16
「プレーテのそばに行こう」
「またか、いい加減寒いんだけど」
「我慢しろよ、ロストするか”最終戦争”にケリをつけた最大殊勲者になるかの分かれ目だぞ」
「ここまできて、キャラロストはいやだな……」
かじかむ体を叱咤し、苦労してぼくは”トゲワニ”をいなしてゆく。ヴェルメーリは全身鎧に固めているから、さほど冷気を気にしている様子はないが、思い装備が体力と敏捷さを奪っているようだ。
はじめのころに比べて、倍以上の労力を使って、ようやくプレーテの姿が見える場所までやってきた。
プレーテはぼくたちの姿を見て、呆れたようだった。
「まったくお前たちのしぶとさには頭が下がるよ。いい加減、あきらめればいいものを、さっきから顔を見せたり引っ込めたりと忙しいことだな」
「お前が逃げるからだろ! じっとしてればすぐに終わるんだよ」
ヴェルメーリが吠える。
「都合のいいことをぬかすねえ。お前こそじっとしてればそろそろ終われるぞ?」
「終わるのはお前だ!」
ヴェルメーリがぼくの肩に手を置いた。ずしりと重い。
「いいか、これから俺は”虹の門標準時間(TF・ノーマ・テンポ))”を遅延させるからな」
何のことを言っているのか、わからなかったので、つい聞き返してしまう。
「えっえっ? 何のこと? TF?」
「いいから! とにかくお前は超高速で突っ走れ!」
勢いよく背中を押される。
とにかく言われるままに、ぼくは”両臨界速”へと突入する。
思わず足を止めそうになった。
それほどまでに、周りが異質だったのだ。
これまでと違って、ほとんど動きが感じられない。しかも、夕焼けのような赤や紫に染まっている。
「は や く い け !」
なにもかもが動きを止めている中、ヴェルメーリだけがゆるやかではあるが、一応、動いている。再生速度が遅くなった音声データのような低い声が聞こえた。
ぼくの加速には悠々と対応したプレーテも、ヴェルメーリと同じくのろのろと動いている。ぼくのほうを見て目を見張っているのは、きっとぼくの動きが目で追えなくなったことに驚いているのだろう。
いける!
ぼくは確信した。
状況はよくわからないが、とにかくこの速度ならプレーテに追いすがり、決定的な一撃を与えることができる!
だがしかし、もしかすると、スピードが上がっただけでは解決しない問題もあるかもしれない。
プレーテ本体の発する強烈な冷気は、触れる寸前に武器を破壊するのだ。
一抹の不安が頭をかすめる。
高速化していても、冷気だけは防ぎようがない。身を切るような寒さを通り越した痛みに代わって、麻痺しつつある。
一刻の猶予もない状況で、ぼくは自分のベストを尽くすしかない。
足を踏み出す。
空気の重さは、いつもの”超臨界速”とさして変わらない。
大丈夫だ。
ぼくはなおもスローモーションで後じさりするプレーテへ肉薄した。
まだあどけない端正な面差しに、愕然とした表情を凍りつかせたプレーテに武器を繰り出すのはためらわれた。
刹那の躊躇だった。
しかし、次の瞬間には、はっきりとプレーテの毒々しい悪罵がぼくの鼓膜を叩いた。
「来るか、下賤の”異邦人”よ! 貴様の邪悪な武器を試してみるがいい!」
ヴェルメーリがぼくに与えた力が尽きたようだ。赤みがかっていた周囲の色が急速に褪めてゆく。
だが、いまだ至近距離にプレーテは存在する。
ついにぼくとヴェルメーリは敵を追いつめたのだ。
この好機を逃すとぼくだけでなくヴェルメーリまでもやられてしまう。
固く目を閉じ、ぼくは剣をプレーテへと突き出した。
身をひるがえそうとするプレーテは、ぼくの一撃から逃れられなかった。
