05:ロジバンを学んで詠唱をすれば良い
ヒョにおける魔法スキルは、例を見ない程複雑であるとも言えるし、これ以上無く単純であるとも言える代物であった。
まず、魔法スキルは大きく五つの種類が有る。『攻撃』『防御』『回復』『付与』『汎用』だ。それぞれおおよそ文字通りの性能を持つそれらは『L10』まで有り、直前のレベルのスキルが次のレベルの前提スキルになっている、というシステムだ。そして、それ以外に魔法スキルは無い。
デフォルトの状態の魔法スキルは酷く曖昧で、単純かつ脆弱な物である。『攻撃魔法』なら何となくエネルギー波が出るだけ、『防御魔法』なら何となく力場が形成されるだけ。アージェンが『回復魔法』で状態異常を除けなかったのも、デフォルトの『回復魔法L1』にはHPを回復する効果しか無いからであった。
ならどうすれば、この低機能なデフォルト魔法を発展させられるか。ここに、ヒョの魔法システムを複雑かつ単純にしている最たる要素が絡んで来る。
「ロジバンを学んで詠唱をすれば良い、ねぇ……」
アージェンの中の人たる五条あけみは、wikiに有る魔法についての概要を読みながら低い声で呟いた。
ロジバンというのは、元はナンタラ仮説とかいうのを証明する為に造られた工学言語である、らしい。趣味でちょっぴり語学を齧った事が有る彼女は、その名前だけは知っていたが、中身の方は全くと言って良い程知らない。
何故そんな人工言語の名前がここで出て来るかと言えば、それがヒョの魔法に密接に関わっているからだ。魔法スキルで色々な事をする為には、ロジバンで詠唱をしなければならない。
回復魔法で状態異常を取り除くには、そういう旨を含んだ詠唱をする必要が有る。攻撃魔法も、例えば炎で攻撃したかったら、『炎で攻撃する』といった具合の事をロジバンで言わなければならない。
これが、煩雑でシンプルなヒョの魔法の正体だ。詠唱した通りの事が魔法になるという至極分かりやすいシステムだが、その詠唱を組み立てる為には何とも難解そうな言語を学ばなければならない。
あまりの敷居の高さに彼女は頭を抱えたが、それを緩和する存在もwikiには有った。有志が作成した、使いやすい魔法の詠唱テンプレートだ。
(これが無かったら、即《HYO》をアンインストールして超エキサイティンしてたわ)
いくつか使えそうな物を覚えて、それで実際に試してみよう。これ以上足を突っ込むかどうかは、その後に決めれば良い。
──結果。
「ma'u'ei .e'i lo makfa cu jmaji .ije ko binxo ma'u'oi
zi'e'ai .ei lo fagri cu fasnu!」
ゲーム内では何らかの補正が働くようで、英会話もカタコトな彼女でも、暗記した通りの呪文をすらすらと流暢に発声する事が出来る。それを唱え終えると同時に、先ほど遊ばせていたSPで習得したばかりの『汎用魔法L1』が発動した。するとアージェンから少し離れた空中に、ぼっと小さな火の玉が形成される。
(~っ! 何これ楽しい!)
屍塚の平野のエジャからそう離れていない場所で、いくつもの魔法を繰り出してみた感想。言った通りの事が実際に顕現するというのは、思った以上に愉快な物だった。
「si'e'ai」
魔法の効果を終了させる機能語を呟くと、それに応じて火の玉も消える。アージェンは興奮に頬を紅潮させながら、ダンダンダンと地団駄を踏んだ。
(こうしちゃいられない、本格的にオリジナルの詠唱を作らないと!)
