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悪寒が冷たい水滴となって背中を伝い落ちるようだった。
いったい何が起こったんだ? ぼくの本物の体はどうなっているんだ? いつか元の世界へ戻れるんだろうか?
全く先のみえない、不安と恐怖がぼくの中で荒れ狂う。
頭痛と吐き気すら覚えるほどに、惑乱してしまった。
不快な感覚は数値化することで、抑える。しかし、現状への疑念と未来への憂慮を拭い去ることは絶対にできっこない。ぼくは能天気ではないし、自分の気持ちをコントロールできるほど意志が強くもない。
ぼくは冷静なふりをしようとしながら、脱力感に負けて、地面に腰を下ろした。
苛立ちもあらわに、つぶやく。
「くそ、状況が全く分からない。運営からの情報も全くない」
サブウィンドウで、運営から送信されるニュースを閲覧するが、新しい知らせはない。
「だめだ、あいつら何やってんだ? このままいつまでログインしてればいいってんだよ!」
ラランニャも困惑しているようだった。
「元の体はどうなっているんでしょう? きっと目が覚めないままじっとしているのでしょうが……」
「家族に無理やり起こされたりする可能性もあるかも。でもそうならないように、ぼくは部屋にこもってるんだよね。食料とかいっぱい持ち込んでさ」
「わたしもです。でも、家族に起こされたらそれはそれで問題ですよ。強制ログアウトしたら、キャラクターが野垂れ死にする可能性が高いですから。せっかくここまで育てたのに」
突然、ぼくはもっと悪い可能性に思い至った。
「これってさ、もしかしたらライフセーブ機能が働かないんじゃないの?」
ラランニャの顔におびえがよぎった。。
「まさか……でも、もしそうなったらわたしたちは」
「そう。きっと餓死するよ」
ちなみに、ライフセーブ機能と言うのは、ヴァーチャルデバイスに標準搭載された安全装置の一つで、プレイヤーがゲームに没入しすぎて、健康を害することを回避する機能のことだ。
”虹の門”のライフセーブ機能は最先端のヘルスモニタによって脳や心臓の異変を検知するほかに、一定時間が経過するとアラームを鳴らし、さらにプレイ時間が経過すると、自動的にプレイヤーを強制ログアウトさせる。
だがぼくや他の”最終戦争の四戦士”たちのようなコアなプレイヤーは、裏ワザを使用してリミッターを解除、長時間プレイを可能にしていた。なんと”虹の門”で使用するヴァーチャルデバイスは、プレイ中の眠気や空腹、はては便意までもを無視するように改造することまで可能だ。
実は、ぼくのデバイスは空腹を感じないように調整してある。睡眠は、限界を超えた本体が失神することによって、強制ログアウトと同じことになってしまうし、さすがに便意や尿意を無視するほどまでに廃人になっちゃいない。つわものはオムツをあててゲームに臨むらしいけど、そこまではちょっと真似できないな。
それはともかく、このままこの世界をさまよっていると、ぼくとラランニャは最悪の場合、死に至る可能性すらあるのだった。
「これからどうすればいいんだ……」
「なんとか、早いうちにログアウトできる方法があればいいのですが」
ぼくたちをとりまくよどんだ空気に、はつらつとした声が割り込んだ。
「まあ、そう悲観することもあるまい」
アウナはにんまりと嬉しそうな笑みを浮かべている。
「おぬしらの言う、元の体とやらに戻るまでにするべきことは一つじゃ」
ぼくとラランニャはアウナに注目した。
アウナは、得々と説明する。
「それはの、わしと共にこの世界が消滅することを防ぐことじゃ」
期待はずれ、といった表情でラランニャが質問した。
「それがどうして、わたしたちのすべきことになるのですか?」
確かに、ぼくもわからない。
ぼくたちの問題はログアウトできないことであって、このゲームの世界がどうなろうと、正直、それは二の次だ。
「鈍いのう。考えても見よ。おぬしらがいきなり倒れてみたり、なにやらあわてておったりするのも、もともとはこの世界の異変がおぬしらに何らかの影響を与えた結果ではないのか? 他にさしたる原因が思い当たらぬ以上、そう判断するしかなかろうが」
アウナは子供そのものの見かけに反して、実に論理的に説明する。
