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 驚愕を覚えるいとまもなかった。

 全く考えもしていなかった言葉を投げつけられたぼくの頭は、何の思考も浮かばないまま、空白になった。

 気付けば、まったく唐突に、ノトゥが肉薄していた。

 いや、ノトゥの嘘か本当かわからない話に気を取られた隙をつかれたのだ。

 ぼくの体は見えない手にすっぽりと掴まれ、空中を滑っていた。

 ノトゥは腰のさやから剣を引き抜いた。

 光を全く反射しない黒い刀身があらわになる。

 切っ先がぼくに迫った。

 だめだ!……よけきれない……。

 ノトゥの黒い魔剣の禍々しい姿が、ぼくを飲み込むように視界いっぱいに広がった。

 次に到来する恐怖にただすくみあがるぼくを、鋭い一喝が貫く。

 「詭弁にまどわされるでない!」

 ぼくを見ていたノトゥの冷厳な面差しが、驚愕にゆがんだ。身をひるがえし、地面に転がる。

 金色の光がぼくの前へと躍り出る。アウナだった。

 ノトゥへ向かって、赤みを帯びた刀身と突きつけていた。ヴェルメーリから奪った戦利品、”絶対燃度”だ。

 暗い影じみたノトゥの衣服が、煙を立ち昇らせた。”絶対燃度”の点火能力を浴びた個所が、燃え上がる。

 黒い刀身が猛然と空を薙いだ。同時に、アウナの小さな体が見えない手に殴りつけられたかのように吹っ飛ぶ。すぐ後ろにいたぼくの腕の中に飛び込んできた。

 ノトゥの全身にまとわりついた炎は、力なく瞬いて消えた。

 苛立った様子でノトゥは吐き捨てる。

 「ザコに魔剣を持たせるとは、どうかしてるな。しょせん、お前たちはやっぱり”モンスター”と同類のゲームキャラクターだよ。似た者同士だから、敵味方の区別がつかないと来てるわけだ」

 ノトゥの体が、つかのま、複数の画像を乱雑に重ねたかのごとくぶれた。

 次の瞬間、何の前触れもなく、ぼくの背後に土を踏む足音が聞こえる。

 ぼくは本能的にアウナを抱えたまま、地面へ転がった。

 唐突に後方へ出現したのは、ノトゥだった。

 距離を置こうとするぼくを、またしても見えない力が補足した。

 ぼくの体はなすすべもなく、ノトゥへと引き寄せられる。

 ノトゥの魔剣”暗黒星”は重力を操ると聞いたことがある。身をもって体験するのはこの日が初めてだったが、聞きしに勝るやっかいな能力だった。

 もはや接近戦は回避できそうにない。

 ぼくは剣を抜き放った。

 その時、周囲の異常にようやく気が付いた。

 ラランニャ、エンカラ、カナ、それぞれに何者かと対峙している。敵の姿は、ノトゥと酷似していた。いや、ノトゥそのものにしか見えない。

 彼らは同じ魔剣を持ち、同じ服装に身を包んでいる。

 そして、ぼくの前にも全く同じ姿のノトゥが存在していた。

 一瞬前までは存在しなかった人間が、突如としてぼくたちを襲撃しているこの奇怪な状況に、ぼくは頭がおかしくなりそうだった。

 整合性の取れない状態によって生じる過度の重圧に翻弄され、ぼくはやみくもに剣を振るった。

 鋭い音が鳴り響き、派手な火花が散った。

 ノトゥは意外にも巧妙な剣の使い手だった。

 力任せに振り回すぼくの剣を巧みに弾き、黒い剣の切っ先をぼくの腹部に潜り込ませてくる。

 金属音とともに、ぼくは後ろへ突き飛ばされた。

 よろめく足を踏みしめ、なんとか転倒を避ける。

 ノトゥの致命的な一撃をアウナが防御してくれた。ぼくはノトゥから距離を取り、仲間に視線を走らせた。

 ラランニャと敵は睨み合っている。

 エンカラは果敢に攻撃を仕掛けている。

 カナは抵抗する気力を失ったように、しゃがみ込んでいた。

 「カナ! 無事か?」

 ぼくはカナの方向へじりじりと近づいた。重ねて声をかける。

 「逃げるんだ! そいつはぼくが何とかするから」

 困惑した面持ちのカナは、こちらをちらりと一瞥する。

 「来ないで!」

 カナは叫んだ。

 ぼくは思わず足を止めた。

 「あたしは、もう、頭がぐちゃぐちゃで……」

 髪を振り乱し、カナは頭を振った。

 「待っててくれ! なんとかするよ」

 ノトゥとの間合いに神経をとがらせつつ、ぼくはなるべく優しげな声をかける。

 「ムリ! あなたはどうして平気なの? あなただって」

 「よせ! つまらぬことで頭を悩ます時ではない!」

 アウナが声を張り上げる。

 しかし、カナはアウナの言葉には全く耳を貸す様子はない。

 「カナ! 君だけが驚いているわけじゃないんだ。今はそんなことにこだわっている場合じゃない。わからないのかい?」

 ノトゥがほくそえんだ。

 「そうだろう。お前も気になってるんじゃないか。だったら、この場にいる皆さんに真相をお伝えしようじゃないか」

 ぼくはノトゥを睨み付けた。

 「真相なんか知ったところで、ぼくたちが君に降参するとでも? それに、君の言うことが真実かどうかなんてわかりようがない」

 「信じたくなければ信じなくても結構。だが、聞くだけなら別にかまわんだろう? 聞かないうちから嘘か本当かなんて判断しようもあるまい。むしろ、ここで大事なことを聞きのがすほうが損だと思うがね」

