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 天地が引き裂かれているかのような雷鳴がとどろきわたる。

 すさまじい痛みが耳をさいなみ、金属的な異音が轟音にとってかわった。

 青い空が、複数の色をぶちまけたパレットのように濁り、薄暮のように暗くなる。

 裾の乱れたカーテンのようなオーロラが浮かび上がった。水面に浮いた工業油のような七色にぎらぎらと光りながら、断末魔に苦悶するかのように身をよじる。

 地面がハンモックのように左右に揺れた。地割れが縦横に走り、乾いた土くれが隆起する。

 ぼくは無様に地面に投げ出された。子供の手のひらでもてあそばれる虫のように、あちらこちらに翻弄される。

 見えるものがしっちゃかめっちゃかにまざりあって、何が起こっているか把握する暇などなかった。

 ぼくはただおびえるばかりで、反射的に身を守ろうと体を丸くしたまま、固く目を閉ざした。

 しばらくして、体の動きが止まっていることに気付いた。

 おそるおそる、岩のようにこわばっていた手足の力を抜き、体を伸ばす。

 突然の天変地異によって、世界の姿は一変していた。

 空にはひび割れのような光の帯がいくつもよこぎり、淀んだ色が互いを汚しあいながら渦巻いていた。

 大地はそこらじゅうが掘り返されたように、でこぼこになって普通に歩行することに困難を覚えるほどだった。

 どういうことだ? これはいったい何が起こったんだ?

 呆然と、ぼくは周囲を見回した。

 よく見れば、隆起した地面のはざまに、倒れている人の姿がいくつも見える。

 その瞬間、大事なことを忘れていたという焦燥感にかられた。

 「ラランニャ!」

 ぼくは声を張り上げた。

 「ここです……」

 かすれた声がそばから聞こえた。ラランニャは土に埋もれるように倒れていた。

 「大丈夫かい? これはどうなったんだ?」

 ぼくはラランニャを抱き起し、顔にこびりついた泥をぬぐった。

 「どうやら、平気みたいです。それより、アーツェル様こそご無事ですか?」

 ラランニャは自力で立ち上がった。

 「ああ、なんとなく。もともとケガだらけだからよくわからないけど、体は自由に動くよ。大丈夫」

 「よかった……そうそう、これ、なくさないようにしてくださいね」

 ラランニャが大事そうに抱えていたものを、僕に差し出した。

 ”死の種子”だった。

 「ありがとう……」

 彼女の献身的な親切が身に染みる。ぼくは剣を身につけると、周囲の惨状に目を転じた。

 「何が起こったんだ。全く状況が分からない」

 ラランニャはそばに倒れているキャラクターに駆け寄った。そばにしゃがみ込んで、子細に点検する。ぼくも付き添った。

 キャラクターはまるで眠っているかのようだった。

 意識を完全に失っているが、呼吸は継続しており、生命活動も止まっていない。

 どこかにけががある様子もない。倒れているのは、突然の地震やカミナリでけがをしたことが理由ではないようだ。あるいは驚きのあまり気を失ってしまったのかもしれないが、ぼくとラランニャが意識を保っていたのに、他の何十人が同時に失神するのは、不自然だ。

 そして、雷鳴が起こる直前に、多数のキャラクターが倒れるのを見たような気がする。突然の不思議なことに混乱して、勘違いしているだけかもしれないけど。

 その時、大事なことをまた一つ思い出した。

 アウナはどうなったんだろう?

 ほとんど暴徒と化したキャラクターの集団と共に、気を失っているのだろうか?

