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15

 万事休した。

 ぼくの体が冷気によって崩壊するまで、あとわずかの時間しか残されていない。

 だが、ぼくはいい。この体が壊れたところで、元の体は残っている。死ぬわけじゃない。

 でも、アウナは?

 彼女はこの世界の住人なんだ。ここで死んだら、それまでじゃないか。

 ……不甲斐ない……。

 助けようとしたのに、結局自分の油断でこんな結果になるなんて。

 重苦しい後悔がずっしりと頭の中に食い込んでくる。

 しかし、それすらもう消えてしまいそうだ。

 ぼくの思考能力さえ、鈍り始めていた。

 無数の思い出のようなものがちらちらと浮かび上がっては消えてゆく。やがてそれは数を増し、同時に消える速度も速くなっていった。

 くそ、そういえば、最後にログインしたのは二月の十三日だったな。

 その日付は、よく覚えている。

 確か、ここ数年続いている群発地震の影響で、ついにぼくの近所も地震が発生したんだった。震度は大きかったが、家は耐震構造のおかげで無事だった。

 両親が避難だなんだと忙しそうに走り回っていたっけ。当然ぼくも手伝いをして、隣の家に住んでいるおさななじみの子と会ったんだ。次の日はバレンタインデーだから、ぼくはちらっと様子を見るつもりでログインしたんだ……。

 そうだ。それからどうなったんだっけ?

 まるで夢の中にいるようだ、なにか時系列がはっきりしない。ぼくはそれからどうしたんだっけ。まさかとは思うけど、彼女との約束を破ってしまったのか……。

 「よう。久しぶり。がんばってるねえ」

 気さくな落ち着いた声が聞こえた。

 誰だ?

 聞き覚えのある声だが、その主が思い出せない……。

 「……やっと真打ち登場かな」

 プレーテの声が聞こえた。ぼくに話しかけていた時のような余裕が消えていた。

 「まあ、そう怖い顔するなよ。楽しくいこうぜ」

 頭の隅っこに置き忘れてきたような記憶が、甦る。

 「ヴェルメーリ!」

 声が出た? ぼくの体は自由を取り戻していた。バランスを失い、その場で転びそうになる。

 「ご苦労さん。災難だったな」

 声の主へと目をやった。

 そこには、”燃える剣”こと、ヴェルメーリがいた。

 魔剣、”絶対燃度”を肩に乗せ、かかとに体重をかけたくつろいだ格好で立っていた。重々しいプレートメールを着込んでいる。丸い兜がつやつやと光っていた。

 プレーテが不愉快そうな面持ちで言った。

 「”燃える剣”か。きみも手品を使うようだね」

 「まーね。でも種はわからない。そーだろ?」

 「ほざくがよかろう。わからなくても何ら問題はない。近寄るものは凍りつかせるだけさ」

 「それは俺には通じないことは、わかってんのか?」

 言うなり、ヴェルメーリは完全武装の体を躍り上がらせ、プレーテに斬りかかった。

 プレーテは風に舞う木の葉のようにひらりと身をかわし、塔の奥へ引き下がる。

 「よう、アーツェルよ! お前さんの体はもう動けるはずだぜ。ひまだったら、ちっと手伝ってくれないかな」

 ヴェルメーリがわめく。

 魔剣、”絶対燃度”の切っ先がぼくの方へ向いていた。

 麻痺していた体に、いちどきに感覚が戻る。しかしそれは凍らされる直前のものとはちがっていた。正座していて、感覚がなくなった足から感じるような神経が泡立って震えるかのような不快な感触がぼくの全身を包んだ。

 床に崩れ落ちるぼくの横で、アウナは苦悶に顔をしかめている。

 「アウナ、大丈夫かい?」

 「わしのことは気にするな。プレーテは温度を低下させる能力を持っている。こうなることは半ば期待しておった」

 「期待だって?」

 「おぬしはすぐに逃げるがいい。”燃える剣”にまかせておけ。奴の能力なら、プレーテにひけをとることもなかろう」

 アウナの言葉がぐさりと心臓に突き刺さる。ぼくは自尊心をひどく傷つけられた。

 ぼくではアウナを守ることはできないのか。確かにさっきは不覚をとった。でも、今度は負けはしないはずだ。

 「いや、もしヴェルメーリが負けたら、彼に申し訳ないから」

 まだひんやりとして小さな手が、ぼくの肩をつかんだ。

 「よせ! なぜプレーテが塔の中のような狭い空間に誘い込んだのかわかっておらぬようだ。すでに塔の内部は常人では身動きがままならぬほどの寒気に侵されておる。ここにとどまるのは自殺行為ぞ」

