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 「お久しぶりです、アウナ」

 銀髪のおかっぱを揺らして、子供がきさくに手を振っていた。

 その周囲に筋骨隆々とした”モンスター”が彫像のように立っている。ぼくの倍近くある長身を、灰緑色のウロコがくまなく包んでいた。はち切れんばかりの筋肉にはりついたウロコに、快晴の日差しがちらちらと反射している。

 ”ワニ人間クロコディロ・ホーマ”――見た目は、二足歩行するワニ。水辺にしか生息しないため、数は少ないが、水中と陸上で活動可能な汎用性と、筋力が発達していることから、単体では非常に強力な”モンスター”だ。しかし、魔力は低く、戦闘で使用することはない。序盤では苦労するが、敵の物理攻撃をいなす方法を覚えると、急に楽な相手になる。

 「わしの盟友じゃ。プレーテという」

 ぼくたちの先頭に立つアウナが簡単に説明した。

 身軽な足取りで、プレーテに近づいてゆく。

 そこは、巨岩の積みあがった塔の内部。

 窓ひとつない部屋は、何千平方メートルもありそうな広大な床と、室内の乏しい明かりでは到底見ることができないほどに高い天井のせいで、異様なまでの空虚さを漂わせている。

 部屋の隅に並んだ魔力ランプの赤みがかった明かりと、カビと岩のにおいが混じった古い空気の異臭に物怖じし、ぼくたちはアウナから数歩離れた場所で身を寄せている。

 丸一日たって、ぼくたちは最後に残った”龍脈”にたどり着いていた。

 少し時間がかかったのは、徘徊する”モンスター”の集団を避けていたためだった。ぼくたちはみんな多かれ少なかれけが人だったし、もしかすると”狼人間”の群れに追いつかれたのじゃないかと心配して迂回したりしたからだった。

 多少の時間を浪費したものの、慎重な行程のおかげで、ぼくのけがは大分よくなったし、幸いにして戦いもまだ始まってはいなかった。

 戦地につくやいなや、アウナは早々に”龍脈”を基礎とする超巨大建築、塔へと進んだ。

 そこを守護する”モンスター”の頭領に面会するためだ。

 「なんで、おれらが一緒に行かなきゃなんないんすか?」

 エンカラが強固に同行を拒んだ。

 「だいたい、あいつが言ってる世界が滅ぶとかいうのだって、本当かどうかわからないじゃないすか。それより、おれらの軍もここには来てるはずだから、そっちに行ったほうが絶対いいですって!」

