29
男は生真面目な表情でぼくをじっと見つめている。軽く会釈した。
「やっと見つかりましたね。探していたんですよ」
頭上に浮いた岩は、ゆっくりと後方へ移動し、行儀正しく正座でもするかのように、ゆっくりと着地した。
ぼくは内心、くびをかしげた。
”闇の旅団”、ノトゥは物静かなようすで佇んでいる。
あたかも温厚な紳士のようなたたずまいに、ぼくは軽く混乱していた。しかし、弱みらしきものは一切見せたくはない。
「ぼくに何か用かい?」
わざとつっけんどんに言った。
どうせ、”組合”とかの刺客とかそんなのだろう。配下の大軍はぼくたちが壊滅させた。そこでようやく真打ち登場と言うわけだ。だったら、さっさと大将本人が出てくればよかったのに、ぼくはかつてアウナに投げかけられた罵倒とおなじことを思って、憤りを感じていた。
「え? ああ……」
ノトゥは物思いにふけっていた人間が、我に返ったような風情であいまいな返事をした。
なんなんだ。
自分から話しかけておいて、いきなりうわの空になっているなんて、ちょっと人を馬鹿にしてるんじゃないのか? 全神経を逆立てるかのように警戒しているぼくが、まるでバカみたいじゃないか。
いや、どうやらぼくは無意味に苛立っているようだ。
相手があくまでこちらに敵対的だと断定しているから、ぼくもうがった見方をしてしまう。ひょっとすると、ノトゥはこちらと交渉するつもりなのかもしれない。
「久しぶり……かな?」
にっこりとノトゥの顔がほほ笑む。無邪気とさえ見える一点の曇りもない笑顔だ。
ぼくは思わずつられて、口の端を緩めてしまう。
「う、うん。確かに、ひさしぶりだね」
「そうだろう、きっと、そうだね、あれから半年はたっているのじゃないか。そうかねえ?」
ノトゥは笑顔のまま、わずかに顔を上に向けた。屈託のない表情で、空に見入っている。
「初秋の空はなんて透き通っているんだろうな。地球の季節と同期しているところは、気に入っている」
満足げにノトゥは言った。
確かに、ノトゥの言うように、”虹の門”は地球と季節が同調している。
が、今の状況にそぐわない言葉に、ぼくは戸惑った。とりあえず、ノトゥのようすを観察する。
背後からささやきが聞こえてきた。
「何言ってんのぉ? あのおっさん」
カナだった。焦れたようすでつぶやいた。
「現実に戻れるって、どうすればいいのか教えてもらってよぉ! さっき言ってたじゃん」
ぼくは声を潜めた。
「ちょっと待っててよ。どうも様子がおかしいんだ」
「向こうのペースに巻き込まれないでよぉ。ちゃんと聞いてよね」
「おれがぶっ飛ばしましょうか? あいつ、アタマで弱そうだし、いきなりやったらすぐに倒せるかもしれねー」
「ほんと、もう少し我慢して。もうちょっとだけ様子を見るから」
ぼくは気を取り直して、ノトゥに言った。
「君は何のためにここまで来たんだ? ぼくたちと話し合いに来たのか?」
ノトゥは甲高い声を上げた。
「あっははははははははははは!」
ぼくは面食らった。笑ったというより、マンガのセリフかなんかをそのまま読み上げたような感じだった。
呆然と奇行を見つめるぼくたちの前で、ノトゥはぼんやりとした顔つきを地面へ向けた。
しばらく無言のままたちつくす。
そろそろぼくが何か声をかけようとした途端、何かのスイッチが入ったかのようにノトゥは顔を上げ、精力的な鋭い視線をぼくに放った。
「まあ、剣を下げたまえ。わたしは戦いに来たのではない。話し合いに来たんだ」
堂々とした声だった。つい先ほどの浮世離れした雰囲気をまとっていた人物とは全くの別人だ。そして、この風格に満ちた威風堂々たる成人男性こそ、ぼくがノトゥとして認識していた人物像だった。それまでの言動は、ぼくの知っていたノトゥとは全く異なっていたのだ。
異様なノトゥの振る舞いに、ぼくは警戒した。
「話し合いなら、こちらも望むところだけど、こんなところでしてもいいのかい?」
ノトゥはそつのない笑顔を作り、答えた。
「何かまずいことでもあるかな? 場所がどこだろうと当事者たちが納得できる話ができればそれでいいだろう」
「でも、なんでこんなところまでやってきたんだ? しかもわざわざ大勢を連れてきておいて、話し合いを本気でするつもりだったのか?」
バツが悪そうに、ノトゥは頭に手をやってうつむいた。
「こりゃ一本取られたな。確かに、軍を連れてきたのは確かだ。だってそれがわたしの仕事だし、”組合”から君と話し合うように言われたから、君の居場所までやってきたまでだよ」
「攻撃するつもりはなかったって言いたいのかい? でも、攻城兵器まで持ってきてそれは無理があるだろう」
「まあまあ、落ち着いてくれないか。そうエキサイトせずにね」
温厚そうな態度で、その実、ぼくの言葉をどこ吹く風で受け流しているノトゥの態度に、ぼくは焦燥を覚える。
このまま、いいように丸めこまれるのではないか? 第一、ぼくはしょせん一介の高校生で、大人のビジネスだの、そういうシビアな世界に触れたことはない。アルバイトすらしたことない。それ以前に、まともに口げんかで勝ったことがない。ぼくは感情が乱れると、あまり口がきけなくなってしまう質なんだ。
そういう負い目が、ぼくを不安に陥れていた。いっそ今すぐに切りつけてしまおうか……そんな自暴自棄な衝動すら湧き上がる。