 「だったら、キミはラランニャたちを外に導いてくれないか。ぼくはヴェルメーリを助けなくちゃいけない」

 「痴れ者が! むしろ世界にはそちらのほうが好都合じゃ。勝った”異邦人”がわれわれの言い分に耳を貸すと思うか? それがおぬしであろうとも、じゃ」

 そうだった。この龍脈が封鎖されたらこの世界は急激に縮小し、内部の物体はすべて押しつぶされてエネルギーへと還元される。

 すなわち、ヴェルメーリが倒されることは、アウナにとって、好都合なのだ。

 だがぼくにとっては?

 いや、ぼくにとっても好都合だ。なぜなら、ぼくはこの世界に、そしてアウナにも消えてほしくないからだ。

 しかし……ぼくは今、死に瀕していた。

 それをまるで休み時間中にお菓子でも分けてくれるかのように、あっさりと助けてくれたヴェルメーリを見捨てることはできない。

 ぼくは可能な限り自分の誠意が伝わるようにと、アウナの花びらのような手を握りしめた。

 「命の恩人を見捨てることはできない。でも、アウナを裏切ることもしない。わかってほしい」

 アウナは怒ったようにぼくを睨み付ける。いまいましげに吐き捨てる。

 「なら、何も言わずに行けばよいのじゃ」

 ぼくは自分でも徐々に混乱してきた。プレーテと戦わなければ、という執着と、アウナの言葉次第でぼくの行動が決まるという固定観念の間で板挟みになっていた。

 「きみの、許しがほしい。アウナ。ぼくは君を欺いたりは、絶対にしない。でも君の意思に反することはしたくない」

 あっけにとられたように、アウナは口を開けた。

 あざけるように苦笑する。

 「ならば、わしが止めたらなんとする……しかしわしはそこまで我執にまみれてはおらん。ゆえに、おぬしの邪魔もせん」

 叱りつけるかのごとく、アウナはぼくに鋭く一喝した。

 「行け! ”青ざめた死”よ! 思う存分、恩人のために剣を振るうがよい!」

 ぼくは鳥のようにアウナのもとから飛び立った。

 体中がじんじんする不快感に満ちていたが、それは苦痛と判定されないためか、数値化してシャットアウトできない。ぼくはのたうちまわりたいのをこらえつつ、”超臨界速”へ突入する。

 アウナの言うとおり、すでに塔の内部は冷凍庫さながらの冷気に満ちていた。

 ”ワニ人間”だけでなく、何人ものぼくたちキャラクターが氷柱と化して立ち並んでいる。

 不安が胸を締め付ける。

 ぼくが置き去ってきた仲間たちは無事だろうか? ラランニャがいれば安心だとは思うが、しかし一抹の不安はぬぐえない。アウナとうまく合流して、逃げ延びてくれることを祈るしかない。

 耳がちりちりと熱かった。

 背骨に沿って、温かい感触が伝い落ちてゆく。

 体中を針先のような微細な痛みが無数に這いまわっている現在、普段では見逃してしまいそうなごく普通の感覚ですらささやかだが気を紛らわせてくれた。ぼくは耳と背中の奇妙なうずきに、しがみつくように味わった。

 白い彫像の林を抜け、ぼくはヴェルメーリに追いついた。

 ヴェルメーリの鎧はつやつやと輝いている。

 相対するプレーテも、さほどダメージを負っている様子は見られない。

 皮膚が焼けるようだった。そこは他の場所と違って恐ろしく暑かった。

 ぼくはすばやくプレーテに駆け寄った。

 ”死の種子”をさやごと突き出す。

 プレーテに触れる寸前、さやは一瞬にして真っ白に凍りついた。その先端が相手に触れた瞬間、粉みじんに砕ける。

 空気に触れた瞬間、”死の種子”の昏い刀身すら、闇色のつやを失っていた。

 このままでは、剣そのものすら冷気によって破壊されかねない。

 ぼくはとっさに武器をプレーテの体から遠ざけた。

 「また性懲りもなくやってきたのかね、”青ざめた死”よ!」

 プレーテの背後から、風を巻いて強烈な一撃がぼくを襲った。

 鋼鉄の銀色が流星と化してぼくへ落下してくる。

 とっさに、剣で体をかばった。

 激しい音とともに、ぼくは後ろへと弾き飛ばされた。ショックで”超臨界速”の効力が消えてしまった。

 むき出しになった”死の種子”の青黒い刀身は、かろうじて凶猛な一撃に耐えた。

 プレーテの背後には長身の”モンスター”が、長い武器を手に陣取っている。

 全身から長大な針のような突起物が突き出し、全身を覆っていた。その下を分厚い鋼鉄の塊のような物体がぎっちりと表面を覆っている。その狭間からわずかに除く黄色い目が超然とした光を放っている。

