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 ぼくは横へと飛んだ。

 ついさっきまで僕がいた空間に、陽炎が揺らめいている。

 ヴェルメーリの魔剣、”絶対燃度”の能力だった。切っ先が向いた物体を必ず発火させる。

 これにやられればひとたまりもない。プレーテのような自らに強力な冷却機能を持っているものでないと、まともに面と向き合うことすら不可能だ。

 こちらへ向こうとする切っ先を避けて、ぼくは必死で走る。

 対するヴェルメーリは棒立ちのまま、悠然とこちらに剣先の方向を変えているだけだ。

 ぼくは”超臨界速”へと突入する。

 周囲の空間が変容した。室内は暗くなり、かすかに聞こえていた音は低くなる。

 そして、ヴェルメーリの動きが緩慢になる。

 ヴェルメーリが本格的に戦闘を開始する前に、完全に倒す。それしかないと思う。相手が本気を出してきたら、ぼくが勝つ要素なんて一つもないだろう。

 ヴェルメーリの斜め後方、死角へと移動し、間合いを詰める。

 抜身の”死の種子”を構えた。

 くそ。さやが壊れるなんて、なんてことだ。よりにもよってこんなときに、同じプレイヤーキャラクターと戦わねばならないときに。

 至近距離へ到達しても、ヴェルメーリはこちらの攻撃に対応するそぶりを見せていない。

 どうやら不意打ち気味に高速化したのが、功を奏したようだ。

 今なら完全にヴェルメーリを倒せる!

 ぼくは”死の種子”を一閃させた。

 激しい異音が耳を貫く。

 剣を持つてがじんとしびれた。

 ”死の種子”の刀身に、”絶対燃度”が絡み合っていた。

 ぼくの渾身の一撃は、あっさり防御されてしまったのだ。

 さらに、ヴェルメーリは鋼鉄の鎧ごとぼくに体当たりした。

 意外に強烈な衝撃に、ぼくは後方へ軽々と吹き飛ばされた。

 転倒している暇もなく、全身に小さな虫が這いまわるような異様な感覚が起こる。次の瞬間、体のありとあらゆる部分が、まるで細胞のいくつかが鋭い角をもった砂にでも変わったかのような、痛みの小爆発に包まれる。

 鼻孔の内部に立ち込めるきな臭さで、今自分に何が起ころうとしているかを悟った。

 ぼくの体が発火しようとしてる!

 動物そのものの本能的な動きで、ぼくは飛び跳ねた。

 恐怖に突き動かされさらに高速化する。

 ふたたびヴェルメーリの動きがゆるやかになる。

 と、視界に赤みを帯びた霞のような色がたなびくのを感じた。

 ヴェルメーリの姿が消えている。

 全く目を離していないはずなのに、姿が忽然と消えているのだ。

 焦燥がぼくをすり減らす。

 いつ、再び自らの肉体が発火減少にとらわれるかという恐怖が脳裏に絡みつき、あたかも今現在、生きながら身を焼かれているかのような錯覚に陥る。

 恐慌パニック寸前のぼくに、奇妙な感触が伝わってきた。

 整然と文房具を並べている机の上に、突然異物が乱入し、整理整頓された空間を乱す感覚。

 ぼくは高速化する際には、デバイスから入手できる情報を総動員し、周囲数百メートルの状況を完全に把握している。

 そうしないと、高速域に入った自分の動きに感覚がついていけなくなるし、障害物にぶつかったりしたら高速も宝の持ち腐れでしかない。

 把握している状況に、突如として想定外の要素が発生したのだ。

 その違和感は、明らかに瞬間的に位置を変えたヴェルメーリの存在感に違いない。

 ヴェルメーリは見失った位置から、さして離れてはいなかった。

 ぼくはヴェルメーリへ向きを変えた。

 ”絶対燃度”がぼくを指している。次の瞬間には、ぼくの肉体はあらゆる場所が可燃温度にまで熱され、炎を上げるだろう。

 構わず、ぼくはまっすぐヴェルメーリを目指す。

 高温によって煽られ、ねじれた熱気がぼくの頬をかすめた。

 手がやけどしそうに熱い。遮断された痛覚がサブウィンドウに数値の羅列となって流れている。

 鋼鉄の焼けるにおいが鼻をついた。

 ”死の種子”の黒い刀身が、赤く輝いた。

 魔剣、”絶対燃度”の発火能力に、同じ魔剣である”死の種子”が果たしてどこまで耐えられるのだろうか?

 あと、ひと瞬きすら及ばない刹那の時、耐えてくれ!

 ぼくは剣を前方へ突き出すように構え、ヴェルメーリへ飛び込んでいった。

 ヴェルメーリは発火能力がぼくの肉体まで及んでいないことを、遅まきに察したようだった。

 鎧に包まれた体がうごめく。

 しかし、それはすでに手遅れだった。

 間合いに入ったヴェルメーリへ、ぼくは剣を振り下ろす。

 ”死の種子”は、分厚い鎧をまるで紙のように突き破り、するすると内部へ滑り込む。

 ありとあらゆるものを断ち切る、これはごく一般的な魔剣の能力であり、”死の種子”もその例外ではない。

 手ごたえが肩まで伝わってきた。

 が、ヴェルメーリは倒れていない。

 間違いなく、鎧の奥まで断ち切る間合いだった。そのはずだった……。

 が、”死の種子”が切り裂いたのは、鎧の表面だけであり、その内部には及ばなかった。

 ヴェルメーリは激しく息を吐いた。

 「あぶねー! まさか一発食らうとは思ってなかったぜ! だがギリギリかわしたぜ」

 ヴェルメーリはぼくの目の届かない瞬間に、確実に移動していた。だから剣先が今一歩届かなかったんだ。

 ぼくが驚愕のあまり、自失しているほんの一瞬、ふたたび視界に夕焼けのような光がよぎった。

 ヴェルメーリの剣が、意外な方向から迫ってくる。

 死角からの攻撃を、ぼくはかろうじてかわした。

 ”超臨界速”にともなう周囲の状況把握がなければ、確実にやられていただろう。

 攻撃を外したことは、ヴェルメーリとっても意外だったようだ。

 「やるな! お前は他の奴らとは少し違うようだ!」

 こっちにしても、こんな戦いにくい相手は初めてだ。

 至近距離で、やみくもにお互いの剣を振るう。

 剣がなんども叩きつけられ、雨のように火花が降り注いだ。

 ヴェルメーリの能力はぼくの高速化とはまた異なる能力のようだった。まるでコマ落としのように途中の動きを省略しているかのようだ。

 しかし、能力の片鱗は見えてきたかもしれない。

 視界を横切る異様な赤色、それが起こるたびにヴェルメーリはぼくの感覚でもつかめない神速を一瞬だけ発揮して、じりじりと詰め寄ってくるのだ。

 一進一退の戦い、ではない。

 離れた場所でも敵にダメージを与えることができる”絶対燃度”の能力、これがぼくを追い詰めつつある。

 すでに体の表面は、いくつもの火傷を負っている。

 激しい剣戟の中、ぼくだけが確実にダメージを被っている。

 このままでは、待つのは確実に死、だけだ。

 ぼくの心を、恐怖が蝕んでいった。

 

 もしかしてぼくは何かを決定的に間違っているのではないか? ぼくがヴェルメーリに逆らっているのは、本当は決定的な誤謬なのではないだろうか……?

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