が、その表情にわずかに陰険な、人を欺くときのような押し殺した喜悦が隠されているのを、ぼくは察した。
剣を握った手が、氷水に突っ込んだような冷気に包まれる。
わずかな抵抗感が剣を通して腕に伝わってきた。あたかもゼリーをフォークで突いたかのように軽い。
恐るおそる目を開く。
もうもうたる蒸気が、目の前に白い壁を作っていた。
霞のように曇った視界の向こうで、プレーテの白い顔が、驚愕に醜くゆがんでいた。
「なぜ、剣が破壊されない? まさか、私が”青ざめた死”の手にかかるとは……!」
プレーテから、苦悶の叫びがほとばしった。
暗澹とした自己嫌悪にさいなまれながら、ぼくはよろめく。かろうじて剣の柄を両手で支えながら、相手の断末魔を見下ろした。
プレーテの傷口は煮えたぎった鍋のように、ひっきりなしに蒸気を噴き出していた。プレーテの流す青い血が泡立ち、悪臭が鼻をついた。
傷口に半ばまで刀身を埋め込まれている剣は、”絶対燃度”だ。
ヴェルメーリから離れる瞬間、とっさに交換したのだ。
これで終わりか……。
ぼくがそう思った時、プレーテの体が動いた。
刀身を手繰り寄せるように、こちらへ身を進めてくる。ぼくはあまりの凄惨な光景に圧倒され、その場から動くことができなかった。
刀身の根元まで、プレーテの体が近づく。プレーテのつぶらな瞳が燃えるような光を宿し、ぼくを睨み据えた。灰色に色あせた唇から、青黒い血液があふれる。
プレーテの口から、水が泡立つ音の混じった声が漏れた。
「お前だけでなく、最期に塔の内部にいる者をすべて道連れにしてやろう……これを教えるのはな、お前に勝ったと勘違いされたまま死んでほしくないからだよ。お前は私と共に死ぬんだ……」
言い終わるとともに、ぼくを取り巻く空気が、突き刺さるような冷気を帯びた。
”絶対燃度”の発火機能すらはるかに凌駕するプレーテの冷却能力だった。
みしみしとプレーテの体がきしむ。仮面のように、その顔を亀裂が縦横に走った。まぶたがはがれおち、丸い眼球がむき出しになる。口の端が上へ向かってひび割れ、狂気をはらんだおぞましい笑顔が現出した。
またしてもぼくは相手の術中にはまってしまったようだった。
剣の柄から手が離れない。
懸命に後じさりすると、剣に貫かれたプレーテの体も引きずる羽目になる。
失敗した、いよいよぼくもここでゲームオーバーか……。
しかし、今はなぜか悔しさはみじんもない。むしろ、窮屈な義務感や、沈鬱な後悔から解き放たれる安堵すら覚えていた。
観念したその時、背後から派手な音が耳をつんざいた。
金属が石畳にいくつも転がるような騒がしさののち、軽快な足音が近づいてくる。
何者かがぼくの頭上を飛び越し、プレーテの背後へ着地した。
筋骨隆々の精悍な男が、剣を振り上げている。
黒い刀身はぼくの”死の種子”だった。
「道連れなんてとんでもねーぜ! 地獄へ行くのはてめえだけにしろ!」
雄叫びとともに、筋肉の盛り上がった両腕が、猛然とプレーテへ剣を叩きつけた。
脳天に一撃を食らったプレーテは、文字通り粉みじんに砕け散る。
無数の氷片が辺り一帯に広がった。
かつてプレーテだった無数の欠片ひとつひとつが、吹雪となって渦を巻いた。
宙を舞いながら、地面へと落ちてゆく銀色の雪を、ぼくはながめた。
「雪になった……」
ぼくはひっそりとつぶやいた。残酷な最期を迎えたプレーテが、儚く死んで美しい姿になったと考えることで、少しでも哀悼の気持ちをプレーテに伝えたかった。
「ああ、やったな。俺たちの勝ちだ」
筋肉質の若い男が宣言する。
ぼくは感傷的な気分をだいなしにされ、腹を立てた。