押し黙ったぼくを見て、ノトゥはわずかにしてやったりといった感じの表情をのぞかせる。
相手に自分の感情をのぞかせて、気が付かないデリカシーのなさにも嫌気がさす。
「話し合いなんだから、あまりケンカ腰で来られても困るんだよ。お互い冷静に話し合おうじゃないか、ね」
「わかったよ。でも、本当に話し合いする気があるのかい? 本当はぼくたちを殺そうとしてたんだろう」
「そんなことはない。誤解だよ。部下を連れてきたのだって、ただ連れてきただけさ。どっちかというと、こちらはお前たちが攻撃してくることの用心のためだった」
「ぼくたちが攻撃なんかするわけないじゃないか。たった四人しかいないんだから」
「そうか? ”モンスター”を含めると、相当な戦力になるんじゃないか? 現に、”燃える剣”はお前に殺されたんだろう。生き残りの部下が、知らせてくれたよ。だから、すぐに”組合”は真偽を確かめるために私に君と接触するように要請したといういきさつだ。攻撃しろ、と言う命令は受けていない」
「何が言いたいんだよ!」
ぼくは声を荒げた。相手のしつこい話に耐えられなくなった。
「誤解を解きたいだけなんだが? 君がそんな調子じゃ、まともに話も出来やしないだろう」
迷惑そうに眉をひそめて、ノトゥは反論する。
ぼくは何とか怒りを抑え、言った。
「悪かったよ。じゃあ、あんたの言う話し合いってのをはじめようじゃないか」
「初めからそうしてくれていれば、よかったんだがね」
ぼくは歯を食いしばる。もはや言葉は出てきそうになかった。
ノトゥはわざとらしく困ったようすで尋ねる。
「話を続けてもいいのかね? 話し合い事態に不服があるんじゃなかったのかね」
「……続けてくれ」
やっとの思いで何とか答えた。しかし、こいつには正直、うんざりだ。ねちねちと何か言おうとしているが、結局は自分に落ち度はなく、話し合いが遅れたのはぼくたちの勝手な行動のせいだと言いたいわけだ。
確かにそうかもしれないけど、塔を包囲した上に攻撃をしてきたのはそっちじゃないか。そこまでされて、話し合いになんかなるはずがない。
「じゃあ、言わせてもらうか。お前たちはこのまま”龍脈”の封鎖を邪魔し続けるつもりなのかね?」
「ずっとするわけじゃない。こちらの要望を受け入れてくれれば、やめるつもりだ」
「要望とは何かね」
「すぐに”虹の門”を破壊しないでほしい。この世界にいる”モンスター”は仮想世界のデータじゃなくて生物なんだろ? じゃあ、無差別に殺すのはひどすぎると思わないかい?」
ノトゥは平然と答える。
「ひどいかひどくないか、は人それぞれだろう。それはいま大事な話ではないような気がするな」
「わかったよ。とにかく、ここの生き物を地球に運ぶなり、”虹の門”の破壊をやめて、保護するなりしてほしい」
苦笑しながらノトゥは首を左右に振った。
「無理だな」
額に熱を感じる。ぼくの体は苛立ちに灼熱し、滝のように汗を流していた。
「簡単に断られたら、話し合いにならないだろ!」
歯を噛み鳴らしながら、ぼくはようやく言った。
「無理なものはムリだ。お前はどうして”虹の門”に直接資材や人員を運ばないかは知ってるんだろう? 運送コストの問題があるからだよ。なのに、それ以上に費用や時間のかかることをできるわけないじゃないか。そもそも現実的な案とは到底思えない。”モンスター”の数を考えてみてくれ。いったい何頭いるのかわかるかね?」
「知らないけど……大変でもしょうがないじゃないか。地球の都合で”虹の門”の生物は勝手に殺していいわけない」
「全部はどう考えても無理だ。人間一人輸送することすら避ける状況で、膨大な数の生物を運搬するなんて、ありえない。それくらいわからないのか?」
「だったら、どうすればいいんだ? それに、”虹の門”がエネルギーになるんなら、生物を全部運んでもおつりがくるんじゃないのか」
「検証はしたのかね? しょせん机上の空論だよ、お前の言うことは。他に理由はあるか?」
「そういえば、もともとぼくの部下たちが急に、強制ログアウトされてしまったんだ、ほぼ全員だよ。なのにぼくたちだけはログアウトできない。それで、きっと”虹の門”の異変とぼくたちが現実に戻れなくなったのには関係があると推測して、”虹の門”を無造作に消滅させることを阻止しようと考えたんだ。本体も心配だし、きちんと意識が戻らなかったら大変だろ」
「なるほど。あながちまちがっちゃいないな。しかし、おまえたちは本体の心配なんかする必要は全くない」
ぼくたち全員、ノトゥの言葉に仰天していた。
まさか、”組合”はすでにぼくたちの身元を調査し、直接本体を人質にとったのかもしれない。そうなったら、こんなところで息まいてみても、全くの虚勢以外の何物でもない。現実の肉体あってのプレイヤーキャラクターなのだから、本体がなくなったら、ゲームどころじゃない。その瞬間、プレイヤーキャラは動かす主人を失って、動きを止めてしまうだろう。そして、寝落ちが致命的な”虹の門”では、キャラクターの喪失を意味する。
困惑するぼくたちを楽しげに眺め、ノトゥは宣言した。
「あの事故の時にログアウトできなかったキャラクターを作成したプレイヤーは、すでに何らかの理由によってずっと以前からゲームプレイを中断している。つまり、お前たちに本体なんぞ存在しない。お前たちは、キャラクターそのものなんだ」