 「好きにすればいい。だが、ぼくはあくまで”虹の門”を保護するための交渉をすることはあきらめないからな」

 苦笑をもらし、ノトゥは答える。

 「いいだろう。では、先ほどの話を続けよう。どうせ、お前以外は無力化したも同然だからな」

 「口先で丸め込もうって魂胆か?」

 「まあ、とにかく聞くだけ聞いてくれ。さっきの話だが、覚えているよな」

 「ぼくが……いや、ぼくたちがゲームのキャラクターだってことかい?」

 「そうだ」

 「そんなことが、信じられるわけがない。第一、ぼくは自分がゲームを始める前の記憶だって持ってる。それに、ゲームを中断してた時に友達と遊んだ覚えだってあるんだから。君の言ってることはいいかげんなウソだ」

 夢中になって言い募るぼくを、ノトゥは笑い飛ばした。

 「なるほど。それは大した理由だな。じゃあ聞くが、お前が最後にゲームを中断したのは、いつだ?」

 興奮で熱した頭は、考え事に向いていない。ぼくは千々に乱れる考えを何とかまとめようと、両目を閉じた。

 まぶたの裏に広がる赤い闇の中で、ようやく答えを見つける。

 「一週間前だ。バレンタインデーのイブだったから、二月十三日さ。それがいったいどうしたっていうんだ」

 勝ち誇って叫ぶ。

 しかし、ノトゥはいっそう愉快気に顔を紅潮させている。

 「そりゃ結構。しかし、今の季節は一体、二月にふさわしいものか?」

 その時、ぼくは言いようのない不安感に包まれた。

 ぎくりと心臓が音を立てた。これまで全く気が付かなかったことが、まるで”宝箱モンスター”のように、底に閉じ込められていた箱のカギが外れ、いきなり外に飛び出してきた。

 寒くもなく、暑くもなく、快適な乾いた空気に包まれた今は、典型的な初秋の午前中だった。

 ……そう、初秋だった。

 拡張知覚のウィンドウを視界に引っ張り出し、カレンダーを確認する。

 今日は、十月の半ばだ。

 わざわざ確かめなくとも、知っていた。でも……そういえば、最後にログインしたのって本当に一週間前だったのだろうか?

 何か勘違いしているはずだ。必死に二月以降の記憶をたぐる。

 しかし、それ以降は全く何の思い出も存在しない。確かに、ぼくはバレンタインデーの前日にログインした。それが最後のはずだ。

 不意に風が頬をなぶった。

 気が付くと、ぼくの体はノトゥへ引き寄せられている。

 肩に重い衝撃がくいこんだ。

 「しっかりせい! 今は戦の途中ぞ!」

 ぼくの背中にしがみついているアウナのパンチだった。意外に痛い。

 ノトゥが左右に移動している。アウナの”絶対燃度”の着火をかわしているのだろう。

 滑る地面で渾身の力を込めて踏ん張る。

 が、それでも体の動きは止まらない。

 ぼくはしゃがみ込んで、魔剣を地面に突き立てた。スポンジのようにやすやすと”死の種子”は大地を貫いた。

 ようやく動きが止まる。

 「どうだ! お前の記憶に矛盾はないか。すっぽりと抜けている期間があるんじゃないのか」

 「まさか、そんなことはあるはずがない。きっと何か勘違いしているだけだよ」

 声高に答えるつもりが、口の中でつぶやきが泡のように消えてゆく。

 ぼくの体をつかんでいた力場が消えた。

 代わりに、ノトゥのそばに転がっていた巨大な岩が動き始める。大人の背丈ほどもある高さの岩が、生き物のように左右に揺れ、やがてふわりと浮かび上がった。放物線を描きながら、ぼくのほうへ飛来する。

