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06:ヒョの運営は変態だ

 五条あけみが《HYO》を始めてから、早数週間。遂にオープンβ期間が終了し、正式サービスが開始する日がやって来た。

 それにより、制限されていた様々な機能が開放される。他大陸への渡航、課金アイテムの実装、最高レベルの上昇等々。兼ねてからこの日を心待ちにしていた彼女は、メンテナンスが終わるのを今か今かと待ち侘びていた。

 コンビニでウェブマネーを買って課金ポイントも購入したし、仕事も有給を取ったし、腹ごしらえもしたしトイレにも行った。睡眠も十二分にとったし、精根尽き果てるまでゲームし続ける準備は万全だ。

 音も無く、PCの画面の片隅に表示されているデジタル時計がメンテナンス終了予定時刻を指した。ガバリと彼女は素早く手を動かし、ヒョの公式サイトにアクセスする。

 大量のアクセスが集中している様で、流石に重い。デスクに両肘を置き、組んだ手を顔の前辺りにするポーズをしながら、落ち着いて読み込みが終わるのを待つ。

 何とか読み込み終わったページを見て、無事メンテナンスが終了した事を確認すると、彼女はすぐにPCをスリープさせ、VRマシンを頭に装着した。高鳴る自身の心音と、マシンの起動音を聞きながら、彼女は良く出来た夢の中へと沈んでゆく。




 最初にして最小の大陸『ユガタルファ』の北部の港町、『キフカ』。北とは言ってもユガタルファは惑星の南半球に位置しているので、南部にあるエジャよりも暑い。雨季な為湿度も高く、不快指数はカンストレベルだ。ここまでリアルにしなくて良いのに、とアージェンは思う。

 正式サービス開始に伴うアップデート内容の告知で、このゲームの舞台が地球サイズの惑星『ウィナンシェ』丸ごと全部だという事が明らかになった時には、彼女も仰天したものだ。これだけ大容量のゲームなのに基本無料なのは、本当に良い意味で詐欺である。ヒョの運営は変態だ。

 地域ごとの気候も細かく設定されているらしく、エジャ辺りは四季がハッキリしている温帯性気候っぽいが、キフカはおよそ熱帯気候らしく設定されている様だ。豪雨が街の全てを激烈に叩き鳴らし、ごうごうと音を立てている。

 大陸の外に行く方法には、大まかに分けて二つ有る。空路と海路だ。どちらにするか迷ったが、折角ファンタジーなのだし飛行船に乗りたいと思って、彼女は空路を選んだ。

 昨日までは入ろうとすると、ひとりでにウィンドウが出て来て『ここから先は正式版をお待ちください』とか言われた空港だが、今日は入れる。初めて見るこの世界の空港は、現実のそれと良く似ていた。

 おのぼりさん全開で内部を見回しながら、待機スペースのベンチに座って一息吐く。大雨に打たれながら走って来たから、全身びしょ濡れだ。


「あ~……ファッキンホット」


 雨と暑さの所為で、辺り全てが天然のミストサウナの様になってしまっている。今彼女が居るのは室内だが、クーラーなんていう便利な文明の機器も無く、アージェンと同様に椅子に腰掛けている他の利用客たちも、団扇等で扇いで暑さを凌ごうとしていた。

 何処かで扇子を買ってくれば良かったな、とメニューを開きながら思う。ウィンドウは板状だが実体はないので、これで扇ぐ事は出来ない。

 もしこれでアバター装備のシステムが無かったら、即刻ヒョをマシンからアンインストールして、PCに残っているファイルもゴミ箱にダンクシュートしていただろう。今彼女が機能装備にしているのは防御力だけを重視したスーツアーマーだから、そう考えると寒気がする。この天然サウナの中を通気性皆無の装いで過ごすなんて、まさに地獄の如き拷問だ。


(……雨止むまで暇だし、課金アイテム買おうかな)


 いつまでも初期装備の粗末な服をアバターにし続けるのもなんだし、丁度びしょ濡れになってしまったし、と、メニューに新たに追加された『アイテムショップ』の項目を選択する。きちんと購入したポイントが反映されている事を確認した後、その品揃えの方を眺め始めた。

 まず、取得経験値等を一定時間上昇させたりするタイプの消費アイテム。SPを振り直す為の、スキルリセットアイテム。所謂ガチャの類いは現状無いらしく、インベントリのそれを流用したインターフェースの中に、あまり豊富ではないアイテム群が並んでいた。