 すでに辺りは静寂に包まれ、ぼくはアウナの姿を求めて立ち上がる。

 「ぼくはアウナを探してくる」

 ラランニャに言う。

 「その必要はない!」

 背後から、鋭い声がとんだ。

 振り返ると、黄金の輝きが目に飛び込んでくる。アウナだった。

 布きれを肩からかけ、まっすぐ立っている足元ははだしだった。冷ややかに、ぼくとラランニャを眺めている。

 「君は無事だったんだね。よかったよ」

 ぼくは安堵してアウナに笑いかける。

 アウナは不審げな上目づかいでぼくをうかがっている。

 「わしが無事でおぬしになんの益がある? 妙なあいさつじゃの」

 またしても親切を押し売りしていると思われたくなかったので、ぼくはあいまいにうなずいた。

 「それはともかく、きみはどうして意識があるんだい?」

 アウナは鼻白んだように眉根を寄せた。

 「それはわしが聞きたいわ。おぬしらこそ、なぜ意識を保っておる?」

 「体は無事かい?」

 「……おかげさまで、とでも言っておこうかの。幸か不幸か、命にかかわるようなけがはない。おぬしらこそ、あの異変に何も影響を受けておらんのか」

 「うん。少なくとも、ぼくは今は何ともない。驚きはしたけど」

 アウナは真面目な面持ちでつぶやく。

 「……それも、妙な話じゃ。今、この世界がどういう状態にあるか、わかるか?」

 「いや。わからない」

 「おぬしらは”龍脈”を封じたじゃろう。おそらく、わしら”モンスター”の力をそぐために」

 「そういう作戦だった。ぼくたちと同時に他のふたつの”龍脈”が封鎖されるはずさ」

 合点がいったように、アウナは鼻を鳴らす。

 「理由はそれよ。世界を支えておる”龍脈”の数が一時に減ったがゆえ、世界が縮小したのじゃろう。それが、天地に異変を生じせしめたの理由に、間違いあるまい」

 ぼくはふと、不安を覚えた。

 「そうなのかい? とすると、残り一つの”龍脈”を閉鎖したら、世界はどうなってしまうんだろう」

 「滅びるじゃろう。空間を支える力を無くした世界は、穴の開いた風船のようにしぼんで閉じてしまうじゃろうの。そして内部にあるものの一切が押しつぶされ、純粋なエネルギーとして隣接した世界に放散されるじゃろう」

 アウナの話にぼくはついていけなかった。

 ”龍脈”を閉鎖すると、この世界が閉じる? 世界が閉じると、中にいるものは押しつぶされる? それは、ぼくたちが、そして”モンスター”たち、”虹の門”に生きるものが、敵も味方もなく、すべて死んでしまうということなのか?

 だが、この世界はしょせんゲームだ。

 ”龍脈”が世界を構築しているというのも、それは単なる設定であり、プログラムが走行する際の条件分岐の一つでしかない。

 もし、運営がその気になれば、その程度の設定変更は容易なはずだ。

 もっとも、”モンスター”が増えすぎて各地のセーブ用キャンプや基地が被害を受けているからって、プレイヤーに”モンスター”狩りを指せるような運営だから、そういうプログラムの内容をいじることは不得手なのかもしれないが……、それはともかく、現状、”最終戦争”で戦略拠点として決戦の舞台となっている”龍脈”の、重要度を下げることはできないことじゃない。

 絶対に回避できない破滅ではないんだ。

 そして、五感が現実的な存在感を受けてはいるが、それはヴァーチャルデバイスが神経系を刺激して発生させる架空の情報だ。

 だから、仮にこの世界が今すぐ滅びたとしても、次の瞬間、ぼくたちはゲームからログアウトし、現実の世界で目覚めるだけだ。

 だが、アウナは”モンスター”だ。彼女には実体がない。だから、この世界の滅亡は彼女の死と重なる。

 ……アウナのように物体として存在しないものが滅びる、滅びないというのはどういうことなんだろう?

 そもそも、実体のないものが存在しているように見える今の状態は、本当に存在してると言えるのだろうか?

 コミュニケーションを取れば、人間と区別がつかないくらいの応答が可能な”モンスター”たちは、人間と同じような自我を持っているのだろうか?

 高性能のサーバーなら、人間と同じ自我を構成するほどの情報を保持することはできるだろう。

 なら、物理的な肉体のない”モンスター”は、生物、命なのか?

 確かに僕は、”モンスター”たちに共感を持っていた。だからといって、彼らが自分と同じ生物だとは思ったことはない。”モンスター”はむしろ、この架空の世界の端的な象徴としてとらえていたような気がする。

 ぼくはアウナをはじめ、”モンスター”たちを大事に扱おうと心掛けてきた。しかしそれは、あくまでこの世界で自分がどのようにふるまいたいかというスタイルを守りたいという潔癖さが多分に混じっていた。彼らを一つの命として認め、いつくしんでいるわけでは、決してない。

 あるいは、その気持ちは、子供が人形を大切にする感覚なのかもしれない。

 ぼくはいまひとつアウナの真剣なようすに距離を感じたまま、相槌を打った。

 「そうなんだ。そうなったら、ぼくたちはどうなるんだい?」

 「ひとたまりもあるまい。すべてがエネルギーへと変わるのじゃから、存在したという痕跡すらなくなるだろうな。もっとも入れ物の世界そのものが消えるのじゃから、当然じゃな」

