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ぼくは実に間の抜けた顔をしていたに違いない。
ノトゥの、中年男がマニュアル通りに作ったような胡散臭い笑顔を、ぽかんと見上げていた。
ためらいながら、しかし、口に出さずにはいられなかった。
「現実の世界に帰れるだって」
鼻で笑い、ノトゥは答える。
「何度も聞くなよ。嘘はつかない」
ぼくは横目でカナを見た。ノトゥそのものの敵に圧倒されたように、さっきまでおびえた雰囲気をまとっていたカナの目つきに精気が蘇っていた。
批判するように表情を硬くしたノトゥは、呆れた口調で言った。
「なんだ、お前は仲間に気を使っていたのか? だから高速移動を使わなかったのか」
嘲りに怒りが沸いたが、ノトゥの指摘は残念ながら間違っていた。不意を突かれて使えなかっただけだ。特殊能力は使用する前に多少の心構えというか、準備が必要なんだ。情けない話だけど。
それはともかく、カナは必死の形相で叫び声のような声で話し始めた。
「じゃあ、あたしも元に戻れるの?」
カナのそばに立っているノトゥそっくりの男が言う。
「あ~、もどれるよ~、特にあんたさんはな~んも、手間なく復帰できるよ~」
「本当に? ほんとのほんとに?」
カナは狂喜していた。胸元で組んだ両手を絞り上げるように握りしめている。
泣き出しそうに口元をゆがめていた。
ふと何かが引っ掛かった。ぼくは疑問を口にする。
「ぼくたちは、長期間ログインしていないユーザーのキャラクターだと言ったな? なら、ユーザーは現実に存在するってことだろ。なのに、ぼくたちがユーザーに戻ることができるわけないじゃないか」
「ほ、おりこうさんだ」
別のノトゥがからかうように言った。
ぼくの前にたちはだかるノトゥが説明する。
「普通はそうだ。しかし、お前たちについてはその心配はない」
「どういうことだ? まだなにかぼくたちの知らないことがあるっていうのか」
「それはな、お前たちのプレイヤーは、すでに全員死亡しているからさ」
……なんというか、あまりに実感に欠ける事実を突き付けられても、それを到底信じる気にはなれない。
つかの間の空白ののち、ばかばかしいという虚無感と、冗談にしても笑えない与太話をされたことにいらだちすら覚える。
岩と地面の間に挟まれ、起き上がれない無様な体勢ながら、ぼくは精いっぱいの軽蔑を込めて吐き捨てた。
「そんなめちゃくちゃなウソを信じるわけないだろう。ぼくは、少なくとも死んだ覚えなんか一度もないぞ」
「そりゃそうさ。お前は死んでいないんだから。死んだのはお前を作ったユーザーさ。お前とユーザーは別物、別個で存在するものなんだからな」
「別個というのがよくわからない。それなら、キャラからユーザーになれる理由が見いだせない」
「つまりな、ヴェルメーリがどこまで説明したかはわからんが……”虹の門”をプレイするために作られたキャラクターってのは実は人間を模した生物だというのは知ってるか?」
「ああ……そんな話は聞いたよ。物体を送る費用が掛かるから、生物を遠隔操作してるんだってな」
「そうだが、正確には少し違うんだよ。遠隔操作は建前で、実はリアルタイムで操作しているわけではない。キャラメイク時とログイン時にユーザーの情報を転送し、後はキャラクターの行動をトレースしてユーザーに送信しているだけだ」
「そんなことしたら、キャラはただのでくの棒になるじゃないか。それか、NPCみたいに自分が操作できないキャラを傍観してるだけになってしまうだろ? これまでのプレイ中にキャラクターを動かせないなんてことは、なかったぞ」
「それは錯覚さ。ほんとうは、ユーザーがリアルタイムに行っている操作は、キャラには届いていない。キャラクターは自分の判断であたかもユーザーであるかのように自律行動するんだ。ユーザーは自分で操作しているように思っているが、実際はキャラクターの行動を傍観しているだけ」
「ユーザーの操作とキャラの行動が食い違ったらどうするんだい。そんなこといくらでもありそうな気がするけど」
「それはほとんどない。キャラメイクして間もないうち、およそ36000秒までは1%の確率で齟齬が発生するリスクがあることは確認されているが、それ以降は0.01%にまで抑えることができている。それだけ、現在のビッグデータ解析によるユーザーの分析と行動予測の精度は高まっているのだよ」
「それが仮に本当だとしても、なんでわざわざそんなややこしいことをするんだ? データ転送は問題なくできるんだから、リアルタイム操作でいいじゃないか」
「タイムラグの問題だな。やはりいまの超光速通信では、双方向だと数ナノセコンドレベルの遅延は免れない。それにもう一つ。ログアウト時にキャラが動かせない、という問題も発生する」
「それは、セーブポイントへ移動するんだから、そこで停止するなりすればいいんじゃないか。セーブは基地とかキャンプとかの安全圏でないとできないルールになってるわけだし」
「安全圏でのセーブは、コストのかかってるキャラをユーザーに大事に扱ってもらうためと、キャラクターにユーザーの個人情報を保存しているというシステムを隠ぺいするためだ」
「寝オチしたら、”モンスター”に襲われてキャラロストするだろ。あれはなんなんだ?」
「ユーザーから長時間の未入力状態を検出すると、ユーザーに対してキャラの死亡通知が送信され、キャラクターとの関係は破棄される。これをフリー状態ってわれわれは呼んでるがな。その後、キャラクターは自律行動を続けることになる」