 相手の正体を思い出した。

 ”レアモンスター”、”トゲワニ(ドルノ・サウロ)”だ。

 全身を密封する固いうろこから無数の針をはやすことで体温を調節を可能にし、極地で生息している。過酷な成育環境から、寿命は短いが、莫大な体力、強靭な筋力を有し、極めて凶暴。うっかり群れと出会ったらすぐに逃げたほうがいい相手だ。

 「厄介なのが出てきたな。アーツェルくんよ、お前はひとまず下がってな」

 いつの間にか、ヴェルメーリがぼくの前に立ちふさがっていた。

 全く何の気配もなく、こつ然と目の前に現れたのだ。

 ぼくは驚愕しつつも、その場から離れる。

 ヴェルメーリは剣をぴたりと”トゲワニ”につきつけた。

 ”トゲワニ”から、もうもうと白い雲が沸き起こる。

 苦痛を感じているのか、”トゲワニ”は耳障りな甲高い叫喚を放ち、体を揺さぶった。

 「ちくしょー、時間がかかりすぎるな」

 ヴェルメーリのつぶやきが、鎧の奥から聞こえた。

 プレーテの背後から、複数の”トゲワニ”が出現する。

 「だめだ。いくら倒しても次から次へと出てきやがる。しかもあの”半神”には”絶対燃度”の力が効かない」

 新たに出現した敵は、ヴェルメーリへ飛びかかる。

 重い一撃が、強靭な鎧を叩いた。

 異音が塔に響き渡る。

 不意に、ヴェルメーリの姿が消えた。

 まったく唐突にいなくなったのだ。

 とげだらけの怪物たちは、戸惑う様子もなく、石畳に巨大な斧を振り下ろす。まばゆい火花が飛び散った。

 痕跡すら残さず掻き消えたヴェルメーリの姿は、プレーテのすぐそばにあった。

 「また手品だな! しかし、対処の仕方は見えているぞ」

 そう。

 なんとなくぼくにもヴェルメーリの能力がわかってきた。

 その力は、おそらく”瞬間移動”なのではなかろうか。

 しかも恐ろしく強力で、何人もの人間を一息に移動させることができるものなのだろう。

 だが、その移動距離は非常に限られている。

 せいぜい、数メートル程度が限界らしい。

 その証拠に、ヴェルメーリはいまだに相手に打撃を与えることができていない。それも、プレーテがこまめにヴェルメーリから距離を置いているからだ。

 常に数人の護衛を周囲に置き、その護衛ごと敵を冷気に巻き込んでいる。味方の命を一切考慮しない冷酷な戦術だが、それが功を奏していた。

 そばまで接近したヴェルメーリは、またしても新手の”トゲワニ”に行く手を阻まれる。

 ぼくの周辺にも、冷気をものともしない”トゲワニ”が駆け付け、攻撃してきた。

 すでに寒気がぼくの四肢を侵食し始めている。

 ぼくは”超臨界速”で小刻みに動く。超音速衝撃で、空気を蹴散らした。

 辛うじてプレーテの放つ冷気に直接触れることを回避する。

 緩慢に動く”トゲワニ”の、鎧の狭い隙間の奥に隠れた目へ、剣の切っ先をねじ込んだ。

 ”超臨界速”が途切れる。

 ぼくの周りに集まった”トゲワニ”は奇声を上げてぼくから離れた。

 しかし、プレーテにはいっそう距離を開けられ、冷気は強くなる一方で、この戦いは到底勝ち目はないように思われた。

 が、奥にはまだ奮闘しているヴェルメーリの後ろ姿が見える。

 ぼくはなんとかヴェルメーリのそばへと接近した。

 「どうだい? 調子は! あんまりあちこちに移動するから、追いつくのに手間取ったよ!」

 ぼくはヴェルメーリに声をかけた。

 「おいおい、お前マジで来ちゃったの? 外で涼んでりゃよかったのに、ご苦労さんだな」

 「苦戦してるから、助けてあげようと思ったんだよ」

 「お、サンキュー。だったら、あいつの取り巻きをつぶしてくれ」

 すでに塔の最深部に到達しているようだった。

 明かりは全くなく、ぼくたちにデフォルトで装備された暗視機能ですらぼんやりとしか見えない。色を失った光景の中を、無数のとげに覆われた悪魔じみた姿の”トゲワニ”がくまなく徘徊している。