これで詠唱を借り物ではない、自分で組み立てた物にする事が出来れば、もっと楽しくなる筈だ。いてもたっても居られず転移で世界樹広場に戻り、そのままログアウトすると、彼女はPCに齧り付き、開きっぱなしだったヒョのwikiを舐め回す様に見始めた。
wikiの『詠唱を作るには』と銘打たれたページに目を通し、リンクが貼られていたロジバンの入門サイトを一通り読みつつ、彼女は一先ず自分の詠唱を作り上げた。それを頭の中に叩き込んでから、今一度ヒョにログインする。
(フュールに関しては……どーすっかな)
彼の荷物を取り返し、協力の約束を取り付けた後、実は彼女は寝落ちしてしまっていた。先ほどやった詠唱云々も有り、今は土曜の午後2時ちょっと過ぎだ。ゲーム内では大体10日程経過している筈で、恐らく彼はもう治療院には居ないだろう。
(あー、何とかして連絡手段を確保するか、待ち合わせするなりすりゃ良かったなー)
詠唱の実験が終わった後、フュールを探す必要が有るかもしれない。恐らくこの街から出ては居ないだろうから、くまなく捜索すれば見つからないなんて事はないだろうが。
面倒だなあと考えながら、アージェンは世界樹広場を後にする。建物の密集しているエジャの中心部に有る、一切の建物が無いぽっかりと空いた穴のような広場から外に出ると、一気に街の喧噪が押し寄せて来た。
(相変わらずうるせーわ)
人ごみに酔う前にさっさと屍塚の平野に行こう、と彼女は早足で歩き始める。するとその瞬間、横からどこかで聞いた声が掛けられた。
「あ、アージェンさん! アージェンさんですよね?」
そう言いながら駆け寄って来た緑髪のエルフは、間違いなく元・世にも哀れなパン一野郎だった。案外背の高い彼の顔を見上げながら、アージェンは純粋な驚きを声として吐き出す。
「あんた、ヒュールか……」
「はい。連絡手段も無かったから困ってたんですけど、アージェンさんは“使者”だから、世界樹広場には入れないですけど、近くで待ってればいずれ会えるかな、って思いまして」
「まー正解だし、探す手間省けて助かったけど……ストーカーかよ……」
「えっ、しっ、失礼なっ! 元はといえば、待ち合わせも決めずに居なくなっちゃった貴方が悪いんですからね!」
「あーはいはい、悪うござんした」
常並らしい英気を取り戻したフュールの声は、結構良く通る物だった。表情に合わせてぴこぴこと揺れる耳に癒されながら、何となく彼の姿を観察する。
ぴょんぴょんと外側に向かって跳ねている柔らかな青磁の髪は、大体肩よりちょっと下辺りまで伸ばされている。青緑の瞳には、左目だけ視力が低い様で、丸いフレームのモノクルが掛けられていた。
服装は、全体的に髪の色合いに近い緑で揃えられている。シルエットだけはヒラヒラした魔法使いのローブといった具合だが、実際は結構動きやすさも重視して作られているようだ。そして左手には、鈍器に出来そうな程に分厚い本が携えられている。
本当に目に優しいキャラだな、とアージェンは彼を評する。緑色な上に、窶れの消えた顔立ちは中々に精悍だ。穢れた現世を見過ぎて疲れた時も、彼を一目見ればあっという間に全快出来そうである。
「まぁストーカー云々は冗談だし、機嫌直してくれよ。それと、わたしこれから魔法の練習に行こうと思ってたんだけどさ、あんたも付き合ってくれるか?」
「良いですけど……一応僕も、貴方とは良好な関係を築きたいと思ってますから、あまり質の悪い冗談は言わないでくださいね。些細な亀裂が大きな溝になったりするんですから」
「はいはい、分かったよ」
そんな会話と共に歩き出しながら、アージェンはメニューを開く。随分と慣れた手つきで操作して、フュールのステータスを表示させた。
『中立』から『友好的』になった彼のステータス画面には、レベルや種族等だけではなく、能力値や装備等も所狭しと並んでいる。しかしスキル等は、この状態になっても見る事は出来ないようだ。