 確かに、エンカラの意見も一理ある。

 予定通りならば、すでに”燃える剣”か”闇の旅団”あたりがここに接近しているはずだ。

 しかし、軍勢の姿は見えない。

 「おそらく、強制ログアウトの騒動で、統制が乱れているのでしょう。ことによると、”四戦士”だってそうなっている可能性があります」

 ラランニャが意見を述べる。

 「まだ誰とも連絡はつかないよね」

 「はい。ニュースも更新されないし、メールはどこにも届かないし、ゲームの世界、サーバが外部ネットワークから切断されているとしか思えません」

 異様な事態に、ぼくは首をひねった。

 「でも、もしそうだったら僕たちがログインしていること自体がおかしいよね。何が起こっているのか」

 「あーあ、なんかつまんないなぁ。こんなことなら、軍団長と一緒に来なかったらよかった」

 カナが不満たらたらの体で、愚痴をこぼす。

 あまりにハッキリ言うので、ぼくは傷つくどころか笑ってしまった。

 「ごめんよ。でもどうしようもないじゃないか。それに、ログアウトできないままでキャラロストしたら、本体がどうなるかもよくわからないし」

 「そういうのを期待してゲームしてるわけじゃないんですよねぇ。まあ、軍団長はなりきってて、それが楽しいのかもしれないですけどぉ」

 「ドラマチックなのを期待するなら、”虹の門”を選ぶのが間違ってますよ」

 ラランニャが揶揄する。

 カナはあきらめたような口調で返した。

 「そんなオンゲの種類なんか知らねーっての。別にゲーオタじゃないし、これを始めたのはデバイスがタダだったってだけだし」

 はっきりと本音を吐露するカナに、ぼくは初めて好意を持った。

 「だったらなおのこと、うまくゲームをこなしたほうがいい。そうしたら、元の世界にさっさと帰れるよ。それから、また別のを始めればいいさ。ぼくだってそのつもりさ」

 カナはいかにもうんざりとため息をつく。ぼくに体を摺り寄せた。

 「じゃあ、この世界では軍団長があたしの彼氏になってくださぁい!」

 「いや、いちおうこのキャラは女性だから、彼氏はムリだよ」

 ぼくはたじろいで身を引く。カナは不服そうだった。

 「男だったらここにいるじゃねーかよ!」

 エンカラがカナに声をかける。ぼくをにらみながら、カナはエンカラの手を取った。

 安堵するのもつかの間、ラランニャがぼくに尋ねる。

 「さっきの言葉、本当ですか? このゲームやめるって」

 いつも真剣で、真面目なラランニャだったが、それ以上に真剣な顔つきを見て、ぼくは驚いた。

 思わず否定してしまう。

 「い、いや、言葉のあやだよ」

 ラランニャの顔が笑顔に輝く。

 「そっか。よかったです。まだまだアーツェル様とは一緒にいられそうですね」

 嘘をついた後悔と、ラランニャをぬか喜びさせている罪悪感で、ぼくは具合が悪くなりそうだった。

 その時、アウナの怒鳴り声が聞こえてきた。

 「なんと! 貴様はわしを侮辱しておるのか!」

 ぼくたちはアウナへと目をやる。

 アウナの背中からは怒りの気配がかげろうのように立ち上っていた。

 向かいのプレーテは涼しげな微笑を崩さない。

 「事実でしょう。あなたはわたくしたちの仲間とは認められません」

 「しかし、”受信器”が接合すれば、わしの力は元に戻るのじゃ、必ず!」

 激高したアウナの悲鳴のような叫びに、プレーテは全く何の感慨も抱いていないようだった。

 「本当にそうですかな? しかし、いずれにせよ今のあなたは何の魔力もない。きっとそのせいでしょう、”異邦人ネコナート”と行動を共にしているのは。あなたは、今は”異邦人”なのですよ」

 プレーテは左右に居並ぶ精悍な”ワニ人間”を示す。

 ”ワニ人間”たちは、アウナを注視していた。無機質な丸い眼球に灯る光は、温かみとは一切無縁の凄惨さを帯びている。

 「彼らの様子を見てごらんなさい。あなたのせいで、こんなにも殺気立っている。今にもあなたを八つ裂きにしかねないほど血気にはやっているのです。きっとあなたは部下に狩られそうになったのではないですか? あなたを”半神”と認めるものはいないのですよ、魔力の弱いけだものですらね」

 怜悧な口調でプレーテはアウナの窮状を見事に指摘して見せた。

 アウナは悔しげに声をわななかせた。

 「確かに、おぬしの申す通りじゃ。だからこそ、おぬしの手の内に単独で飛び込んできた。恥も外聞も捨ててな。それも世界の滅亡を憂いたゆえ。そして、おぬしの”半神”としての友誼に期待をかけたからに他ならぬ。それをむげに拒むというのか?」

 「拒みなどいたしますまい。あなたが”半神”であればね。しかし、先ほども申したように、今のあなたは”異邦人”だ。積もる年月に結んだ交友は決して忘れてはおりませんが、それはかつてのあなたとの友誼であって、今のあなたではない」

 穏やかな面持ちとは裏腹に、プレーテは冷徹にアウナを切って捨てた。

 固く握りしめたアウナの手が、震えている。

 「さりとて、身近に迫った破滅を見過ごすわけにはゆかぬ。おぬしとてそうじゃろう。われら”同族フラート”にとってこの世界を守護することは」

 激するアウナの言葉を、そっけない身振りでプレーテが遮る。

 「あ、いや、しばらく。わたくしとあなたは”同族”ではない。まだ、おわかりになっておらぬようですね」

 アウナは呆然と立ち尽くした。

 プレーテは音高く口笛を吹いた。

 部屋の奥から、ぞろぞろと”ワニ人間”がわき出た。

 革鎧をまとい、長柄の武器を携えた兵士たちだった。禍々しくささくれだった武器の先端が、アウナとぼくたちにつきつけられた。

 ”ワニ人間”たちは巨大な口を開き、長い舌を鞭のようにふりたてている。針先のような光が凝集した目が、ぼくたちに据えられているのが、恐ろしいくらいにハッキリとわかった。