(まぁ、現状この辺は要らんだろ。それよりも重要なのは……)


 画面の左上に有るタブを切り替え、並ぶ品目を消費アイテムからアバター装備に入れ替える。すると、画面に所狭しと数多の衣装が現れた。実装から間もないというのに、驚きの豊かさだ。しかもリーズナブル。ヒョの運営の予算は大丈夫なのだろうか。

 その中から、ヘイゼルに貰った時からずっと身に着けている帽子やグローブに合いそうな物を探し、片っ端から購入していく。ドレスや着物、ブレザーにセーラー服、それから包帯だのビキニだのといった受け狙いとしか思えないものまで、ポイント残高をチラ見しながら買い漁る。

 一通り買い終えた所で、ショップ画面を閉じ代わりにインベントリと装備画面を開く。そして先ほど購入した衣装を、ふんふんと鼻歌を歌いながらアバター装備に設定していく。

 それに伴って、アージェンの服装もどんどん変化していく。周囲のNPCたちが困惑と驚きに軽くざわめくのを感じたが、彼女は気にせず作業を続けた。


(……うん、上出来)


 装備の設定を終えたアージェンは、何という事だろうか、貧相な初期装備から一転、そこそこ一介の旅人か冒険者らしく見える姿となった。

 紺色のノースリーブに、帽子の色と合わせたケープっぽいアウターウェア。下はふんわりとしたバギーパンツに、膝下まで有るロングブーツだ。また、指抜きグローブだけだとメイスや盾を持つ手が痛くなる時が有ったので、その上に分厚い皮の手袋を着けた。

 極端に寒い所に行くのでもなければ、このコーディネートで大体の所は対応出来そうだ。ブーツがかなり蒸れるが、レアアイテムを求めて道無き道を往く事も有るのだ。普通の靴では心もとなかったし、それくらいは我慢する。

 と、凝った肩を揉み解しながらメニューを閉じた所で、雨足が大分遠のいていた事に気付いた。間もなく、飛行船の運行再開のアナウンスが入る。


「……ったく、あのレタス頭はまだ来ないのかね」


 待機スペースに居た人たちがぞろぞろと目的の飛行船に向かう中、一人取り残されたアージェンは小声で悪態を吐く。レタス頭とは、勿論フュールの事だ。

 早く来てくれないと、新大陸行きの飛行船に乗り遅れてしまう。別に逃しても次は有るが、また一時間近くここで待たなければならないのは嫌だ。

 苛立ちを逃す様に深く溜め息を吐いていると、一つの足音が彼女に近づいて来た。顔を上げれば、彼女の待ち人が青磁の髪を揺らしながら駆けて来るのを捉えられた。


「アージェンさん! お待たせしましたっ!」

「ん。ほら、とっととチケット買って行くぞ」


 きっとあの大雨に足止めを喰らったのだろう。アージェンは致し方有るまいと深く責めはせず、さっさと歩き始めた。息を整えながら追随するフュールは、相方の服装の急激な変化に、軽く疑問符を浮かべる。


「あの、イメチェンしたんですか?」

「そんな所だ。折角この大陸を離れるんだし、心機一転って事で」

「ああ、そうですか。……まだ実感湧かないんですけど、僕、これから遠い所に行くんですよね……」


 そんな風に呟きながら、彼は遠い目をする。アージェンにとってはユガタルファもただ『最初の大陸』というだけだが、彼にとってはきっと『生まれ故郷の大陸』なのだろう。そこから遠く、飛行船でも数日かかる程の場所に向かおうとしているのだ、メランコリックにもなるだろう。


「嫌か? 別に、無理して付いて来なくても良いんだぞ」

「あ、いえ、そんな事は無いんです。大丈夫です、行きましょう」


 アージェンの問いかけに対し、フュールは存外落ち着いた口調で答えた。意外だったが、これなら大丈夫だなと発券所でチケットを購入する。目的地は、兼ねてより目を付けていた『イーアイレア』という島国だ。

 ユガタルファとはまた別の大陸の近くに浮かぶ『イーア諸島』を国土とするその国は、何と総人口の八割強がドロイドなのだという。その上、1000年以上前に滅びた古代文明の遺跡が多く存在しており、そこの出土品から当時の技術を再現したりしてるとかで、何ともスチームパンクSFな街並が有ると紹介されていた。