目的地に着くまで暇なので、色々試す事にする。まず彼女は、対象欄にフュールの名前を入力して内緒チャットを飛ばしてみた。しかし彼に反応は無く、NPC相手にチャットは何の意味も成さないのであろうという事を理解する。
次に、彼をPTに勧誘するテストをする。ステータスから、彼が友好的になった事で新たに現れた『PTに加える』というコマンドを選択し、実行した。
すると、ぽよんと彼の頭上に一つのウィンドウが現れる。そこには、数値付きのHPとMPのゲージや彼の名前が表記されている。同時に、手元のメニュー画面にも同様の物が表示された。
普通のメニューウィンドウは内容は分からないまでも存在自体は視認出来るようだが、頭上に現れた半透明の板は見えないようだ。すれ違う通行人もフュール自身すらも、それに注目を向けていない。恐らく、同じPTのプレイヤーにしかこれは見えないのだろう。
それを確認した後、最後に、とアージェンは転移メニューを開いた。転移先の座標を設定しつつ、自分の少し前を歩くフュールに声を掛ける。
「ヒュール、ちょっと移動すんぞ」
「え、だって今移動してるじゃ──」
相手の返答を待たず、さっさと転移を実行する。すると、一瞬の内に二人を取り巻く光景が街の外のそれへと変化した。
フュールは何が起きたのか分からないといったふうに呆然としている。『転移はPTを組んでいる場合、PT全員が転移先に飛ぶ』と有ったが、NPCもその例に漏れないようだ。
「なん……だと……」
「わたしはプレ──じゃない、“使者”だからな。こういう芸当も出来るんだ」
「ああ、成る程……」
プレイヤー、と言いかけたが、NPC相手には世界観に沿った言葉選びをした方が良いだろう。すんなり納得したフュールに対し、周囲をマップ画面から監視しながら問いかける。
「でー、あんたは魔法が使えるんだったよな。どんな物が使える?」
「え、あっ、はい。一人旅をやって来ましたから、広く浅く色々……」
「なら、攻撃魔法は使えるか? ちょっとやってみてくれ、なるだけ高威力で」
「攻撃、ですか。だったら……」
彼はきょろきょろと周囲を見渡し、手頃な乾涸びた死体に目を付ける。そしてそちらに向き直ると、左手に携えていた広辞苑級に厚い魔法書を開く。そしてぱらぱらと紙を捲り、目的のページを出した。
「ma'u'ei doi makfa ko jmaji」
そして、良く冴えた白刃の様な声が最初の一節を唱えた瞬間、辺りの空気が変化した。急激な変化に、アージェンはバシリと両頬を叩かれたような衝撃を受ける。
「.i .ia mi ga'i me lo termakfa
.i .iasai mi ga'i me lo nivji be lo makfa bei lo valsi
.i doi makfa bapli
.i be'unai ko frati lonu jmaji kei lo voksa ku pe mi
ma'u'oi」
真剣そのものの声調が紡ぐ詠唱に、アージェンは思わず聴き入ってしまっていた。これが、この世界の本当の住人であるNPCが唱える、本場の呪文。
詠唱完了の単語が紡がれるのと共に、彼の持つ本が神秘的な光を発し始める。それを認めたフュールは、集い高まった力に輪郭を与える言葉を高らかに詠み上げた。
「zi'e'ai ri'e ko binxo lo balre gi'e fenra katna!」
彼が一つの文を言い切ると同時に、一瞬にして魔法陣のような物が形成され、これまた一瞬でそれが弾ける。弾けた光は刃の形を取り、標的目がけて飛んでいった。
魔力の刃は瞬く間に乾涸びた死体を細切れにし、そして霧散する。彼の詠唱によって緊張していた雰囲気も、一気に解けて元に戻った。
「……っふー。大体、こんな感じですね。あれくらい悠長に詠唱出来れば、人一人くらいなら即死させられる威力になります」
「いやー……良いものを見せてもらったわ。すげぇなあんた」
「そ、そうですか?」