 もし、アウナが言うことがありうるなら、この世界と共にエネルギーへと変わるものは一体なんだろう? ぼくたちの意識なるものに、エネルギーへと変わるほどのポテンシャルが秘められてでもいるというのだろうか。

 ……ばかばかしい。そんなことはあるはずがない。

 ぼくはつまらない空想を打ち切った。

 アウナの語る世界観は、ヒューマノイド型の”モンスター”間で語られているものなのだろう。それはこの”虹の門”というVRMMOの内幕を知らないものが、ありあわせの知識で懸命に導き出した、もっともとらしい解釈に違いない。

 だが、それは誤りであり、本当は世界が滅びるというイベントが発生したら、アウナたちのデータは初期化されてしまうだけなのだ。アウナは”死ぬ”かもしれないが、いずれ”虹の門”が再起動するとともに”再生”するのだ。

 それを知れば、アウナの気持ちは少しは救われるだろうか?

 ぼくが深刻な面持ちを装っていると、アウナは不機嫌そうな顔つきで、そっぽを向いた。

 「そんなことも知らずに、無神経に”龍脈”を閉鎖したりするなどと、おぬしらの愚かさにはほとほとあきれるわ」

 ぼくは答えようもなく、黙り込んだ。後ろめたいが、アウナの危機感に同調できない。

 ラランニャが立ち上がる。ひととおり、倒れたキャラクターたちを調べ終わったようだ。

 「アーツェル様。倒れた人たちは、どうやらログアウトしているようです」

 「ログアウト? こんなに一度に?」

 「はい。二、三人調べてみましたが、いずれも生命活動に支障はなく、意識だけが無い状態です。さらに、セーブポイントで次回ログイン待機する際に、肉体の損傷を回復させる目的で、体温が上昇するのですが、みんなその状態です。倒れた人たちは全員、ログアウトしているとみていいと思います」

 「意図的なログアウトなのかな? それとも何かの事故だろうか? 原因も全く分からないし……」

 「あてずっぽうですが……おそらくさきほどの雷や地震が原因かと」

 「確かにそれ以外に、心当たりはないな。ログアウトするってことは、サーバーがなんらかのトラブルに見舞われたって可能性が大きいよね。運営からは何も言ってきていないけど」

 「おっしゃる通りです。しかし、大規模なサーバー停止が原因とすると、運営もてんてこ舞いになってしまっているのかもしれません。あるいは、わたしたちがログインできていることが分からないのかも……」

 「なら、実際にログアウトしてみるか。で、ひととおり検索してみたほうが事情がわかりそうだよね」

 ぼくは少しアウナに気を遣いながら、ログアウトしようとする。

 ヴァーチャルデバイスが違法ギリギリの一千万感覚値センシズを叩きだしているだけあって、目覚めた時の違和感は大きいけど、久しぶりの現実世界に胸が躍った。

 だいたい、ぼくは早く”最終戦争”なんか終わらせて、家でくつろぎたかったんだ。

 なんとなく、義務感でずっと運営が押し付けてきた軍団長なんて役目を続けてきたけど、ここらでいったん休息を取るいい口実ができた。

 そういえば、前にログアウトしたのっていつだ? 確か十日くらい前だったような気がするけど、もっと長かったような気もするな!

 ログアウトの方法は簡単。

 視界の隅にアイコン化されているサブウィンドウを展開すると、ゲームのマニュアルや、環境設定用のパラメータに混じって、ログアウトのコマンドが存在する。そこを視線入力カーソルでクリックすれば完了だ。

 浮き立つ気分のままに、手早くログアウトをクリックする。目を閉じた。

 視界が暗転し、やがて自分本来の身体にもどり、しびれた手足が徐々に感触を回復するような感じがぼくを包み……。

 ……始めない。

 目を開ける。

 そこには、相変わらず地震に痛めつけられた地面が横たわっている。空はネオンのような不気味な光を放つオーロラか、雲がたなびいていた。

 おかしい。

 まだ”虹の門”にとどまっている。ちっともログアウトできていないじゃないか。

 そばで、ラランニャもきょとんとした顔をしている。

 「どうしたんだ?」

 ぼくの質問に、ラランニャは戸惑ったように答えた。

 「アーツェル様もですか? 何度やっても、無理なんです」

 

 ぼくたちは、ゲームからログアウトできなくなっていた。


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