「いやー、楽しみだなー。古代文明の遺産とか、凄く好みなんだよねー」

「そうですね。僕も、古代人の叡智には胸が熱くなります」


 イーアイレア行きの飛行船に乗り込みながら、まだ見ぬ新天地に想いを馳せる。SFチックなドロイドたちの国を観光しつつ、あわよくばドロイドの仲間を手に入れてやろう、等と画策しながら、彼女は船室に向かった。

 アージェンは一人部屋を取ったので、数日かかる船旅も快適に過ごせるだろう。質素だが清潔な寝台に腰掛け、ブーツを脱いで伸びをする。それなりに値は張ったが、知らない奴と相部屋になる危険性を考えたら安い物だ。ちなみにフュールの方は、一番安い四人部屋に行ったようだ。


(時間短縮したけりゃ、ログアウトすれば数時間だけど……ログアウトしている間、ちゃんと船に乗って移動出来るか不安なんだよなぁ)


 もしかしたらログアウトしたら最後、この座標に取り残されてしまう仕様なのかもしれない。その辺の詳細は、また今度調査するとしよう。今回は安全牌を選び、大人しくログインしたまま船旅を過ごす事にする。

 そうこうしている内に、出航を知らせるアナウンスが響いた。この声も、魔法で船の隅々まで届けているらしい。ヒョの魔法は本当に便利だ。プレイヤーも同様の事が可能なのだろう。

 間もなく船体が浮き上がり、空港の敷地内を旋回する様にゆったりと動きながら上昇していく。有る程度高度を確保し、他の建物に接触する心配が無くなった所で、船は徐に目的地に向かい飛び立った。その最中、アージェンは窓から外の風景を覗き、遠ざかっていく地上をじいっと眺めていた。




 この飛行船は、パッと見は普通のクルーザーと大差ない姿をしている。船底部に魔法による飛行機関が有る以外は、そのまま海に浮かんでいてもおかしくない程にそっくりだ。実際、このタイプの飛行船は水上を進む事も可能になっているらしい。

 他にもこの世界には色々なタイプの飛行船が有り、現実での飛行機に近い物や気球の原理で飛ぶ物、鳥や竜の姿を模した物等も存在している。ポピュラーなのは、今アージェンが乗っているタイプの奴と気球タイプの奴らしい。

 と、公式サイトの情報を脳裏で反芻した。ヒョの公式にはチュートリアル等だけではなく、こういった世界観の詳細な設定等も載っているのだ。その設定の作り込みには、設定厨として感服せざるを得ない。


(いつか、竜型の飛行船にも乗ってみたいよな)


 船体が安定し、甲板に出ても良いというアナウンスが来た所で、アージェンは早速外に向かっていた。他の乗客も皆同じような事を考えたらしく、廊下にぞろぞろと多くの人々の足音が鳴り響く。

 人の流れに乗って甲板に出れば、新鮮な空気が強めの風に乗って彼女の身を包み込んだ。帽子が飛ばされてしまわない様片手で抑えながら、地上のそれよりいくらか不安定な床を歩き進んでゆく。


「ひゃー……」


 そしてどこまでも広がる蒼穹を見上げ、彼女は歓声を上げた。甲板の端に駆け寄って下を見下ろせば、雲の切れ間からきらきらと輝く海が見える。年甲斐も無く、彼女ははしゃいだ笑みを浮かべた。


(すっげぇ、まじすっげぇ。空路選んだのは正解だった)


 にやけが止まらない。暫しの間、景色の美しさに見とれる。存分に楽しんだ後、そろそろ部屋に引っ込もうと思って踵を返した辺りで、丁度よろよろと甲板に出て来たフュールの姿が認められた。

 どうやら船酔いしたらしく、顔色はすこぶる悪い。心配になって近くに向かうと、彼は救いの女神を目にしたような顔でこちらを見た。


「フュール、酔ったのか?」

「うん……外の空気、吸おうと、したけど……よけい、ウップ」

「吐くなよ。応急処置くらいならしてやるから」


 彼のステータスを見ると、『船酔い』の状態異常が現れていた。こういうのも状態異常扱いされるのか、と思いながら、アージェンは回復魔法用の呪文を記憶の中から引きずり出す。