「確かに、そうかもしれないけど」
「であれば、この世界が破滅に瀕することがすなわち、おぬしらにとっての危機と言うことじゃろう」
「まあ、そうかもしれないですけど……すべて推測ですよね」
「だが、説得力はあるじゃろうが。すなわち、おぬしらは残り一つとなった”龍脈”を守らねばならぬ。さしあたって、わしに同行するがいい」
ラランニャは戸惑ったように、声を潜める。
「でも、わたしたちとあなたたちは敵なのに……それが一緒に行動するなんて。それにもともと最後の”龍脈”だって、わたしたちが攻撃する予定の拠点ですし……」
アウナは、あわれむようにぼくたちを見る。
「無知とは恐ろしいのう。最後の”龍脈”を封鎖することは世界をゼロ空間へと縮小させる。結果、内部の生命は破壊、エネルギー変換された挙句、別の世界へ放散される。そんな危険をおぬしらは知らずに、やみくもに”龍脈”を封鎖して回った。その結果が、これじゃ。いまや、この世界は退縮寸前、空間は不安定になっておる。天地の異変、そして、おぬしらの異常。身をもって経験したじゃろうが。わしが出した提案の何が不満か? 建設的な提案だと思うが、どこか腑に落ちぬところでも?」
「いや、ちょっと抵抗感がぬぐえないというか……」
ぼくは申し訳なく思いながら、説明した。アウナには、あやうく殺されそうになったところを助けられなかったという負い目があるので、はっきり反対するのを遠慮してしまった。
アウナはぼくににっこりと笑いかける。一見、無邪気そのものの魅力的な笑顔だ。
「これまでの経緯は水に流そうではないか。わしは過去にはこだわらぬ。つい先ほどまで、殺しあっていたわしらが、このように共闘するなど、いっそ痛快ではないか?」
「どうも、わたしは賛成できません。なにかの罠かもしれません」
ラランニャのささやきに、ぼくは頭を悩ませる。
もしかするとラランニャの言う通りかもしれない。アウナの提案は罠なのかも……ひょっとすると、みんなが強制ログアウトしたことも、”モンスター”側の新型兵器に攻撃された結果かもしれない。となると、ログアウトしなかったぼくとラランニャをどこかへ連れて行こうと画策することも不自然ではない。要は、撃ち漏らしをまとめて片付けようとしているわけだ。
だが……その罠のために、仮に囮であるにせよ、アウナはあまりにも自分自身を危険にさらし過ぎていないだろうか。
それに、こんな大規模攻撃が可能なら、なぜ今までの戦闘で使用されなかったのか。どうして複数回攻撃を書けないのか。そして、この戦いにおいても、もっと早期に使用しなかったのか。あるいは、他の戦場で使用されなかったのだろうか。……攻撃するための条件が整うまで待つ必要があったのかもしれないが……。
そして、アウナはなぜ攻撃の生き残りであるぼくとラランニャを不意打ちしなかったのか? 何かの理由でできなかったのか?
ぼくは無い知恵を絞った結果、アウナに尋ねた。
「他にも、ぼくたちのようにログアウトしていない……起きている者がいるかもしれない。ひとまず、倒れている人たちを全員調べてみても構わないかい?」
アウナは、唇を真一文字にひきしぼる。
「ふむ、おぬしがどうしてもそうしたいというなら構わんが……あまり無駄な時間をかけたくはないのう」
「でも、人手が多いほうがなにかと便利じゃないかな」
面倒くさそうに、アウナは頭をかいた。
「そうでもあるまいよ。頭数だけ多くとも、危急の事態に対応できるほどの能力がないと話にならんのではないか? おぬしはともかく、さして強くもないものが数だけそろえても、足手まといになるだけよ。ま、あと数人なら問題なかろうが、それ以上となると……」
アウナはこわばった顔を上げ、空を睨み付けた。
少し前に、群衆に処刑されそうになったことを思い出したのかもしれない。なんだか、申し訳ない気がした。
いたわるように、穏やかに尋ねる。
「じゃあ、他の起きてる人は必要ないのかな?」
少しためらい、アウナは言葉に力を込めて答えた。
「わしは、おぬしだけいてくれれば、良いと思う。その他のものはどうでもよい」
なるほど。とすれば、必ずしもぼくたちを一網打尽にするつもりではないのかもしれない。それとも、ぼくだけがターゲットにされているのか?