アージェンの率直な賞賛に、フュールは照れてはにかんだ表情を見せる。高い集中力でしっかりと詠唱をすれば、低レベルでも魔法はあそこまでの威力になるのか。ヘイゼルが敵の魔法使いの存在を厄介がっていた気持ちも分かる。
攻撃魔法だけではなく、防御や回復魔法とかだって、手間を惜しまず詠唱をすればまた新しい世界を見せてくれるのだろう。魔法のポテンシャルの高さを認識し、彼女はフュールに当初の予定通りの方針を与える事にした。
「だからさ、あんたはわたしと組む時は、さっきみたいに詠唱をじっくりやって魔法をぶっ放すスタイルを基本にして欲しい。その時間はわたしが稼ぐ、って形でさ」
「え……けど、戦闘中にあそこまで集中するのは難しいんですけど」
「その辺は何とか克服してくれ。ま、わたしもまだまだ未熟だが、この目が黒い……じゃないか。白くない内は、あんたにゃ傷一つ付けさせやしないよ」
左手に持った盾を見せつけながら、彼女は大口を叩く。先ほど見たフュールのステータスは、魔力なんかは非常に高かったが耐久力は紙としか言えないレベルだったし、どんな役割を担ってもらうにしても、敵の攻撃を喰らわせない様に立ち回らなければならないだろう。
「……分かりました。なら、僕も僕なりに努力しましょう。何と言うか、自分より背の低い少女相手に言われる台詞としては、何だか奇妙な感じですが」
「ハッ、違いない」
アージェンの方だって、ゲームの中だとはいえ、見た目は年上らしい男相手にあんな気障な台詞を言う事になるとは思わなかった。そう胸中で呟きながら、彼女は皮肉っぽく笑う。
(……ん、この文面なら完璧だな、多分)
その日のヒョを存分に楽しみ終えた後、レイスはヒョの攻略wikiの編集に取りかかっていた。
まだオープンβだからとはいえ、検証する者が少ないのか、NPC関連の情報量はお粗末にも程が有った。彼女は『何が何でも人外のNPCを仲間にする』という強い決意を抱いていたからこそ無事にフュールと手を組む事が出来たが、そこまで強固な意志を持たない普通のプレイヤーは、この情報の少なさにNPCと組むのを断念してしまう可能性が高い。
(色々やれる事多いのに、その内の一つが見向きもされず捨てられるのは、どうにも見てらんないし)
故に、彼女は道を切り開く事にしたのだ。自身のプレイから得られた知識を分かりやすく纏め、wikiに記載する。如何せん参考資料が彼女の経験しかないから、独断と偏見に満ち溢れたものになってしまうが、それでも無いよりはいくらかマシになる筈だ。
(後……もっとロジバン習熟したら、詠唱テンプレとかも作りたいよな)
公式サイトの文言の丸写しと、本当に簡単な解説しか無かったページに、彼女の得た情報が書き足される。これで多少は敷居も低くなっただろうか、と椅子に寄りかかって大きく伸びをした。
(ま、今日はもう眠いし……オフトンにインしよ)
夜までゲームをやった後wikiの編集をしたから、もう気力は底をついている。無理をして体調を崩しては悲惨なので、大人しく彼女はPCをシャットダウンし、そのまま布団の中に潜り込んだ。
詠唱について ※ロジバニスト向け
この作品内で出てくる『魔法詠唱用のcmavo』が有る以外は、普通のロジバンです。
『ma'u'ei』で詠唱開始、『ma'u'oi』で詠唱終了。『zi'e'ai』で実行開始、『si'e'ai』で実行終了。
『ma'u'ei』と『ma'u'oi』で囲まれた部分が『詠唱』。次の『実行』の為にパワー溜めます。
『zi'e'ai』から連なる発話一つが、『詠唱』で溜まったパワーと共に魔法になり、『実行』されます。
『si'e'ai』は、『実行』中の魔法を停止させます。
『実行』だけでも魔法は発動しますが、『詠唱』だけでは何にもなりません。
これらのcmavoを使ってないロジバンは、魔法になりません。
『ma'u'ei』と『ma'u'oi』は友人のアイデアを拝借させて頂きました。
「ここのロジバン間違ってるぞ!」とか有りましたら、どうぞビシバシ指摘してください。