男に目をやる。
すぐに目をそらした。
よく見れば、たくましい筋肉に包まれた男は、全裸だった。
「あのさ、キミは鎧の下って何も着てなかったの?」
ぼくはすっかり呆れてしまった。
「まーな。面倒だったし。でも着ておけばよかったと後悔してるよ。さすがにハダカはここでなくても寒いだろ」
表情一つ変えず、平然と答えているのは、当然ヴェルメーリ本人だった。
「じゃあ、なんで鎧を脱ぐんだよ!」
「しょーがねえだろ、鎧を着たままじゃ素早く動けなかったからな。間に合わないことを考えたら、マッパくらいどうってことないのさ」
ヴェルメーリは、体のあちこちにやけどのような傷を負っていた。水にぬれているところを見ると、鎧から出た瞬間に外気の低温によって軽度の凍傷を負ったのだろう。
それもぼくを助けるために負った傷なんだ。
ぼくは罪悪感に突き動かされて謝った。
「悪かった。事情をよく知らなくて……」
「わかればいいよ。万一のことがあれば、とりかえしがつかないもんな」
「全く君の言うとおりだ。もう少し冷静にならなきゃいけなかったのかもしれない」
ヴェルメーリはぼくの手から”絶対燃度”をひょいと取り上げた。目に近づけ、子細に点検する。
「……うん。何ともないみたいだ。まあ、万が一ってこともあるから、おれのマッパは間違っちゃいないってことだ」
「あ、心配だったのはそっちだったんだ」
拍子抜けするぼくに、ヴェルメーリは当然のように答える。
「レアアイテムだから。壊したら大変だ」
「わかったから、少しは隠せよ!」
「気になるか? これならよかろう」
申し訳程度に、ヴェルメーリは”絶対燃度”の刀身で股間を覆う。
「なんか余計に気になるよ!」
「ほんとは見たいんだろ? 遠慮すんな」
「きみがもっと遠慮してくれよ!」
ぼくはいつの間にか苦笑していた。ヴェルメーリも雄々しい外見にふさわしい太い声をあげて笑った。
「確かに女性の前でマッパはないな」
ヴェルメーリはそそくさと石畳に散らばった鎧を拾い集めた。
これまであまり知らなかったが、ヴェルメーリは案外気さくな性格のようだった。多少大それた頼みでも、理屈が通っていれば簡単に聞いてくれそうな気がする。
ぼくは思い切って言うことにした。
「ちょっと聞いてほしいことがあるんだ……大事なことだ。世界の興亡がかかわってるんだよ、急には信じられないかもしれないけど」
「ほうほう、何?」
いきなりの重そうなぼくの発言にも全く不審に思っている様子もなく、ヴェルメーリは鎧を不器用そうに着けながらおざなりな返事をする。
なんとなく、自分の言うことが実につまらないことであるかのように思えてきた。
「この塔を、封鎖するのをやめてほしいんだ」
「へ? なんで?」
きょとんとした顔つきが、ぼくを見る。
いかにも海外の善玉プロレスラーのようなハンサム顔に、ぼくは照れを覚えて目をそむける。
「この世界が滅びるからさ。理由は……」
ヴェルメーリは白い歯を見せて笑った。
「わかってるって。”龍脈”の支えを失った”虹の門”は閉じる。そうだろ?」
意外なヴェルメーリの見解に、ぼくは戸惑う。
「そういう表現なのかな。ぼくが言いたいのは……」
「”虹の門”は形を失い、”宇宙炉”の燃料に還元される。つまり、この世界の物体は消えてなくなる」
驚異のまなざしで、改めてヴェルメーリを見つめた。
すでにつややかな全身鎧を装着したヴェルメーリは、人間とは思えない異形の正体を暴露したかのように思えた。
ヴェルメーリのくぐもった声が聞こえる。
「もともとはそれが目的なんだ。だから、塔は必ず閉鎖しなければならない」