 奴らは視覚、聴覚などの五感に優れているため、このような極限状況でも支障なく行動しているようだった。

 ぼくは高速で移動するために、五感を意識して鍛えたから、すぐに敵の数や位置を把握できた。

 うんざりするほどの敵が、塔にひしめいているのがわかった。

 とりあえず、”超臨界速”で数頭の”トゲワニ”を倒す。

 しかし、徐々に冷気は超音速衝撃波では押しのけられないほどに濃密にたちこめ、指先が感覚を失い始めていた。

 見れば、ヴェルメーリの鎧も、白い霜がまだらにへばりついていた。ただプレーテの護衛と戦うばかりで、戦況に全く進展がない。

 いや、いたずらに体力を消耗している時点で、ぼくたちがジリ貧になっている。

 ふと、ヴェルメーリがぼくのそばへ出現した。

 鎧越しにくぐもった声が聞こえる。

 「どうやら、まずいぞ。歯が立ちそうにない」

 「弱音を吐くのかい。珍しいね」

 「まーな。このままダラダラ戦ってても意味がない。ここは逃げよう、負けそうだからさ!」

 ぼくはヴェルメーリの率直な発言に、つい笑ってしまう。

 「そうしよう、ぼくもそう思ってた」

 「心配性のお前と意見が一致するとは、おれも疲れてんのかな」

 「成長したんだよ、だからようやく状況判断がまともにできるようになったんだろうよ」

 ヴェルメーリは納得したような声で肯定した。

 「そーかもな。あとで体勢を立て直してまた来よう」

 「逃げるのは簡単そうだ。行こう!」

 ぼくたちは身をひるがえした。

 プレーテには目もくれず、一目散に今まで来た方向へと走り出す。

 と、行く手の出入口では扉が閉じられようとしているじゃないか。”トゲワニ”が左右から重い石の扉を押している。

 ぼくとヴェルメーリは塔の最深部、この広場に閉じ込められようとしていた。

 判断するに、ぼくの”両臨界速”では間に合いそうにもない距離だ。ならせめてヴェルメーリだけでも逃げてもらおう。

 ぼくはそう決心した。

 なぜなら、彼はぼくの命の恩人だから、借りがある。ここで清算しておこうじゃないか。

 ぼくは超高速でヴェルメーリの前方へ躍り出ると、進路を妨害している”トゲワニ”たちをなぎ倒していった。

 「キミだけでも逃げろ! ぼくは待ってる」

 ぼくの言葉から、意味をくみ取ったらしいヴェルメーリが返す。

 「わかった! 必ず戻ってくる、約束する!」

 若干ためらった後、ぼくは付け加えた。

 「外へ出たら、アウナと言う”半神”を保護してやってほしい。ラランニャと一緒にいるはずだからわかると思う」

 「半神? まあいい、任せとけ!」

 ヴェルメーリは詳しい事情も聞かずに了承する。そして、その姿が、忽然と消えた。

 すでに扉はほとんど閉まりかけている。

 騒音が、室内にこだました。

 閉まりかけた扉の前で、消えたヴェルメーリが転倒していた。扉に衝突した様子で、仰向けに倒れている。

 想像もしていなかったことに度肝を抜かれつつ、気を取り直して倒れたヴェルメーリのそばへ駆け寄る。

 わらわらと近寄る”トゲワニ”を撃退した。

 その間に、扉はぴったりと閉ざされてしまった。これで、ぼくたちが逃げることはできなくなった。生き延びたければ、プレーテを倒すしかない。

 脱出に失敗したヴェルメーリは鎧をきしませながら、立ち上がる。

 「まいったな、フツーにピンチになっちまったよ。感動の名場面を台無しにしちまって悪かったな」

 「そんなこと言ってる場合じゃないよ。どうやって敵を倒そうか?」

 余裕に満ちた声音で、ヴェルメーリは言った。

 「いい作戦がある。さっき壁にぶつかった時に思いついたんだ」

 

 うわ、こいつは期待できなさそう……。


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