……なら、いいか。
アウナは真剣なまなざしでぼくを探るように見つめている。
「ぼくだけなら、協力してもいい」
安堵したように、アウナはほおを緩めた。
ラランニャがぼくの腕をつつく。
「よろしいのですか?」
「ああ。それより君は、別行動を取ればいい。ログアウトしたキャラをここに野ざらしにするわけにもいかないだろ。塔を基地代わりにすれば、しばらくはしのげるだろうから」
ラランニャは決然とした口調で断言した。
「お断りします! わたしはアーツェル様のおそばを離れません!」
突然、ラランニャは声を荒げた。
「でも、アウナについていくのは、やっぱりちょっと危ないよ。でもぼくならきっと安心だから……ほら、アウナは今魔法が使えないし、敵が出てきてもなんとかなるはず。ぼくだって伊達に”最終戦争の四戦士”に選ばれたわけじゃない」
「仲間がたくさんいたらどうするんです。アウナは少人数がいいと言っていますけど、こちらにはこちらの都合がありますよ。多いほうが当然、正解です! だって、それはあなたの護衛だから、わたしも当然その一人、構いませんよね?」
珍しく興奮したように話すラランニャに、ぼくは圧倒されてしまう。
アウナは鼻白んだようだった。
「好きにするがよかろう。いずれにせよ、毒にも薬にもなるまいよ」
ぼくたちに背を向け、アウナは言った。
「しばらくすればここも危険になるじゃろう。さっさと支度せい」
その場から、歩み去る。
ラランニャは申し訳なさそうに謝罪する。
「すみません、わがままを言ってしまいました……」
「いいよ。キミの言うことにも、一理ある。せっかくだから、ぼくたちの他に、ログアウトしていないキャラも一緒にいたほうがいいかもしれないね」
「それでしたら、数人存在するようです。見てください」
ラランニャの示す方向に、二人のキャラクターが不安げに寄り集まっている。
ぼくが近づくと、安心半分、警戒半分といった感じでこちらをうかがっていた。
ぼくはなるべく威圧感を与えないように、丁寧に自己紹介した。
「アーツェルです。”青ざめた死”で、知ってる人も多いと思います。あと、”軍団長”もやっています」
背の高い痩せたきれいな男が軽く頭を下げる。赤毛を短く刈り込んでいた。
緊張の面持ちに、目がキラキラと輝いている。頬が赤くなっていた。
「自分は、エンカラと申します。軍団長と直接お話しできるなんて光栄です!」
熱っぽい口調で言った。手を差し出してくる。
握手に慣れないぼくは、なんとなくぎこちない動作でエンカラの手を握った。意外に強い握力が握り返してくる。
もう一人のピンク色の髪の毛をツインテールにした十代後半に見える女の子は、感激したようにその場で軽く飛び跳ねていた。
「すごーい! 本物の軍団長なんですか? わたし、ファンだったんです」
「ああ。ありがとう」
辟易しながら、ぼくは何とか笑顔を作った。こうも無根拠に褒められるというのは、悪い気分はしないだけに、必要以上に警戒してしまう。気疲れしてしまうのだった。
女の子は、満面笑顔にして、ぼくにしがみつかんばかりにくっついてきた。
すぐ目の前に、女の子の鼻先が突き出された。
女の子の上目づかいが、もの思わしげにぼくをじっと見る。
「あの、お名前は……?」
柔らかな口調で、ラランニャが声をかけた。しかし、その指先が袖口のボタンをせわしなくいじっている。それは、ラランニャが苛立った時のくせだった。
ピンク色の髪の毛を揺らし、女の子は甲高い声を上げる。
「あ! ごめんなさい! 私の名前はぁ、カー・ナ・フォスです。略して、カナって呼んでくださぁい」
実に女性らしい対応に、ラランニャは気後れしたように見えた。
固い顔つきで言う。
「では、カー・ナ・フォスさん。倒れている人たちをいったん、安全な場所へと移しましょう」
しかし、カナは聞こえなかったふりでぼくに話しかけた。
「さっきの地震、こわかったですぅ。軍団長は平気でした? 私怖くて、しばらくじっとしてたんですよ。そしたら、軍団長がたってるのが見えて……」
「カナさん、ぼくは、倒れてる人を運ぶから……」
ぼくはきつい物言いにならないように、慎重に言葉を選んだ。
カナは機嫌を損ねたように、頬を膨らませる。
「軍団長もそんなことしないといけないんですかぁ? 無理ですよ、何百人といるんだからぁ」
「軍団長と言ったって、もうここには起きている人は四人しかいないんだ。関係ないよ。それに、ほったらかしにするとキャラがロストしてかわいそうだろ」
「わかりましたぁ、軍団長がそうおっしゃるなら」
ぼくは内心、辟易しながらラランニャについて歩く。さらにその前方には、険悪な表情を浮かべたエンカラがカナとぼくを眺めていた。
ぼくたち四人が、気絶したキャラクターをどう運ぼうか算段しているとき、異様な遠吠えが聞こえてきた。
大気を刺しつらぬくような鋭く長い咆哮が無数に重なり、束となって大地に覆いかぶさる。
「何? なに?」
カナがおびえたように周囲を見回す。
地平線の向こうから、黒々とした群れが出現した。
紫色の肌で覆われた長身痩躯の彼らは、頭から背中にかけて密生した長いたてがみをなびかせて、猛然と走ってくる。
声の主は、ヒューマノイド型の”モンスター”、”狼人間”だった。
強力な魔法が使えないため、単体の”モンスター”としては弱い彼らだったが、それを群れによるチームワークと狡知が十分以上に補っている。
ぼくは信じられない思いで目を見張った。
うごめく膨大な黒紫色の軍勢の先頭に、金色の光が揺れている。
背後の群れと同じく、手足を本能の赴くままに振り抜きながら走っていた。
”狼人間”の先頭にいるのは、アウナだった。