「ma'u'ei ro'inai lo valsi lo bapli cu binxo ma'u'oi

 zi'e'ai .uu.o'ucu'i lo terbi'a cu canci .ei」


 大体「病よ消えよ」的な事を言えば、殆どの状態異常は解除される。無事に回復魔法が発動し、状態異常のアイコンが消えると、同時にフュールの顔色もいくらか良くなった。


「あ、ありがとうございます……気分が悪くて、魔法も使えなくて……」

「どういたしまして。どうだ、少し風に当たってくか?」

「ええ、そうします」


 倒れられては面倒なので、アージェンは予定を変更しフュールに付き添う事にする。回復魔法が効いたのか、彼の足取りは随分しゃきっとしていた。自分の魔法、引いては自分の考えた詠唱の結果を見ると、良い気分になれる。


「しかし……アージェンさん、いつの間にか僕の名前言える様になってたんですね」

「ああ、練習したからな、フュールォミレクァ君」


 ロジバンを勉強するついでに、彼の名前の発音も練習したのだ。ファーストネームを流暢に言ってやると、ちょっと嬉しそうにエルフ耳が跳ねる。癒された。

 と、一際強い風が甲板を撫でた。すかさず帽子を抑え、吹き飛ぶのを防ぐ。ヘイゼルに貰った大切な帽子だし、今ここで半魔の角が露見したら酷い事になるのが目に見えている。そうしていると、フュールが少し不思議そうに首を傾げながら問いかけて来た。


「そういえば、貴方っていつも帽子被ってますよね」

「ん、まーな」

「外した所見た事無いし……何か、理由でも有るので?」


 と、その声に幽かな不信が宿っている事に彼女は気付いた。内心、冷や汗をかく。

 公式サイトは、エルフという種族は特に魔神と、それと契約した半魔を嫌悪している、と有ったのを想起する。疑われているのだろうか。緊張が全身を駆け巡る。その感情を相手に悟られない様にしながら、彼女は前もって用意していた言い訳を語る事にした。


「ちょい、耳貸せ、フュール」

「はぁ」

「実はな……わたし、ハゲなんだよ」

「え」


 神妙な顔で告げられた嘘の秘密に、フュールの表情は一気に凍り付いた。アージェンはその現実味を増させる為に、更に言葉を続ける。


「病気の後遺症でな、頭の天辺辺りだけツルッパゲになっちまってんだ。だから帽子で隠してんだよ。……これ以上はこの話に突っ込まない様に、良いね?」

「わ、ワカッタデス」


 ハゲをコンプレックスとして恥じている少女の様に、銀髪を軽く指先で弄りながら据わった目で言う。すると、彼はアージェンの帽子の中身に関する話題がタブーである事を察したらしく、それ以上問い詰める事も無く目を逸らした。




 ゲーム内時間で数日の船旅を終え、アージェンたちは新天地に足を踏み入れる。空港に降り立った船から出て、イーアイレアの首都『リザマトラ』の風景を望んだ。

 ユガタルファよりいくらかくすんだ色の空に、立ち並ぶ灰色の建物たち。少し遠くには、工場らしい建物の煙突から黒い煙がもくもくと上がっているのも見える。産業革命期にタイムスリップしたような、そんな錯覚を覚えた。

 空港から外に出れば、多くの人々が行き交う通りに出た。同時に、頭の後ろ辺りから二本のコードが生えている人──そう、人造人間のドロイドが沢山居るのを捉える。ユートピアはここに有った。


「げ、げほっ、ゴホッ、ゆ、ユガタルファとは大違いですね……ゲホッ」

「おいどうした、風邪か?」

「いえ、ちょっと空気が合わない様で……げほっ、あー、zi'e'ai .u'e doi makfa ko bandu mi lo danmo varci」


 外に出るなり咳き込み始めたフュールは、早口で魔法を唱える。「守る」という単語が拾えたから、恐らく汚れた空気から自らを守る魔法を使ったのだろう。しかし、この程度で体調が悪くなるとは、驚きの虚弱体質だ。


「大丈夫かよ……ま、とりあえず観光しますかね」

「魔法でいくらでも対処出来ますから、問題はないかと。でも僕は疲れましたので、先に宿屋を決めておきます。待ち合わせ、どうします?」

「んー、なら──」


 周囲を見回しながら、一先ずの待ち合わせ場所を決める。次いで日時も決めた所で、アージェンはフュールと別れてアテも無く歩き始めた。

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