 必死の勢いで、もともとしゃがんでいた場所から移動した。

 すさまじい音とともに、巨岩は地面へ衝突した。勢い余って、ごろごろと転がる。

 すでにいくつもの岩が空中へ浮かび上がり、間断なく飛んできた。

 「季節の不一致だけではないぞ。学校生活や家庭での具体的な記憶はあるか?」

 轟音のさなか、ノトゥの声が聞こえる。

 反論する隙もなく、ぼくは岩の爆撃から逃げ惑っていた。

 「たとえば……お前の友人たちの名前はなんだ? 昨日の、いや、最後に取った食事は? 家の住所は? 携帯電話(MIT)の電話番号は?」

 ぼくはわずかな余力で、過去の会話チャットログおよびメールのチェックを始めた。

 おびただしい記録が視界の隅を滝のように流れてゆく。

 ゲーム内で頻繁に仲間とやり取りしていたのは、ゲームに初参加してからおよそ半年までのことだ。それ以降は、現実リアルの友人もゲーム内の知り合いもゲームから離脱していった。”虹の門”は最初のCMだけが成功して、ゲーム内容でユーザーに見切られた、不人気オンラインゲームだ。

 だがそれでも、リアル友達はたまにログインしたりして一緒にプレイすることもあった。

 こっちがディープにはまってたから、多少付き合ってもらったんだ。

 つい最近だって、連中を”虹の門”の散歩に連れ出した。

 ……だが、仲間とのチャットログは九か月ほど以前から、ぷっつりと途切れていた。

 外部とやり取りするメールも、同様だった。

 なぜか、リアルとつながっている証拠となるものが、二月十三日を境として、全く存在しなかった。

 だが、それはともかく。

 一番怖いのは……ぼくがぞっと背中に冷たいものを感じたのは。

 そんな重要なことを、ぼく自身が全く気付かずにいたことだ。全く異常を感じずに、九か月を過ごしていたことだ。

 普通に考えて、九か月もゲームにログインし続けることは、不可能だ。現実の体が持つわけない。

 もしその異常に気付いていたら、ぼくはきっと、ゲームを中断しようとしたころだろう。なんとかログアウトしようと努力しようとしたことだろう。

 そうならなかったのはなぜだ?

 なぜぼくは……

 足の裏から、地面の感覚が消失した。

 眼前に、青い空が広がる。

 こめかみに冷気が広がった。

 ぼくは砕けた岩のかけらを食らって、足を取られていた。ぼんやりしていたことが災いし、ふらついた勢いを止めることもできず、無様に大地に転がってしまった。アウナがぼくのそばに投げ出される。

 ぼくの頭上から、巨大な岩が落下してくる。

 辛うじてかわした。

 腹の底まで震わせる地響きとともに、岩は地面に叩きつけられる。

 ぼくの脚の上に、ぼくの背丈ほどもある岩がのしかかってきた。

 着地と同時に、いくつかに割れた岩の破片だった。

 「大丈夫か? わしの腕につかまるがいい」

 アウナが、ぼくの腕をつかんでひっぱった。しかし、非力なアウナでは、ぼくの体は引きずり出せそうになかった。

 「絶体絶命だな。最後にチャンスをやるよ。降伏するつもりはないか?」

 ノトゥが遠くでぼくの姿をあざ笑っているように見える。ぼくは悔しさのあまり、涙を浮かべた。

 「降伏だって……そんなことできるわけないだろ、いまさら」

 「お前は意外に人気があるようだ。お前が言えば、他の仲間やその”モンスター”とも戦う必要はなくなるだろう。われわれはお前たちの安全を保障するよ。あ、もちろんその”モンスター”もな。行きがかり上、無意味ないさかいも起こってしまったが、それについては不問にしよう。どうだ?」

 「安全を保障だって? 君の言うには、ぼくたちはゲームのキャラクターなんだろ。保証するったって、もともとの姿は今とは違ってたんだぞ。現実では、ゲームのキャラとは別人だったんだから……だから、ぼくたちの安全を保障するっていうなら、なおさら”虹の門”が必要なんだよ。でないと、生活する場所がないだろ?」

 「自分がキャラだって認めたのか? まあ、心当たりはあるんだろうな。しかし、気に病むことはないし、”虹の門”がなくても問題ない。お前たちはあくまで”虹の門”という別の宇宙で活動するために作られた人間のレプリカだ。だからいくつかの転換手術を受ければ、地球にも適合できる。その姿のまま、地球で新しい人間として生きればいい」

 「そんなことができるわけがない! アーツェルとして地球で、現実で暮らすだって……? こんな格好してたら、街だってまともに歩けないぞ」

 「名前は好きにつければいいだろ。服だって着替えろよ。戸籍だって政府に作らせる。”虹の門”に関わる計画は、日本政府どころか世界的な共同事業なんだ。その程度の便宜なんかいくらでも図ってやるよ」

 「よしてくれよ。ぼくは元の世界に帰りたいんだ。ゲーム中だってずっとそう思ってきた。これからもずっとアーツェルなんていいかげんうんざりする」

 動揺を押し隠し、ぼくは拒否の姿勢を貫く。ここでやすやすと相手の条件を受け入れると、いいようにされてしまう。もっと譲歩を引き出さねば、という一心だった。

 ノトゥはビジネスライクだがそれだけに一点の曇りもない完璧な笑顔を浮かべた。

 




 「それについても朗報がある。もしプレイヤーだった人間として現実世界に復帰したいというなら、それも可能だ。それなら、もう戦いを続ける必要はないだろう?」

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