「わからないな。何のためにそんなおかしなことをするんだよ」
「”虹の門”はゲームを装っているが、ゲームじゃないんだ。戦争なんだよ、原住生物とのな。キャラ一体作るのにどれだけの費用がかかってると思ってるんだ。それを気安く使い捨てるわけにはいかないからな。だから有効活用しているのさ。ついでに言っとくと、わたしやヴェルメーリが引き連れてきた兵隊、あれはみんなフリー状態になったキャラだ。だから、地球との通信一切が途絶した現状でも、動けているわけだ」
「一斉ログアウトしたとき、ぼくの軍隊はみんな気絶した。あれはどうしてだ? すぐに自律行動できなかったのはなぜだ。自律行動できるんなら、”モンスター”に食われずに済んだのに……」
「フリー状態に遷移するにはおよそ10800秒の未入力状態が必要だ。彼らは至近距離に”モンスター”の群れがいたのが不運だったな。たいてい、未入力状態から無事にフリーになれる確率は70%だ。あとはたいてい死亡するが、まずまずの生存率だとわれわれは判断した。あくまでゲームを装って地球でパニックを起こさないというのも、重要なタスクだからだ」
「じゃあ、ぼくたちは一体なんなんだ?」
「ユーザーのコピーだよ。肉体は”虹の門”探索用の生物だが、中身はヴァーチャルデバイスから手に入る限りのユーザー情報が詰まっている、ユーザーの精密なコピーだ」
「コピー……ニセモノってことか」
「そういう意味じゃない。もう一人のユーザーということだ」
「だから……そうか、わかったよ。ユーザーのバックアップにもなれるということだな? だからぼくたちの情報を本物の人間に転送すれば、それは紛れもなく、ユーザーそのものを再現できる、ということなんだな」
「ビンゴ! こんなこと、世間に公表できるかね? 技術的にはクローンを作ることなどとっくの昔に可能なんだ。だが、現行の社会を混乱させるから、禁止されている。その禁止された技術が堂々とここでは使われているのだから」
ノトゥは気取った身振りでぼくを指さした。
ビンゴ! じゃないよ……。
それはともかく。
……本当に一人の人間の性格や思考、そして記憶をすべて外部記憶に保存することが可能なのか……?
それは、恐怖だった。
ぼくという人間が、これまで生きてきた十数年という年月を費やして培われた存在が、電子ファイルのテキストであるかのようにコピペできてしまうなんて、自分自身が薄っぺらくなってしまったように感じてしまう。
”虹の門”の開発や運営ってのは、一体なんてことをしてるんだ。あからさまな違法行為が裏ではまかり通っているなんて、信じられない。
とはいえ、違法についてはぼくにとってはどうでもいいことだ。ぼくだって、自分のキャラクターを違法改造しているわけだし。
だが、運営のやっていることは、人間をまるでカードゲームのカードのように勝手に集めて、コマのように使っている。しかも、こいつらは、地球のためだなんだと言ってるけど、結局は”虹の門”を吹き飛ばしてしまうことしかしようとしない。
ぼくのなかに、ぬぐい難い嫌悪が満ちていた。
なのに、こいつらの手を借りないと以前の平和な生活を取り戻すことができないのか。
屈辱に沈んでいるぼくに、声がつきささる。
カナだ。
「じゃあ、早く戻して! もうこんな退屈な場所にはうんざり! 買い物もできないし、おいしいものも食べられない、しゃべれる相手もいない、こんな場所、もうイヤだよ! 早く現実に戻りたい!」
よくもまあ、言ってくれるじゃないか。ぼくはここがすごく気に入っていたってのにさ。
なのに、現実世界に戻りたいのか。どうしてだろう、現実にいたら、ゲームの世界に入り浸り、ここでは現実を懐かしむ……結局、自分が今いる場所そのものが嫌いなだけじゃないのか? ただの天邪鬼ってだけなのか、ぼくは。
ノトゥはカナに答える。
「いいだろう。カー・ナ・フォス。現実での君は、一週間前に事故で死んでいるね。薬物の過剰摂取ということだ。もう一度やりなおしたいわけだが、大丈夫かね?」
カナはショックを受けた様子で、表情を硬くした。
「そうなんだ……。でも、なんとなくわかるよ。あたし、このところどん底だったから。でもここに閉じ込められて、もう一度元の世界が恋しくなったの。もう一度、現実でがんばりたいって、本当に自分の生活が好きだったんだなって気が付いたんだから」
カナ……。なんだかいい話だな。きみはきみでがんばってほしい。でもぼくは、そんなにまでも元の生活とやらを取り戻したいと願っているのだろうか?
「簡単なことだ。もう、無駄なことはやめて、地球に帰ろうじゃないか」
ノトゥが言う。
ぼくは罪悪感を抱きながら、歯切れ悪く答える。
「それはいいんだけど……でも”虹の門”は」
「地球に戻るんだから、あろうがなかろうが関係ないだろ」
「そんなことはない。またきっと、この世界をのぞきたくなるよ」
「似たようなゲームを開発中だ。いきなりサービス停止ってのもおかしいからな。そっちをやれよ」
「ゲーム、か。アウナも地球に連れて行っていいかい?」
「願ってもないことだ。研究対象としては申し分ない」
なんだ。ぼくは今まで一体何のために争っていたというんだ。
元の世界に戻れて、”虹の門”のゲームもプレイできて、アウナも救えて……もう何の不満もないじゃないか。
ここで、もうやめてもいいのかもしれない。いや、やめるべきだ。だって、ぼくの行動は周りを引っ掻き回しているだけだから。
なら……もう、終わりにしよう。