 危険な状況だった。プレーテはアウナを抹殺しようとしている。

 だが、アウナは動かなかった。

 肩を落としたまま、朽ち木のようにひっそりと動かない。

 ぼくたちは恐怖に浮足立った。が、ぼくは何とか踏みとどまり、アウナを呼ぶ。

 「アウナ! 逃げるんだ!」

 しかし、アウナにはまるで何も聞こえなかったようだった。微動だにしない。

 耳障りな奇声とともに、”ワニ人間”たちが襲い掛かってきた。

 ぼくは”超臨界速”に突入する。

 世界が遠ざかるようにその動きを停滞させる。

 魔剣、”死の種子”の黒い刀身を振るった。”ワニ人間”の武器をすべて叩き落とす。

 アウナの小さい体を抱き上げた。

 ”超臨界速”を解除する。

 みるみる精彩を取り戻す視界とともに、”ワニ人間”たちが恐慌を起こす喧騒が聞こえた。

 ぼくは先頭に立って、仲間を連れて逃げる。

 が、いつの間にか塔の周囲はおびただしい”ワニ人間”によって埋め尽くされていたのだ。

 「まずったな……。こんなに相手がいると、ちょっと逃げ出すのには一苦労だよ」

 自分のミスを悟ったぼくの体が慚愧に冷えた。自分ひとりだけの時ならまだしも、仲間を連れて死地に飛び込んでしまうなど、うかつに過ぎたようだ。アウナを信頼しすぎたのが悪かったのだろうか。

 大人数が一か所に集中し、あたかも石垣となった”ワニ人間”にぐるりと包囲され、ぼくたちは行く先を失った。

 いくらぼくの能力を発揮しても、これだけの大群を相手にするのは非常に苦しい。他の人からは一瞬で多数を倒したかのように見えているけど、速度を早くしているぼくは地道に一人ひとりに対して、懇切丁寧に一撃を加えているのだ。ハッキリ言って楽なもんじゃない。相手が多すぎると、体力が到底持たない。

 「どうも、敵が多すぎる。みんな、ぼくがなんとか防ぐから、自分を一番に考えて逃げてくれ」

 窮地に追い込まれてしまっては、多少は敵を殺さずに済ますことはできそうにないな。

 ”死の種子”をさやから抜き放つ。

 「わたしはアーツェル様を守りますので、最期まで一緒に闘います」

 ラランニャが断言した。上着を脱ぎ捨てると、大きな板をつづった鎧が隠れていた。ごそりと動いた板が六つに割れ、頑丈な鉄の支持架に支えられて宙に浮いた。

 多重防護盾ムルツノヴァ・シールドだった。支持架は自在に操ることが可能で、全方位の攻撃に備えることができる防具だった。これを使うには相当な器用さが必要だが、ラランニャは緻密な頭脳のみならず、身体操作の人並み外れた精密さも併せ持っている。ラランニャにしか使いこなせない防具なのだった。

 「軍団長! あんたは見てないから知らないだろうけど、おれも相当強いほうなんだぜ! まあ、任せてくださいよ!」

 エンカラが背中につるしていた湾曲した長剣を引き抜いた。長身による腕の長さと合わせると、”ワニ人間”の持つ間合いにも対抗できそうなほどのリーチだった。

 カナはぼくたちを見て右往左往していたが、ぼくの背後に隠れるようにへばりついた。

 「頼りにしてますからぁ! いざとなったら、看病しますから、うまく逃げ切ってくださいねぇ!」

 子供のように僕にしがみつく。

 き、きみたち。ちょっとまって。

 こうなってくるとぼくは死ぬことすらできないじゃないか。みんな、バカだなあ……。

 しかし、いきなり胸の底から泉のように湧いてくるキラキラ輝くような気力はなんなんだろう。

 やむを得ず、やる気を掻き立てたぼくは、改めて武器を構えた。

 ”ワニ人間”たちもぼくたちを警戒し、武器を構えて慎重に取り囲む。

 絶対的危機……生きてここから脱出できるとは思えない。数々の戦いを潜り抜けてきたぼくの経験が、そう言っている。今現在は、地味に窮地に陥っていると。

 雑念を捨て、寄り集まり、異臭が立ち込める異形の集団に向かい合う。

 と、ぼくは目を疑った。

 

 まったく何の前触れもなく、突如として、敵の背後に別の軍勢が出現していた。


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