこざなんて、口げんかでもいやだよ」
「だろう? じゃあ、そろそろ引き上げようか。早く戻って、リラックスしたいもんだ」
すでに気が抜けた様子のノトゥへ、ぼくは警告する。
「それは後にすればいい。ぼくはあきらめるなんて何一つ言ってないぞ」
驚きと怒りの混じった表情で、ノトゥはぼくを見た。
ノトゥの険しい顔に怖気づきながら、ぼくはどもらないように懸命に言葉を継いだ。
「”虹の門”を保存できないのなら、交渉決裂だ。ぼくは戦闘を継続する」
「ふざけるな! 仲間はどうする?」
「別行動をとる。あくまで君たちに戦いを挑んでいるのは、ぼくだ。ラランニャやカナ、エンカラは彼らの好きにすればいい。でも、ぼくとは関係ない」
「そうはいかないな。奴らは”青ざめた死”の部下なんだぞ。だったらお前が我々に対抗するなら、奴らも敵対していると見ざるを得ない」
「何を言ってるんだ? わからない奴だな。戦うのはぼくだけで十分だ。ぼくは、ぼくだけは君たちに従うつもりはない」
「じゃあ、どうするんだ? 今の状況から、強がる以外のことの何ができる?」
ノトゥがあざ笑う。
ぼくの頭上には、空中に浮いた岩が並び、脚には大岩がのしかかって動きを封じている。まさに絶体絶命だ。
でも、ノトゥは知らない。
ぼくにはひそかに味方が一人いる。
そして、足元の障害がいまや何とかぼくにもはねのけられそうなほどにまで軽減されつつあることを。
「不利だろうが、ぼくは絶対に降伏はしない。悪いけど、始めるよ」
ぼくは満を持して、宣戦を布告した。




